第19話 神へ抗う力
シードは静まり返った宮殿の廊下を歩きながら、ふとイリューフェの言葉を思い返していた。
(感情を殺してまで『守りたいもの』……?)
その問いは、冷たく澄んだ彼の心の表面に小さな波紋を残す。
だが、答えを求めるつもりはなかった。
守るべきものを決めるのは、自分ではない。
それは教皇が定めることであり、自分の役目はその命令を遂行するだけ――ただの「剣」として。
(必要なのは、絶対的な力……それだけだ)
胸の奥に微かに芽生えた痛みのような感覚を、彼は冷静に押し殺した。
イリューフェの声が耳に残っている気もしたが、それすら薄れていく。
――その時、廊下の先に人影が現れた。
白い法衣が月明かりに浮かび上がる――ハイレンス総大司教。
いつもの不愉快そうな表情が、苦虫を噛み潰したように歪んでいた。
「禁忌の魔術書を掴ませ、僕を処刑台へ送るつもりだったようですが……裏目に出ましたね」
シードは冷ややかな言葉を投げつける。
銀色の瞳が、憎悪に染まるハイレンスの緑の瞳を見据えた。
「……とは言え、僕があれに興味を示すことを読んでいたのは、見事な洞察力でしたよ」
嘲るようなその言葉にも、ハイレンスは何も返さない。
ただ、深緑の目に悪意と不快を滲ませ、彼を睨み続ける。
やがて、シードが去っていくその背中を見送りながら、ハイレンスの口元がにやりと歪んだ。
* * *
自室に戻ったシードは、部屋の静寂に飲まれるようにして扉を閉めた。
視線を本棚に移す。そこには膨大な魔術書がずらりと並んでいる。
そのどれもが彼の手によって読み尽くされ、知識として吸収されたものだ。
教国の図書館にある魔術書も、既に網羅した。
「
「もうここには、必要なものはない」
彼は手を伸ばし、一冊の古びた神話の書物を取り出す。
そのページを捲る指先が僅かに震えているのは、興奮の兆候か、あるいは――
書物に描かれているのは、 破壊と創造を司る女神ラナスオル。
ラナスの神々の頂点に立ち、この世界を守護する存在――その力は、三位一体の神によって支えられている。
女神の右手には破壊の神セヴァスト、左手には創造の神フェルジア。
この世界のあらゆるものを生み出し、そして滅ぼす力を持つ絶対的な存在だ。
シードの銀の瞳が、その記述を食い入るように追う。
(教国が、この女神を敵に回す時が来る……)
それは漠然とした予感ではなく、冷徹な現実への洞察だった。
教皇が唱える「死と再生の掟」は、いずれラナスオルの理とぶつかる。
その時、この教国は滅びの渦に飲み込まれるだろう。
「神を殺すほどの力が必要……か」
彼は呟く。
だがその言葉に恐れの響きはなかった。
むしろ、その銀色の瞳には狂気に近い光が宿っている。
胸の奥に渦巻くのは、力への渇望――神すらも打ち砕き、この手に収めるという野心だ。
その手が握りしめる書物の表紙が、微かに軋んだ音を立てた。
彼の指先から、薄らと昏い魔力が漏れ出す。
それはまるで、彼の心の奥底から湧き上がる闇そのもののようだった。
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