第1話 天使の輪なんて その④
いつだったか、今と同じか、これ以上に強い衝動に駆られたことがあった。
夜明け前。重苦しいカーテンに光を徹底的に遮断されたような家の中を、私はあいつを刺すのにふさわしいものを探してうろついていた。
最初に思いついたのはキッチンの家庭用ナイフ。鈍色の柄の部分を握ってみると、この凶器が私とあいつに一生涯与え続ける重みと、落とすことになる影の濃さを思わされて、少しばかり震えた。
それと同時に引っ張り出されたのは、昔の記憶だ。理科の授業で実験をしている時に、実験結果の書記や実験自体は全部班の他の子達にやらせて、暇を持て余していた浅間が、わざわざ班の違う私のところにやって来て、試験管を私の頭に向かってぽんと振るった。
もちろん、彼女にその気はなかったのだろうと思う。私自身、その必要はないと思って彼女の一打を避けも防ぎもしなかった。ただ結果として、経年劣化のせいだろうか、ガラスの試験管は私の頭の上でものの見事に割れた。破片が飛んで、私の手をかすめて、小さな切り傷を作った。その傷を茫然と眺めていると、じんわりと赤い鮮血が滲み出した。
あの後、授業が終わってからの昼休みの時間を全部費やしてまで、理科の先生は私と浅間をこっぴどく叱りつけた。私は自分には何一つ非はないものと思っていたから、すぐに解放されるつもりでいて、先生が頭から血を噴水の如くぴゅーぴゅーと出しかねないんじゃないかと危惧するほどに、顔を真っ赤にして怒り心頭に発するその権幕に、ひどくたじろぎ、面食らった。
「私がやめろと言わなかったからですか?」
どとまることを知らない暴走列車と化した先生に向かって、私はそう言った。先生の間隙なく繰り出される雷の合間に、浅間はふてくされたような顔をして馬耳東風を決め込んでいたけれど、私は早く解放されたいという一心で、事の始終について説明をしていた。ようは、もうその時には、先生は私には何の
そうだ、その通りだとも。先生は心底ほっとした顔をしてそう言った。
あの長い長い夜が明けるのと時を同じくして、私のことを内側からじわじわと蝕んでゆくような殺人的な衝動はごっそりと抜け落ちていた。
その代わりに、自分が生きているという実感も薄れていくようだった。生と死の瀬戸際にいて、そのどちらに行くこともできないで、細いひどくうらぶれた堤防の上をうろちょろしているばかりの自分がいた。どちらにもいたがって、どちらからも消えてしまいたかった。
でも、今ここにいる自分は、確かに生きていた。あいつを、
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