クラスルーム・コントラクト

あまねこ

1 新学期のスタート

四月の柔らかな春風が、教室の窓から吹き込んできた。どこか甘い香りが漂うその風は、まるで新しいスタートを祝福してくれているようだった。けれども、藤井結菜(ふじいゆいな)の胸の中にはその風とは正反対の重たい緊張感が渦巻いていた。


「はぁ……また、あの感じになるのかな……」

教室の隅の席に座った結菜は、小さくため息をついた。


結菜は自分のことを「普通の高校生」だと思っている。特別目立つわけでもなく、かといって暗すぎるわけでもない。どこにでもいる、ごく普通の女の子。それがかえって災いしてか、今までの学校生活では目立つ人たちの影に隠れる形で、疎外感を覚えることも少なくなかった。今年こそ、変わりたい。けれども、それをどうやって実現すればいいのか、彼女には分からなかった。


始業式が始まる時間まであと少し。教室の中はすでにざわついていた。初対面の生徒同士が自己紹介をし合い、グループが形成されていく気配がする。けれど、結菜は話しかける勇気を出せずに、教室の壁に貼られたカレンダーをぼんやり眺めていた。そんな彼女に話しかけてくる人は誰もいなかった。


突然、扉が開き、教室が静まり返る。入ってきたのは担任の森山先生だった。四十代半ばと思しき森山先生は、スーツをピシッと着こなし、真面目そのものといった雰囲気を纏っている。まっすぐに結い上げられた髪型と鋭い視線は、どこか威圧的ですらあった。


「みなさん、今年からこのクラスを受け持つことになった森山です。よろしくお願いします。」

短く一言だけ挨拶すると、森山先生はすぐに出席番号を呼び始めた。無駄のない動作と淡々とした声に、生徒たちは戸惑いながらも、次第に背筋を伸ばしていった。


「さて、全員そろったようですね。これから少し話をします。」

森山先生が話し始めたのは、クラス運営のルールについてだった。「遅刻をしないこと」「授業中の私語を控えること」など、当たり前のことが並んでいたが、次の言葉が教室の空気を一変させた。


「そして、これが今年のクラスで守るべきルールを記したものです。」

そう言って、先生は手元にあった書類の束を一枚ずつ配り始めた。それは、A4用紙3枚分にも及ぶ細かなルールのリストだった。


「え、なにこれ……」

結菜は思わず声を漏らした。周りの生徒たちも同じようにざわついている。


「この契約書にサインしてもらいます。サインしたら、ルールを破った場合のペナルティも承諾したことになります。」

「ペナルティ……?」

結菜はおそるおそるルールの末尾に目を向けた。そこにはこう書かれていた。

「本契約を違反した者は、即刻適切な処置が施される。」


その曖昧な表現に背筋がぞくりとした。しかし、森山先生の厳しい目がクラス全体を見渡している中、結菜を含めた生徒たちはサインを拒むことができず、震える手でペンを走らせたのだった。

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