第六話

 僕は背後からスカーレットにがっちりと拘束され、身動きすらままならない。そこへ空から降ってきた布製の何かが、ぱさりと頭上から覆いかぶさった。視界が一瞬で真っ暗になる。


 人は視界を失うと他の感覚が鋭くなるという。鼻を刺激するのはスカーレットの柑橘系の香水の香り。耳をつんざくのは、男たちの怒号から一転した悲鳴やうめき声。それが、まるでこの世の痛みを凝縮したかのような響きになって路地にこだまする。味覚は――今は関係ないので置いておこう。



 その時、視界が晴れた。目の前を覆っていたシルクの布が落ち切った。目の前にはすでに男が三人蹲って股間を抑えている。顔には脂汗が浮かび、目は見開かれて口の端からは泡を吹いている。

 彼らのそばには僕の足元にあるのと同じベッドのシーツがいくつか山を作っていた。これで視界を封じて奇襲したのだろう。


 男として同情するが、自業自得だ。


 残りはリーダー格の巨漢だけだ。


 彼と対峙しているのはデニムパンツにオーバーサイズのシャツを着た短髪の女性だった。顔は見えないが、やはり僕はその女性のことを知っていた。


「ヴァイオレット!」


 名前を呼ばれたヴァイオレットは顔を半分だけこちらへ向けて口元だけで笑う。


「……アナ、大丈夫?」

「ええっと、多分。スカーレットに折られてなかったらね」

「大丈夫だって!ちゃんと手加減したもん」

「……そう」


 僕らの会話のあいだ、巨漢の男は動かない。というより動けないのだろう。取り巻きを一瞬で失い、さらに謎の女がいつの間にか現れた状況に対応しきれていないらしい。


 男は焦った様子で声を荒げた。


「クソッ!何なんだよ!お前は!」

「……私は、ヴァイオレット」


 聞かれたから答えましたとばかりにヴァイオレットの平坦な声が返される。


 いぶかしげな顔の男を無視してヴァイオレットは続けた。


「……あなたはジュドー・セン。三十八歳、土木作業員。三日前、ファルコーネファミリーの幹部から宝石を盗んだ」


 その言葉に男は飛び上がる。いつの間にかヴァイオレットの周囲が凍り付いたように冷たい気配を放っている。

 ヴァイオレットの言葉は続く。


「……その服も、サイズが随分と合っていないようだけど、それも盗んだもの?」


 男のパンパンではち切れそうなスーツを冷たい目が見下ろしている。

 ジュドーは先ほどまでのふてぶてしい態度から一転、顔を真っ青にした。唇がわなわなと震え、力んでしまって肩が上がっている。

 それでも一握りの勇気を振り絞ってヴァイオレットへ突進した。振り返って逃げようにも彼女に背中を向けるのが恐ろしかったのかもしれない。


「う、うるせえ!どけ、どけ!」


 ジュドーはどすんどすんと石畳を踏みつけながらこちらへ向かってくる。巨体に似合わず意外と素早い。その勢いのまま腕を大きく振りかぶってヴァイオレットへ向かって渾身の右ストレートを繰り出した。ヴァイオレットは動かない。


 ピッと拳が宙を切る音が虚しく路地に溶けて消えた。拳はヴァイオレットがいたはずの場所を素通りして男は体勢を崩した。


「……あなたの罪はもう一つある」


 いつの間にかジュドーの背後に回っていたヴァイオレットが後ろへ思い切り足を振り上げた。

 ジュドーは拳を振りぬいた形のまま止まっている。


「……あなたはマダム・スタルカの『商品』を傷付けた。代償を払わなくてはいけない」


 男の拳とは比べ物にならないような音とともに豪風が僕のところまで届く。彼女の足が男の股の間から顔を出した。




 チーン、という音が聞こえた気がした。同時に男が白目をむいてくずおれる。僕は思わず顔をしかめた。想像もしたくない。




 騒ぎを聞きつけたのか、僕たちの頭の上では窓を開けて観戦している野次馬たちが顔を出していた。この様子だと憲兵がくるのも時間の問題だろう。


「ヴァイオレット、スカーレット。この人たちどうするの?」

「……マダムは二度と顔を見せられないようにしてこいって言っていた」

「だ、だから股間だけ狙ったの?」


 コクリとうなずくヴァイオレットに僕は呆れる。マダム・スタルカはそういうつもりではなかったはずだ。ファルコーネファミリーに引き渡すか憲兵に引き渡すか、捕まえて闇オークションにでも流すつもりだったのだろう。憲兵以外は男性機能を失う方がマシだっただろう。けれど、この先ファルコーネファミリーが諦める保証もない。そうなると潰され損だ。


 けれど、さっきも言った通り自業自得だ。ファルコーネの幹部のものを盗むなんてこの街に住んでいる人間がやるとは思わなかった。自殺志願者でも方法くらいは選ぶ。


「……スカーレット、そろそろアナから離れて」

「えー?いいじゃん。久しぶりに姉弟の温もりを感じたいじゃん」

「……離れて」

「はいはい。怖いねー?アナ?」


 冷たい視線に貫かれたスカーレットが肩をすくめて、しぶしぶ僕の体から離れる。ようやく大きく息を吸い込める。呼吸が甘いことが幸せだとは思わなかった。

 僕が何度か深呼吸しているとヴァイオレットがペタペタと僕の体のあちこちを触って怪我をしてないか確認している。


「……うん、折れてなさそう。でも、一応マダムのとこに来る?ポーションがある」

「マダム、なんて言わなくていーって。ポン引きババアだよ、あの人は」


 僕は苦笑して答えた。


「実はそのマダム・スタルカに会いに来たんだ」

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