「私小説の難しさ」への応援コメント
個人的には、(嘘をつかなくても)「その前後のことを何も覚えてない」ことを「掘り下げた作品」の可能性を追求してみるのも面白そうに思います。(そのように書いて欲しいという意味ではありませんので、誤解なきよう。)
作者からの返信
いつも読んでくださってありがとうございます。
「私小説を書いてます」と言って私小説を書くのは、無謀な試みだと感じてきました。もちろん最初からいくらかはそう思っていたので、当初は(今も説明書きには)「私小説(みたいな)」小説ですって書いているんですが。でも、何作か続けていくうちに、「私小説って言ってしまってるから、できるだけ嘘を混ぜたくないな……」という意識がもたげてきてしまっていて、これはよくない傾向だなと感じています。もっと虚実のあわいの虚に寄ったものが、本当は書きたかったはずなんです。太宰治の書きぶりが、やっぱりちょっと好きみたいだから(太宰さんはあれでかなり虚寄りだと思うので)。もともと私小説のパロディをやるつもりだったのに、自分の真面目な面が悪く働いてしまっているように思います。今後はもっと自由に書きたいです。そのためには早く「私小説」という看板を下ろしたい……。
「ウィトゲンシュタイン」への応援コメント
たしか哲学が必要ないことを論理的に証明したんでしたっけ?ちがってたらすいません。ぼくはウィトゲンシュタイン小辞典、読むの止まってまあす!!
作者からの返信
ウィトゲンシュタインは読んでも読んでも分からないのに、ときどきまた読もうとしてしまいます。いつかもうちょっと分かるんじゃないかなぁ? と期待してるんですが。そのいつかがいつくるのだか。
「小説の『語り方』」への応援コメント
ぼくの好きな小説、ベスト10を選んだら、9つ一人称の小説でした!!かんたんかなー、どうなんだろう、そういう見方もあるかもですね!
作者からの返信
ぼくも、好きな小説ベスト10中の一人称小説を数えてみました。……。はっきりと一人称小説は3つでした。意外と少なかったです。一人称の部分を含む小説というのが、それ以外に2つありました。
「小説嫌い」への応援コメント
コメント失礼します。
摘まみ食いのように読んでしまってすみません。つい、タイトルに惹かれてしまい……素敵な思索をなされているのですね。
不勉強の為ジョイスは未履修なのですが、なかなか苛烈な信条をお持ちの方なのですね。
ただ私もプロットを重視しない方なので、共感する部分もあります。巧みなプロット自体を非難するつもりはありませんが、プロットや分かりやすさ、インパクトの為にキャラクターが動かされている、何かを犠牲にしていると感じる場合は、自分向けではないなと思ったりします。ある種、商業主義的な臭いを感じてしまう、ということもあるのかもしれません。
西添様のおっしゃる「感情の嘘」の含意についてはまだ分かりませんが、それこそプロットの為に感情に嘘をつくようなことはしたくないな、という風には思います。
作為を感じさせない巧みなプロットには憧れます。
ありがとうございました。
作者からの返信
文学史的なものを読んでいると、20世紀の多くの作家がジョイスの影響をすごく受けているっていうので、「みんなジョイスから何を学んだんだろう?」と思って、一所懸命ジョイスを勉強をしてます。
19世紀小説って、バルザック(仏)でもディケンズ(英)でもドストエフスキー(露)でも(他の誰のでもたいてい)、偉大な小説ってプロットで小説を作っていたように思うんです。
ジョイスさんが「プロットで小説を作らない」って考えたときに、じゃあいったい何で小説を作ろうとしたんだろう? と思って、せめてこのことくらいははっきり理解したくて、この数ヶ月ずっとジョイスさんの勉強をしてました。
それでちょっとは理解できたことがあるので、いまぼくが小説を書くときには、そのジョイスさんから学んだことを自分の仕方で実現する、っていうことをやってます。
ジョイスさんから学んだことだけでやろうとすると、縮小再生産になっちゃうから、それ以外から学んでいることや、自分の資質にあるものもできるだけいっぱい入れた小説を作ろうって、してます。なかなかうまくやれないんですが。
コメントありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いします。