第9話 …また、あなたですか

 教会から離れたレオハルトは街の奥の方に向けて走っていた。

 時折聞こえる爆音を背中で聞きながらも、荒れた街の中をただひたすらに走り続ける。その理由は、ミーネットの言っていた言葉だった。


 ―……おじさんとおばさんは奥の方の街に居るって言ってたよな。でも、これだけすごい音が鳴っているんだ。娘を心配しないわけが無い。


 そうしてしばらく道なりに走り、考えを巡らせている時だった。走り抜けようとした街道へと視線を向けると、突然目の前に人がゆっくりと落ちてきたのだ。


 咄嗟に身を隠そうとするレオハルトだったが、降り立った人物を確認すると思わずレオハルトは声を上げて身を乗り出していた。


「……アミナ?」


 その声に人影の一つが反応した。つい先ほど見たばかりで見間違うはずもない。

 銀色の髪をなびかせるその姿は、確認するまでも無くレオハルトが呼んだ張本人―アミナだった。


 しかし、どうやら降りて来たのは彼女だけでは無いらしく、近くへと降り立ったもう一つの人影はアミナよりも奥に立つと遠巻きにこちらを見ていた。


「レオ……?」


 まるで言葉を覚えたての赤ん坊のような拙さでアミナはそう言って振り返った。それと同時に距離を取りながら様子を見ていた人影が近付いてくると、まるでアミナを守るようにレオハルトの前へと立ち塞がる。


 それは、昼間に出会ったアミナの保護者を名乗るレイシアという少女だった。美しい金色の髪をなびかせるレイシアは、警戒心を解こうともせずに強い口調でレオハルトへと言葉を投げ掛けてきた。


「……また、あなたですか」


 突然、目の前に見知った顔が現れ困惑するレオハルトだったが、それと同時に嫌な予感が頭を掠めていく。


 目の前に立つ二人は間違いなく『空から落ちてきた』―それも慣性を完全に無視した落下速度でゆっくりと。


 征錬術にそんな技術は存在しない。もちろん、空を飛べる技術が他にあるという話など聞いたことも無い。


 しかし、たった一つだけ、その常識を破りかねない存在がある。文献に記載されている『魔術師』―彼らであれば、それは可能だ。


 何も無い所から炎を出し、空を飛ぶことが出来る―千年前に存在していたとされる『魔術師』。


 その多くは消え、語り継がれるだけだった存在。だが、今こうして母以外にそれを起こしていた二人を前に、レオハルトはまるで幻を見せられているような錯覚を覚え、思わず言葉を洩らしていた。


「……『魔術師』、なのか?」

「…………」


 その問い掛けにレイシアは答えない。しかし、否定の言葉など無くてもそのただならぬ雰囲気は肯定しているも同然だった。


 レイシアの背中へと隠されてしまったアミナはレオハルトの呟きに怯えたような仕草を見せていた。互いの間に言葉は無く、周囲に響く爆発音すらどこか遠くに聞こえてしまうほどの静寂。


 やがて、その静寂に耐えかねたレオハルトが改めて声を掛けようとした時だった。


「―そこに居るのは、レオハルトか?」


 突然、背後から聞こえてきた声にレオハルトが振り返ると、そこに一人の男が立っていた。年齢の為か少し痩せ細り、険しい顔立ちをした男性の顔を確認すると、レオハルトは安堵の息を吐く。


 その男性こそ、レオハルトが探していたミーネットの父親だったからだ。

 息を切らせ、額から汗が流れているのを見たところ、恐らくミーネットを心配して探しに来ていたのだろう。


 そうして、レオハルトが意識をミーネットの父親に向けていた時だった。


「……っ」


 周囲に強い冷風が巻き起こり、レオハルトはその勢いで一瞬だけ視線を逸らす。そして、その冷風の発信源がアミナ達の方向から来たものだと気付きすぐに振り返る。


 しかし、時すでに遅く、レイシアがアミナを連れて再び空に飛んでいた。


「おい、待てっ!」


 レオハルトの制止の言葉も虚しく、アミナ達は一瞬だけ振り返ったもののすぐにその場を去って行ってしまった。ミーネットの父親のことを思い、追うことを躊躇ったレオハルトは去っていく彼女達の後姿をただ眺めるしかなかった。


 そんなレオハルトへと後ろから再び声が掛けられた。


「レオハルト……何故、君がここに居る?」


 しかし、その声はレオハルトを咎めるように低く鋭いもので、緊急事態で気を張っていることを差し引いたとしても厳しいものだった。だが、レオハルトはそんなミーネットの父親の言葉を受けつつも、表情を変えないままゆっくりと振り返る。


「あなた達を探しに来ました。……ミーネが不安がっていましたから」

「ミーネが……? ミーネは今、どこに居るんだ?」

「落ち着いて下さい。ミーネはすでに教会の方へ避難していますので安心して下さい。今は教会に避難してきた人の誘導をしていると思います」


「そうか……それは良かった……」

「それより、おばさんが見当たらないようですが……」


 辺りを見渡してもミーネットの母親らしき人物の姿は見当たらず、レオハルトが問い掛けると、ミーネットの父親はゆっくりと告げた。


「妻もすでに向こうで避難している。こちらに比べて向こうは安全だったからな。そんなに避難には困らなかったよ。……それより、君に聞きたいことがある」


 娘の無事に安心し、一瞬だけ緩んだ表情を見せたミーネットの父親だったが、すぐに表情を引き締めると、乱れていた呼吸を正す。


 そして、並々ならない雰囲気で黙り込むと、やがて静かにレオハルトへと問い掛けた。


「君は……まだ、娘の―ミーネの近くに居るのかね?」

「…………」


 唐突に告げられた父親の言葉にレオハルトは手を握り締めることで応えた。その姿を見たミーネットの父親は一瞬痛ましそうに表情を崩すものの、懇願するように言葉を続けた。


「君のことだ……大方、ミーネを助けてくれているのだろう。……ありがとう」

「……いえ、礼を言われるほどのことではありませんから」


 レオハルトはミーネットの父親の顔を正面から受け止めることが出来なかった。感謝の言葉を受けても素直に喜ぶことは出来ず、視線を逸らして顔を合わせないようにしている。


「だが―」


 そんなレオハルトの反応にミーネットの父親も気付いているのか、改めて指摘することもなく、冷たく言い放った。


「―もう、娘と関わらないで欲しい」

「…………」


 そうして告げられた言葉は、レオハルトに重く圧し掛かった。それは、未だミーネットと距離を置くことができないレオハルトにとって、あまりにも残酷な言葉だったからだ。


「私は君の父とは仲が良かった。それに私達自身、君を家族のようにも思っていたからこそ、両親の居なくなった君を引き取った。……しかし、君は私の娘を『傷付けた』。……もう、一生消えないかもしれない傷を、な」

「…………」


 脳裏に浮かぶ血だらけの彼女。幼い自分が起こした事故によって傷付けたにも関わらず、彼女は自分に笑い掛けてくれていた。


 それは今も変わらず、傷付けてしまった現実から目を背けるように、レオハルトはそんなぬるま湯に浸かったような現状を受け入れていたのだ。


 しかし、それはいけないことだ。ミーネットの父親が言う通り、傷付けたのは他ならぬ自分なのだ。


「君の父親には随分世話になった。だから、君を悪く扱うつもりは無い。……資金や学費の援助はこれからもするし、何か他に困ったことがあれば、頼りにしてくれて良い。なんでも相談に乗ろう。……ただ、娘を―ミーネをもう、傷付けて欲しくないんだよ」


 その言葉は一つ一つ、まるで刃物のように胸に突き刺さる。自分自身の罪―幼少の頃とはいえ彼女を傷付けた事実は変わらない。


 例えミーネットが笑顔で居てくれようと、その罪から逃れようと思ったことは一度たりとも無い。それを自覚しているからこそ、レオハルトは彼女との距離の取り方に苦労していたのだ。


「……そうですね。僕は彼女を傷付けた。……彼女の傍に居る資格は無いと思います。でも、―」


 自覚はあった。だが、それは『普段ならば』だ。

 こんな非常事態―それこそ、彼女に危険が及ぶのなら、と……レオハルトは爆音に負けないほどに強い声で覚悟を言い放った。


「ミーネが危険な目に遭うのなら、僕は彼女を守ります。例えあなたにどう言われても……それは変わりません」


 幼い頃から近くに居て、まるで姉のように自分に接してくれたミーネット。何よりも大事な彼女を傷付けてしまった罪悪感は彼女を守ることでしか消すことは出来ない。


「自分がした行いのけじめは、例え誰に言われようとも自分で付けるべきだ」


 レオハルトは幼少の頃から父にそう教わっていた。

 その意思を伝える為に、レオハルトは怯むことなくミーネットの父親の顔を正面から見る。互いに顔を向け合い、しばらくの間静寂が流れたが……やがて、ミーネットの父親はゆっくりと深い溜息を吐いた。


「……やはり、君はあいつの息子だ。本当に良く似ている」

「……似ている? 父さんに……ですか?」


「ああ、そうだ。あいつは例え周りが間違っていると言っても、自分が正しいと思ったことを貫き通せる人間だった。私には到底無理なことだったが……その結果、あいつはあんなに大きくなった。……本当に良く似ているよ」


 父親のことを話され、レオハルトがどうして良いか分からずに居ると、ミーネットの父親は突然背中を向けた。そして、静かな声でまるで懺悔するように言葉を返してくる。


「君とは久々に話した気がするよ。……『あの時』から私達も君もお互いを避けてきたからね。……いや、むしろ避けていたのは私達の方か」

「……おじさん」


 レオハルトが驚きの声を上げると、ミーネットの父親は一瞬だけ笑顔を浮かべる。そして、表情を引き締めると、街の奥の方へと視線を向けた。


「私は妻が心配なので一度戻るよ。『防衛軍』にはすぐに教会の方へ向かうように伝えておこう。……こんなことを頼める立場では無いのは分かっているが……すまない、君は娘を頼む。ただし、危険だと思ったらすぐに逃げなさい。……私にとっては君もミーネも大事な子供なんだ」


 掛けられるとは思わなかった言葉を受け、レオハルトは思わず言葉を失ってしまう。しかし、こんな緊急時に止まってはいられない。


 次の瞬間には姿勢を正すと、レオハルトは胸に誓いを立てた。いつか彼女を守ると約束したように。


「はい。……ミーネは、必ず僕が守ります」

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