葛藤

「じゃあまた来週」


「おう、またな! あと、今日はちゃんと休めよ寝不足」


「わかってるって」


 亮平りょうへいに別れを告げ、正門の階段を下っていく。こんな寒い中でも練習とは、サッカー部は大変だな。そうは思いながらも、誠は内心うらやましく感じていた。熱中できるものがあるというのは、とても幸せなことなのだから。

 道路の脇には所々に雪の山が見られ、そのそばには誰かが雪かきをしたような跡が残っている。前を歩くカップルはマフラーやニット帽を身に付けながら、楽しそうにおしゃべりをしている。

 これからバイトに向かわなければならない。そう考えるたびに、胸が締め付けられる。昨日のことを忘れようとすればするほど、今日も同じ過ちを繰り返すのではないかと心配になる。それに、今日はなんだか頭が痛い。こういう日は大体ミスを連発する。そしたらまた、お客さんから冷たい目で見られるんだろうな……。

 誠の脳内に不安の根がどんどん張り巡らされていく。降り積もった雪が、徐々に誠の体を沈めていく。一歩進むごとに深く、そしてまたさらに深く。

 ……いっそのこと、辞めてしまえば楽になれるのではないか。誠の脳内に甘いささやきが流れはじめる。アルバイトなんて、また見つければいい。こんな辛いを思いをしてまで行く必要ないじゃないか。別に、逃げるわけじゃない。いったん準備期間を設けるだけ、それだけなんだ。

 けれど同時に、ここで引いてしまったらもう戻れないような気もする。なんとなく、そんな感じがするのだ。たしかに、後ろには安寧あんねいの地が広がっている。けれど、一度そこに足を踏み入れてしまえば、きっと僕は帰れなくなる。本能がそう告げているのだ。だからこそ、まだアルバイトは辞めるわけにはいかない。今はただ、耐え続けるしかないんだ。

 寒さか、それとも怯えか、震える右腕を左手でギュッと握りしめる。顔をあげると、すでに水梨みずなし駅の入り口が見えはじめていた。駅周辺はいつ来ても学生やらサラーリマンやら、たくさんの人で溢れかえっている。入り口を抜けて改札をくぐり、駅のホームへとつながる通路を歩いていく。駅内には電車到着のアナウンスが鳴り響いている。

 まだお昼時前ということもあり、ホームにはそこまで人がいないようだ。線路沿いを歩いていき、誠は一番人数の少ない乗車口の列に並んだ。キノシタドラッグはここから2駅分離れており、電車で大体5分くらいだ。短い休憩時間ではあるが、このうちに少しでも気持ちの方を落ち着かせたい。息を大きく吸い、ゆっくりと深呼吸をする。大丈夫、今日もきっと乗り越えられる。自分の体に冷静さが戻ってくるのを感じる。


「あれ? 誠くんじゃない」

 

 突然の声に不意打ちを食らい、誠は体をびくつかせた。後ろを振り返ると、そこには何度もお世話になった先輩である米山淳子よねやまあつこさんの姿があった。

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