里帰り編15 遊んだからにはお仕事します⑦名前があります

 ルシーラと燻し小屋の中の掃除をしていた。小屋の外の雑草が伸びて枯れてしまい見栄えが悪くなってきたので、トニーとテオとマロンに手入れを頼んでいる。


『ティア、たいへん!』

『ケンカ!』


 クーとミミが小屋に飛び込んできた。とにかく興奮していてぴょんぴょん跳んでいる。


「え」

「どうしたの?」


 ルシーラに答えもせず外に飛び出せば、トニーとテオが取っ組み合いの喧嘩をしていた。

 わたしについて来てくれたルシーラがトニーを羽交い締めにし、わたしがテオを押さえる。


 仲良くできていると思ったが見通しが甘かったようだ。あーあ、殴るまでしたか。顔に引っ掻いたような痕や赤くなっている箇所がある。どっちかが優勢というわけでもなく痛み分けみたいになっている。


「トニー、何があった?」

「テオ、どうしてこんなことになったの?」


 ルシーラと同時にふたりに聞いていたけれど、睨み合うだけで答えない。


「マロン、見てたよね? 何があったか教えて」


 マロンが口を開こうとすると。


「マロン」


 テオが遮る。するとマロンは下を向いてしまった。

 わたしはルシーラと顔を合わせる。


「とりあえず、手当てしよう」


 引きずるようにして家に連れていく。ルシーラにこれぐらいでポーションは使わない方がいいと言われたので、傷口を洗って消毒するだけだ。

 落ち着くようにホットミルクを入れる。


「で、仲直りはできそう?」


 ふたりに尋ねてみる。マロンはおろおろしてふたりの顔を窺い、ふたりはお互い睨み合う。


「別におれは何とも思ってねー。ただこいつが殴ってきたら応戦したんだ」


「テオが先に手を出したの?」


 尋ねるとテオが下を向く。


「テオは理由なしに手を出すような子じゃないから、何か思うことがあったんだね。でも、手を出して痛い思いをさせた。トニーもやり返して痛い思いをさせた」


 テオはびくっとしてわたしを見上げる。そして一度口をキュッと結んでから


「手を出したことは謝る。ごめん」


 素直に謝った。チラッとトニーを見ると、トニーはルシーラの視線を気にして


「やり返しただけだけど、怪我させた、ごめん」


 と謝った。


「すぐには無理かもしれないけど、ふたりはいい友達になれそうだね」


 わたしがいうと、ふたりともすんごい顔をする。


「殴りあったのに友達かよ?」

「ねーちゃんの考えはわかんねー」


 わたしは笑う。


「お互い本気で向き合えるのは、それだけで相性がいいんだよ」


 ふたりともわたしに疑わしげな視線を投げてから、お互い目を合わせてる。

 うん、思いつきでいったけど、なかなか気が合うんじゃないかなふたりは。

 体中ミルクまみれになってしまったクーとミミをタオルで拭きながら、そんなことを思っていた。



 テオとマロンを宿舎に送り届け、居間に戻ってからトニーに注意する。

 トニーは悪い子じゃない。かなり自分の心に素直なだけだと思う。言葉にためらいがないから他人を傷つけがちだ。多分、酷いことをいっぱい言われてきたんじゃないかと思う。だから自分も言うことにためらいがない。


「言葉ってのは、案外簡単に人を傷つけるよ」


 トニーは鼻で笑った。まだ12歳というのに、それがすごく様になっている。


「何言ってんだ。言葉がどうやって傷を作るんだよ。あんなー、オレは今まで酷いこともいっぱいされたし、いろんなこと言われてきた。殴られれば痛いけど、何か言われたって、痛くもねーし、腹もふくれねー」


 ……そうか、トニーは自分の痛みに気づいてないんだ。いや、気づかないように無意識にしているのかも。


「じゃあ今から、言葉だけでトニーを傷つける。いい?」


 トニーは頷く。ルシーラが心配そうにわたしとトニーを見比べる。トニーは腕を組んで顔を背けながらわたしを見ている。


 トーマスからの情報によると、トニーは何度か拾われ何度か捨てられ、その最後の場所が港だったと思われる。それからは孤児たちの集団に混じっていたようだが、赤い目を理由に仲間外れにされがちで、同じく仲間外れになりがちなハーフの子たちと連携をとって盗みなどをして暮らしていたらしい。


「トニーって名前は誰がつけてくれたの?」


「さあな。拾われた時、名前を聞かれてトニーって言ったらしい。それがなんだよ?」


「変な名前」


 間髪入れずに抑揚なく、ただ聞き取れるように呟く。

 トニーはわたしを見たまま、は?という顔をして、なんだよそれといおうとしたんだと思う。でも表情は繕えず顔が微かに歪んだ。


「それが傷ついた痛みだよ」


 わたしはトニーを抱きしめた。


「傷つけてごめんね。変だなんて思ってないよ。誰がつけたにしろ、トニーはそう呼ばれてきたんだよね。それはトニーが持っていたものだよ。人は自分や自分の持ち物を貶されたり否定されると悲しくなるんだ」


「……別にオレは」


「ちゃんと心を感じて。わたしは言葉でトニーの心を傷つけた。心は取り出して見ることはできないから、わかりにくいこともあるけれど感じてるはずだよ。嫌な気持ちになったでしょ? 泣いていいよ。わたしから傷つけられたんだから、涙で自分を癒していいんだよ」


 もし心を見ることができたら、傷ついてるのが見てとれるとしたら、人は誰かを傷つける回数を減らすことができるんだろうか。


「オレは傷ついてなんかない。泣きたくなんかない」


 振り切ろうとするのを押さえつけて、頭を撫でる。


「痛かったね」


「痛くない」


「泣いていいよ」


「泣くようなことじゃ……」


 振り切ろうとする力も弱まってくる。

 クーとミミはわたしの肩の上で固まっていたけれど、今はトニーのほっぺたを舐めて慰めようとしている。そしてトニーは心と向き合おうとしている。


「それが心の痛みだよ。傷つくと痛いよ。それに傷つけたわたしも痛いんだ」


 トニーは驚いたようにわたしを見上げる。


「言葉さえもナイフみたいに人を傷つける。そして傷つけた方も痛いことなんだよ」


 トーマスは言っていた。トニーは、トニーたちは大切にされた記憶がないから、善悪を気持ちで推し量るように導くのは難しいだろうと。だから、知っている感情に名前があると伝えることから始めようと思う。


「おれ、あいつに痛いことしたのか?」


 テオのことだね。


「聞いてないから何があったかは知らないけど、テオは理由がないのに殴りかかるような子ではないよ」


「体を傷つけたら手当てするだろ。心の時はどうするんだ? 泣かせればいいのか?」


 さっき泣いて癒していいと言ったからだろうか、癒したいと、治してあげたいと思っているんだ。


「わたしだったら、悪いことをしたと思ったら謝る。何をして傷つけたのか、わからなかったら今後傷つけないために聞くこともするかも」


「それから?」


「それからはどうなりたいかによるね。ただ自分がスッキリするためなのか。許してもらいたいのか。相手のことをもっと知りたいからなのか」


 トニーは少し下を向き、ルシーラを見て、わたしを見てから


「行ってくる」


 と外に走り出して行った。

 ルシーラと顔を見合わせて、微笑わらう。

 また新しい感情がトニーに芽生えた。

 それは、悪いことをしたからの懺悔の感情じゃなくて、それがテオと仲良くなりたい、あなたにもっと近づきたいって気持ちだよ。わたしは心の中でトニーにエールを送る。


『ティアも痛いの?』

『どこが痛い?』


 ふたりがわたしのほっぺを舐めて癒してくれたので、わたしはしばらく甘やかされていた。




 牧場を休みにしているから休日なみにしかやることはないが、何かしら作業をしてくれれば日給は払うことにしている。でも実際やることがないなら給料はいらないから休みたい人もいるかもしれないと思い、そこは個人の自由に任せている。けれど休みをとったのは2人だけ。急に入ってくるはずの収入がとぶのは痛いからだろう。

 まだ牧場再開の見通しが立っていないことなどを伝えるために宿舎に来たのだが、話し声が聞こえてきた。


「でも、違法薬物なんて……」


「オーナーが所持していたかどうかも、まだはっきりしていませんのに、そんなこと口にするものではありませんわ。その一言でこの牧場の運営が危うくなるかもしれませんのよ?」


 意外だ。ゼフィーさんはこの牧場のいく末を憂いでくれているらしい。

 ペクさんがわたしを見て頷く。入りますよの合図と思ってわたしも頷く。

 軽いノックの後に、ペクさんが従業員たちの休憩所のドアを開ける。

 続いてわたしも入る。遠慮ない視線が突き刺さる。


「みなさん、今回はこのような騒動になり、長引き申し訳ありません」


 頭を下げると質問が飛び出す。


「いつまで休むんですか?」


「ホルスタたちの健康の確認が取れてからの再開となります」


 健康においてはもう大丈夫だろうとの見解だが、ホルスタから取れたミルクを今一度、鑑定に出している。これで問題なければホルスタに問題ないと言えるひとつの目安にできるだろうと思っている。


「オーナーへの疑いは晴れたんですか?」


「いえ、まだのようです」


「では、牧場はどうなるんですか? 評判が落ちてお客さんが来なくなったりしたら」


「その場合、オーナーが変われば、評判は変わらないのではなくて?」


 とゼフィーさんが言った。

 ヲイ。


「どう転んだとしても、……再就職先を探すことになってもお手伝いしますので」


 そこまでいえば、皆が少し落ち着いた。

 わたしがいると聞きにくいこともあるだろうと、あとはペクさんに任せて部屋をでた。

 ゼフィーさんが追いかけてくる。


「オーナー、少しお話させていただけますか?」


 わたしは頷く。


「ええ、大丈夫ですよ」


 わたしたちは連れ立って、従業員の宿舎から外へと出た。

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