第2話 下船


 ここはゾエの都、ウスケシ。


 船がゆっくりと港に近付き、しばらくして留まった。

 がんがんがん、とタラップが降ろされていく音がして、皆がぞろぞろと部屋から出て来て、廊下に出る。


「ああ・・・これは」


 アルマダが窓の外を見て顔をしかめる。窓に手をつけてすすっと拭ってみたが、さっぱり見えない。外は霧で真っ白。


 アルマダ=ハワードはマサヒデと同門で、マサヒデの親友であり、トミヤス道場の双璧と言われる高弟であり、この日輪国で最も大きな貴族の出でもある。が、三男という事もあり、名の知れたトミヤス道場に預けられたのである。

 当然、若くして高弟になるくらいだから、剣の才はある。だが、マサヒデ程ではなかった。アルマダは頭が良く、かつ非常な努力家で、それでマサヒデと対を成す高弟となり得たのだ。

 トミヤス道場は平民も貴族も居て、道場主のマサヒデの父、カゲミツ=トミヤスは、身分関係なく接し厳しく教える、というような方針だから、自然、幼い頃に預けられたアルマダもそうなった。

 貴族の立ち居振る舞いは実家で叩き込まれているが、身分の隔てなく接するし、必要とあらば公爵家の者という看板も使う、器用な男である。


 皆、分厚いコートの上に革のローブを被せている。

 マサヒデとカオルは長羽織に革のローブの上に蓑。手に笠を持ち、腰に差した刀には刀袋を被せてある。


 アルマダが白い溜め息を吐いて、


「皆さん、どうします? これじゃあ1間(約1.8m)先も見えませんよ。皆で縄でも縛って繋いでおかないと、すぐ迷子です」


 マサヒデも霞んで見えるアルマダを見て、溜め息をつく。


「一度、降りるだけは降りましょう。シラタ伯爵でしたっけ? 陛下から一報が入っているはずですし、もしかしたら誰か港に来ているかもしれませんよ」


 カオルが霧で見えない港を見て、小さく首を傾げる。


「どうでしょうか。この霧と寒さでは、来ておりますかどうか・・・私が見て参りましょうか? もしどなたかがおりましたらば、という事で」


「では、お願いしましょうか」


 そう言って、は、とマサヒデが手に息を当てると、カオルが頷いた。


「は」



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 タラップの手すりに手を乗せ、カオルが港に降りていく。

 手すりはもう細かな水滴が着いていて、薄く凍っている所もあり、手が濡れていく。


(夜には手すりも完全に凍るか)


 足元に気を付けながら降りる。このタラップも朝夜は危険そうだ。

 ふう、と吹いた息が白く霧に混じる。


(ううむ)


 足を止め、見えない港の方を見る。

 腕に巻かれた勇者祭の目付けの帯が反応する。射手がいるのだ。


(大きな町では、ずっとこの調子か)


 首都でもこうだった。

 何処かに、届く範囲に射手がいると、手首に埋め込まれた帯が教えてくれる。これは、闇討ちの射手だけでほとんど勝負が終わってしまった、という事があったからで、このような機能が追加されたのである。


 自分の手首を見て、溜め息をつくと共に、気を引き締め、降りていく。


「・・・」


 霧を透かして見るが、よく分からない。空を見上げれば、ぼんやりと太陽の光が輪を作っている。風が吹いているが、霧が晴れる様子はない。


 耳をすませば、波の音が聞こえる。

 少し離れた所で金属音。鎧の音だ。警備兵か?


「どなたか?」


「警備の者だ。そちらは?」


「先程、入港したシルバー・プリンセス号の者ですが」


 かちゃかちゃと鎧の音が近付いて来て、薄っすらと警備兵が霧の中から出て来て、カオルの前に立ち、小さく会釈して、


「ううむ、申し訳ありませんが、今は危険ですので、船にお戻り下さい」


 警備兵が首を伸ばして、カオルの後ろのタラップを見る。


「こちらは初めてで?」


「はい」


「この辺り、今の季節は、朝はこのように深い霧が出る事があります。もう少し日が昇れば晴れますので、それまでは港に降りないで下さい」


「分かりました。それと、ひとつお尋ねしたいのですが、シラタ伯爵か、伯爵の使いなど参っておりませんでしょうか?」


 警備兵が首を振る。


「いえ。この霧では、出歩く者はおりません。昨晩もそのような報せはありませんでした。夜も霧が出ておりましたし、使いを出したくても出せなかったでしょう」


 この霧と寒さでは、夜に出歩くのは当然ながら危険だ。カオルが頷く。


「左様でしたか。お時間を頂き、ありがとうございました」


 警備兵が戻ろうとするカオルを引き止め、


「海に落ちないように気を付けて下さい。このような霧では助ける事が出来ませんので、死んでしまいます」


「は。それでは失礼致します」


 カオルは頭を下げ、タラップを上がって行った。



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 シルバー・プリンセス号、レストラン。


 アルマダ、クレール、シズクは図書室へ。マサヒデ達はレストランで温かい茶を飲みながら駄弁っている。


「真っ白じゃのう。こんなのは見た事がないわ」


 頬杖をついて、マサヒデの幼馴染のトモヤが窓の外を眺める。

 マサヒデと同じ村の出で、武術の心得はないが、力持ちで、見た目と違って将棋が得意な男。既に勇者祭からは外れたが、馬車の御者として付いて来ている。


「全くだ。これが雪国というやつなのだな」


「雪は降っておらんがの・・・降っておらんか? おらんかな・・・」


 ぐぐ、とトモヤが湯呑を持ったまま立ち上がり、窓に近付き、茶の湯気で曇る窓を袖で拭いながら顔を近付ける。

 んん、んん、と唸りながら左右に首を傾け、戻って来て、どかりと座る。


「降っておらんか」


「おらんの。これで雪など降っておったら堪らんわ。馬達も悲鳴を上げてしまうぞ。晴れたら馬用の布団でも買ってくるか?」


 ふ、とイザベルが鼻で笑う。


「トモヤ殿。馬衣を着せてあるゆえ平気であるぞ。馬は寒い時に暖かくしすぎるとすぐに風邪をひく。元々、寒さには強く、暑さに弱い動物だ。我の馬は砂漠生まれであるから、暑さも寒さも平気であるが」


「シトリナは年中元気か。羨ましいのう。ワシは寒いのは嫌じゃ」


 シトリナはイザベルの愛馬の名前。砂漠の紛争地域にしかいない品種のはずだが、野生馬となって群れていたのを見つけたのだ。何故この国で増えていたかは不明だが、おそらく密輸キャラバンから逃げたのであろう。


 イザベルが眼鏡を曇らせながら静かに茶を飲むラディを見て、


「のう、ラディ」


「はい」


 この背の高い眼鏡の女、ラディスラヴァ=ホルニコヴァは、凄腕の治癒師で、凄腕の鍛冶師の娘でもある。鑑定眼は一級で、刀好きで、良い刀と見ると目の色を変えてしまう程。

 イザベルとは最も仲の良い友人でもあり、軍で鍛えられたイザベルに、鉄砲の扱いなども教えてもらっている。

 ラディは治癒の魔術には長けているが、他の魔術には大した事はないので、マサヒデが鉄砲を選んで持たせたのだ。


「お主の生まれは寒い所であるな? 白露か?」


 白露帝国はこのゾエの西の海を挟んですぐ隣の大国である。冬は極寒の地で、背丈まで雪が積もる所もあるという。

 ラディは湯呑を置いて、窓の外を見て、少し首を傾げ、


「さあ、何処なのでしょう。特に興味もないです。小さかったのでよく覚えていませんが、雪は覚えています。窓の下くらいまで積もっていました」


 イザベルが溜め息をつく。


「やれやれ。この無愛想は生まれた故郷に興味もないとは」


 ラディは表情の少ない顔を振り、きっぱりと言った。


「私の故郷はこの国です」


「旅の事など覚えておらぬのか?」


「覚えていません」


 そっけないが、ラディは普段はこんな感じだ。が、意外と感情の振れが大きく、笑い顔はあまり見ないが、しょっちゅう慌てたり泣いたりする。

 トモヤがテーブルに身を乗り出し、イザベルに向かってにやりと笑い、


「どうじゃ、イザベル殿。暇を持て余すのも勿体なかろう。真剣とは申さんで、一局やらぬか」


 とん、とん、とトモヤが人差し指と中指を立てて、駒を置くようにテーブルを叩く。脳味噌まで筋肉のような見た目をして、変な所で鋭く頭が回るのが、トモヤの良い所でもあり悪い所でもあり・・・


「良かろう。出るとなったら封じるという事で良いか」


「勿論じゃ」



----------



 昼近くになって、やっと霧が薄くなり、部屋で寝ていたマサヒデが起こされた。


 こんこん。こんこん。

 ノックの音で、は! とマサヒデが枕元の刀を取り、脇差の柄に手を添える。


「ご主人様」


 カオルだ。

 ぱちり、と手を顔に当て、ぱっと起き上がり、


「はい。出ます」


 ささ、と襟を正し、帯の位置と脇差を直し、ドアを開ける。


「晴れて参りました」


 む、とカオルの後ろの廊下の窓を見ると、うっすらと港が見える。歩いている警備兵も見える。


「お!」


 マサヒデが声を上げると、カオルが微笑んだ。


「この程度であれば、出るに支障はないかと思います。少し早いですが、昼餉を済ませて出れば、良い具合になりましょう」



----------



 昼餉を済ませ、馬房のある貨物室に降りると、トモヤが声を上げる。


「おおっと! こりゃ思った以上に寒いわ! 真冬より寒いのではないか」


 トモヤが、うう! と身を震わせ、は! と手に息を当てる。


「ああ、これは堪らんな」


 マサヒデも、ぐ、ぐ、と手甲の手を閉じたり開いたり。これで歩いていると、手がかじかんでしまいそうだ。


「全くですよ」


 後ろで答えたアルマダに、マサヒデとトモヤが無言で振り返る。


「・・・」「・・・」


 後ろで全身鎧の上から、物凄く豪華なもこもこしたマントを着たアルマダが、眉を寄せて霧が薄くなった港を見ている。


「・・・アルマダ殿は暖かそうじゃのう」

「全くですよ」


 呆れた顔の2人に、アルマダが声を上げる。


「寒いですよ! 鎧って金属なんですよ? 寒い所で着てたら、下手したら肌に張り付いて・・・気付かずに動いたら、べりっ! 大出血です。うっかり顔も触れません」


「少なくとも、アルマダさんにその心配はなさそうですが」


「そう気を付けているんですよ。一番暖かそうな人達が、あそこにいるではありませんか」


 アルマダが馬車の裏でにこにこしているクレールと、眼鏡を拭くラディを見る。

 2人共、もこもこだ。

 ラディはまだ指のある手袋だが、クレールは指なしのミトン。まるでぬいぐるみのようだ。


「確かに・・・」


 横でシズクが馬車の裏を開けて、毛布を投げ込んでいる。馬車の中は暖かそうだ。シズクは長いマフラーを垂らし、長いコートの上に革のフードを被り、顔に覆面をしている。

 覆面は防寒もあるが、鬼族のシズクは人の国では恐れられ、騒ぎになる事があるので、人の多い町では顔をほとんど隠しているのだ。

 マフラーは伝説の男からもらった特別製のレプリカ。本物は厳重に封印されてしまっている。


「む・・・」


 シズクが自分の得物の総鉄の棒を馬車に入れている。この寒さでは、あれを持って外に出ては、凍りついてしまわないか。


「アルマダさん。シズクさんの棒、凍って手にくっついたりしませんかね」


「かもしれませんけど、剥がれたりしますかね。矢も刺さらないような肌ですよ。手の平なんて、がっつり固いでしょう」


「ふむ。まあ大丈夫ですかね。シズクさんも旅慣れていますし、分かってますよね。では、行きましょうか」


 マサヒデが愛馬の黒嵐に跨ると、皆も馬に跨る。

 皆が馬に乗ったのを見て、振り向いて御者のトモヤに手を上げ、


「行くぞ!」


「おう!」


 トモヤの胴間声が響く。

 マサヒデ達が馬を進め出すと、がら、がらがらと馬車が進み出した。

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