第4話 崩れゆくアリバイと核心への接近
朝霧悠真は早朝の事務所に入り、黙々とファイルを整理していた。
机には既に分厚い書類とパソコンが並び、カクヨムのログ画面やSNSタイムラインのキャプチャ画像が幾重にも重なっている。
視線をさまよわせながら、彼は犯行当日の情報を精査しようとしていた。
「オフ会に参加していた作家たちの証言は、一見すると矛盾はない。だけど、タイムラインのデータを突き合わせると妙な空白がある気がする。」
そうつぶやきながら、朝霧はカクヨム上で日向斗真が最後に投稿した時刻を何度も見返す。
「投稿されたのは夜の10時半ごろ。あの連続投稿が途切れた直後に事件が起きたと考えるのが自然だ。」
ファイルをめくると、花村怜子のスケジュール管理表が視界に入ってくる。
日向のアニメ企画やコミカライズ進行、そのほかの契約関係などがきっちりまとめられている資料だ。
「花村さんは、仕事面では一切のミスを許さないタイプだろう。日向先生の行動をある程度把握していた可能性は高い。」
朝霧は資料を手に取りながら、過去のスケジュールと事件直前の空白を探る。
スマホが振動して画面にメッセージが表示される。
「朝霧さん、日向先生の死亡推定時刻について新しい情報が入りました。現場検証の結果と、ネットの投稿ログを組み合わせると、おそらく夜11時から深夜0時のあいだに殺害された可能性が高いそうです。」
分析チームの同僚からだ。
朝霧は口元に手をやり、素早く返信する。
「了解しました。そちらのデータをメールで送ってください。」
パソコンの画面に届いた資料を開くと、日向の自宅付近で目撃された不審な人物や車の情報がいくつか報告されていた。
しかし、どれも決定的な証拠にはつながっていない。
朝霧は椅子にもたれ、カクヨムのコメント欄を再度チェックする。
ファンたちの投稿は事件の手口や犯人像の推理であふれており、なかには「編集者が犯人?」などという憶測まで飛び交っている。
「噂が拡散しすぎて、真実が埋もれそうだ。編集者だけでなく、水瀬さんや真壁さんの名前も自由に挙がっている。これじゃ混乱するばかりだな。」
呟きを漏らした直後、オフィスのドアがノックされる。
上司が顔を覗かせ、目で「来い」と促す。
「新しい進展があった。すぐ会議室に来てくれ。」
会議室では数人のスタッフがパソコンを操作しながら緊迫した表情をしていた。
モニターにはまた別の書き込みが映し出されている。
「これ、カクヨムのコメント欄に投稿されたばかりのものです。日向先生と直接やり取りしていたと名乗るユーザーがいます。オフ会当日の様子を知っているらしいんですが、書いてある内容に不可解な部分があるんです。」
朝霧はコメントを読む。
@anonymous_user「日向先生はあの日、オフ会のあと誰かと会うって言ってました。編集部じゃない、別の人と。たしか場所は駅の近くだって聞いたけど、先生は何か不安そうだった…。」
「この書き込みが事実なら、オフ会のあとに日向先生が会っていた人物がいることになる。だが、誰もそんな話をしていない。」
朝霧は水瀬や真壁の証言を思い出し、眉をひそめる。
「水瀬さんも真壁さんも、オフ会では日向先生が特に変わった様子はなかったと言っていた。終わったあとどう行動したかはわからないとも言っていたけど、もし誰かと会っていたならアリバイの点検が必要だ。」
一方、花村怜子の動向にも引っかかる点がある。
彼女は四日前の打ち合わせ以降、日向と直接会っていないと証言しているが、社内の資料には不自然な空白があった。
「花村さん、日向先生のスケジュールについては厳格そうなのに、なぜか事件当日の情報が抜け落ちている…。それも気になる。」
朝霧は喉の奥が乾くような感覚を覚え、近くの給湯室でコーヒーを淹れようとする。
だが湯を注ぐ手元がどこか落ち着かない。
マグカップを机に置いて、冷めていくコーヒーを見ながら、頭の中で時系列を組み立て始める。
「日向先生は夜10時半ごろに『助けてくれ、殺される』と投稿。その直後に何者かに殺された。オフ会はその日の夕方〜夜にかけて行われていたらしい。そこに参加した人々は日向先生と別れたあと、それぞれどう動いたのか。」
SNSの履歴や、防犯カメラの映像も順次調査しているが、まだはっきりした証拠は出ていない。
そんなとき、同僚が慌ただしく駆け寄ってくる。
「朝霧くん、ちょっと見て。真壁先生のSNS投稿で面白いことを見つけたよ。事件当日の夜、ツイートをしてるんだけど、時間が微妙に飛んでるというか、あいだに隙間があるんだ。」
モニターをのぞくと、真壁が10時ちょうどに「今日はオフ会疲れたから先に上がるわ」的な書き込みをしている。
しかし次の投稿は深夜1時頃で、たしかに時間がぽっかり空いている。
普通なら帰宅報告などが挟まれてもおかしくなさそうだが、何も書いていない。
「もちろん無言の時間帯なんていくらでもあるけど、真壁先生は日常的にSNSを頻繁に更新するタイプだ。そこに突然ブランクがあるのは妙だよね。」
朝霧は腕を組んで考える。
「ただ、それだけで真壁さんを疑うわけにもいかない。SNSを使わなかった時間があるのは普通のことだし。けど、オフ会後に日向先生と誰かが会っていたなら、真壁さんのアリバイが曖昧なことが気になるのも事実だ。」
しばらく黙り込んだのち、朝霧はカクヨムのマイページを再度開く。
日向が連載していた新作の設定資料らしきものが、下書き状態で残されていると報告があったからだ。
ログイン権限を得ている捜査チームの端末から、その下書きを閲覧すると、そこにはメタフィクションを意識した一文が書かれている。
――「ここからは物語の外側へ。僕は追われている」――
朝霧はスクロールを止め、息をのむ。
「これって、まるで今回の事件と関係があるようなフレーズだな。日向先生は新作でもメタ手法を使うつもりだったのか。投稿される前に殺されてしまったってことか…。」
ファイルをめくり、さらに何か手がかりがないか探す。
「あの『逆さに沈む月』でも、犯行現場を隠すために複数の時間差トリックが使われていた。今回の事件にも時間のズレが出てきている。まさか、そこに意図があるんじゃないか…。」
朝霧は思考を巡らせながら、真壁や水瀬、それに花村の証言時間やSNS更新時刻を一覧表に並べ始める。
「ほんの数十分の誤差が命取りになるかもしれない。でも必ず何かのヒントが隠れているはずだ。」
整理を進めるうちに、わずかだが奇妙な食い違いが見え始める。
水瀬はオフ会終了時刻を『確か9時半ごろ』と証言していたが、真壁は『10時過ぎに店を出た』と話している。
花村は『日向と最後に会ったのは四日前』ときっぱり言っているが、社内記録の一部では事件前日の夜に短い面談の予定が入っていた可能性を示すメモが見つかる。
「誰かが嘘をついているか、記憶違いをしているか。だけど、記憶違いにしては曖昧すぎる。」
デスクの上に拡げられた証言メモやログのタイムスタンプを見比べるうち、朝霧の胸に重さが増していく。
「それにしても、あの下書きの一文は何を意味しているのか。『物語の外側』という言い回しは、日向先生が書くメタフィクションの真骨頂とも言える。あれをヒントと捉えるべきだろうか…。」
夕刻が近づき、窓の外が茜色に染まり始める。
朝霧は疲れた表情でパソコンを閉じるが、頭の中は次の一手を探る思いでいっぱいだった。
「みんなが言う“あの日”のオフ会は本当にただの作家同士の交流だったのか。オフ会後に日向先生が会ったという謎の人物は誰なんだ。」
考えあぐねた末、朝霧は再びSNSを開き、読者の推理投稿を流し読む。
なかには「日向先生は新作の伏線を現実に仕組もうとしていた」などという憶測もあるが、確信を得るには程遠い。
事件当日、それぞれがどこで何をしていたのか。
一人ひとりの言動を洗い直す必要があるという結論にたどり着く。
朝霧は立ち上がり、ジャケットのポケットからメモ帳を取り出す。
「タイムラインをもう一度整理して、誰が嘘をついているのか突き止める。作中作の鍵も合わせて考えなければ。日向先生の意図を無駄にしないようにしよう。」
誰もいないオフィスに静けさが降りる中、朝霧は足早に部屋を出る。
廊下を進みながら、今度こそアリバイの綻びを見逃さないと心の奥で決意する。
彼は携帯を取り出し、容疑者たちの連絡先をスクロールしながら、どこから突き崩していくか思案していた。
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