乱世に咲く一輪の花
ほしのしずく
第1話 我を信じてくれたそなたの為に
そなたは、不満を言うこともなく我と共に戦地を駆けてきた。
ただひたすらに乱世を終わらせるその一心を胸に。
我は、そなたの想いに気付いていた。
だが、主君としてその想いに応えることはできなかった。そなたは美しく自分のものにしたいという気持ちもあった。
しかし、そのような感情は今の我には不要であり、そなたもそれを知ってか臣下として、また他の者を納得させる為、愛妾という形で傍にいてくれた。
本当に頭が上がらない存在だ。
☆☆☆
源氏からの追手を振り払う為、とにかく前に前に馬を走らせてきた。
「ハァハァ……」
先陣を切ってきた巴に一番疲れが見える。
色鮮かだった甲冑も返り血で赤黒く染まり、後ろに束ねた美しき髪も乱れている。
無理もない。
1人で何百という敵将を討ち取ってきたのだから。
他の者は――。
周囲を見渡すと残った者は僅か5騎。
出陣した際は1600騎以上いたというのに。
それに――。
まだまだ後続は途絶えそうにない。
少し遠いが後方には、追手が見える。
臣下たちに聞こえぬよう1人呟いた。
「やはり、振り払えなんだか……」
この分だと、追手の先鋒と数分後には交戦することになる。
しかし、皆、覇気を無くしほぼ敗走兵と化している。
ならば――。
「ふふっ、さすがは我が背中を預け続けた女傑よ! あの数を相手に生き延びるとは! お主らも大義である。我は良き臣下を持った」
「当然です。
巴の覇気のある声により、残った臣下たちの目にも僅かだが。闘志が宿る。
巴よ、本当にそなたは真に強き者よ。
そして、我が今欲しい言葉を必ずくれる。
臣下として見ると誓った。
そなたが我の為にそうあろうとしたから。
主君として、武士として背中を預けてきた。
恋心なぞ、抱かぬ。
そう、自身に誓った。
我を心から信じてくれるそなたの為に。
――なのに、何故だ。
今になって胸が締めつけられるのは。
そなたはいつもと変わらぬというのに。
「うむ……心強いな! では、最後まで付き合ってもらうぞ!」
「はい! お任せ下さい!」
☆☆☆
「ふぅー……」
後ろから巴の息遣いが聞こえる。
ため息とまではいかないが。
先程までの覇気はない。
だが、無理もない。
5騎だった仲間も我と巴を入れて3騎。
もうここで潮時なのかも知れないな。
惚れた女と共に死を迎える。
乱世の中では1つの幸せなのかも知れぬ。
しかし、我にとっては――。
「巴よ、そなたは女だ! 未来を生きろ!」
「は……はい?」
「どこでもいいから落ちて行けと言っておる!」
「な、何を言っておられるのですか?! 私は義仲様、貴方様の臣下なのですよ?! それを――」
「よいか。これは我の名誉の為である。もしこれがこの戦いが後世に残った時、木曽殿は最後まで女を連れていたとあってはあまりにも聞こえが悪い」
すまぬ。最後まですまぬ。
我が真に強き者であれば「一緒に生き延びるぞ」という言葉を掛けれたのだろう。
だが、これが精一杯だ。
ここで追手と対峙し、そなたが逃げおおせる時間を稼ぐ。
それしか浮かばなんだ。
本当にすまぬ。
どうかどうか、生き延びてくれ。
「ここには、強き者がいませぬなー! 義仲様に私の最後の戦いをお見せ申し上げたいというのに」
「な、何を言っておる! 早く逃げよ!」
突き放したというのに、巴は逃げることなく。
我の後ろ、追手が迫ってくる方へと馬を向けた。
「申し訳ありませんが、これも臣下の務め、いえ! 巴、最後のわがままでございます。どうか諦めて頂きたく――」
そう述べると、この場に残った敵兵を品定めするかのように斬り捨てていく。
すると、馬の駆けてくる音が聞こえ始め。
同時に覇気のある声が響き渡った。
「我はこそは、武蔵国の
口上、述べた者は武蔵国でも力持ちと名高い強敵、御田八郎師重。
「もはや、これまでか……」
自然と言葉が零れ落ちた。
武士として生きてきた。
なので、覚悟はできている。
我が死を覚悟した時。
目の前にいた巴があろうことか、単騎でその軍勢の中へと飛び込んだ。
「ぐっ! 何奴!」
「私は――」
巴は強引に田八郎師重の馬に自身の馬をピタリとつけ、その腕を掴み馬から引きずり落とし。
流れるような動きで、自身の馬の鞍を外し、前輪部分を首元に押し付けた。
「う、動けぬ!」
あの屈強な大男である田八郎師重が子供ようにあしらわれ、命を奪われようとしている。
その間、僅か数刻。
我を含めた、兵たちも息を呑むほかなかった。
我がその体捌きに感心していると、余韻に浸ることもなく。
決着がついた。
「私は――木曽義仲様にお仕えする、巴御前と申す」
巴の勝ちだ。
死する敵を目にしても動じず。
血飛沫を浴びようとも、顔色1つ変えることもない。
清々しい表情をしているようにも見える。
傍から見ると恐ろしく映るだろう。
だが、我にはどこか儚げで美しいと感じた。
乱世に咲く一輪の薔薇のように。
「大変、大義であった。もう良い。生き延びてくれ。巴よ」
もう十分だ。
臣下として、最後まで命を賭し我を守ろうとしてくれた。
今になって思う。
我は慕っていた。
そなたを女として慕っていたのだろう。
一騎当千の猛者であろうとも、返り血を浴び顔色を変えなくとも、どの立ち振る舞いも我には美しく思えたのだから。
だから、もう十分。
胸を締めつけた自身の想いに気付けた。
それで十分だ。
「大変……大変、お世話になりました。また何処かで――」
巴はそう告げ、振り返ることなく東国の方へと駆けていった。
速く駆ける為だろう、防具を捨て。
返り血を吸った上着も捨てて。
どうか、生き延び。
どうか、そなたを愛する者と添い遂げ。
どうか命尽きる、その時まで幸せであるように。
そう願い胸の内で別れを告げた。
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