不思議なことってのは、夏に起こる
きんもぐら
第1話
右手を懸命にうちわのように振って少しでも自分の顔に風を送ろうと動かす。そんな努力虚しく、暑さは一向になくならない。外にいる限り、この纏わりつく湿度とじりじりと焼かれるような痛い日差しからは逃れられない。眩しすぎる大陽から逃げるように視線を下げ、極力地面を見ていたが照り返しにあい、眩しさを軽減することは叶わないでいる。
日陰に入ったって気休めにしかならない。歩いていれば日向に出る。また日差しの攻撃にあう。明るすぎてもう真っ白にしか見えない。辛うじて物体の影で世界を認識出来ている。
今年の夏も茹だる暑さだ。
毎年最高気温を更新している。
今日も暑いね、そうそう暑いね。それだけ気温と気候に左右されてしまうのだ、我々人間は。
話題がないわけでもないし、話さない時間が気まずいわけでもない。ただ、暑いという言葉が洩れてしまうのだ。
今日も例にもれず暑いと溢れる。
日々の疲れを癒すために、仕事が休みの日にお茶をしに都内へと出掛けている。夏休みの時期というだけあって、人通りが多い。平日の昼間なのに休日のような賑わいだ。女性二人は熱されたコンクリートの暑さに限界を迎えた。カフェに入りクーラーの冷気に感謝しながら各々お気に入りのコーヒーを注文する。
世間話。
最近の楽しい出来事。
お出かけの話。
ハマってるもの、やりたいこと。
聴いてる音楽、趣味の話。
時計をみると15時近かっただろうか。
店に入ってから一時間も経っていた。ここで時間を使いすぎるわけにはいかない。
実は今日、お茶以外にも目的がある。
でなければこんな真夏日に外へなんて出掛けない。暑いからこそ楽しめるレジャーもあるだろうが、彼女達二人はそこまでアウトドアなタイプではない。
先日、とある神社に足を運んだ。何かの用事のついでに行ったのだがどうも時間が足りなかったのだろう。境内までの道のりの最中に閉門時刻の放送が鳴ってしまった。一本道で迷いはしなかったが境内にたどり着くための道が長かったせいか、途中小さな橋の下を流れる川を眺める時間が長すぎたせいか。遠くに大きな鳥居を見たが、その鳥居を潜ることなく引き返してきたのだ。行きも帰りも印象に残ったのは小さな川だった。
また今度いこうね、と言ってからあまり日をあけずにリベンジする機会に巡り合えた。チラリと時計を確認する。
まだ時間に余裕はある。そう遠くない神社に向かうべく炎天下へと歩きだした。
あぁ、暑い。
夏だな。
先程のクーラーのお陰で足取りは軽快だった。体力が回復しているおかげだ。他愛ない話をして神社へと向かった。
ふと空を見上げると遠くの空がどんより暗くなっている。最近ゲリラ豪雨が多い。また今日も降るのだろうか。見慣れた雨雲だが、今回の雲はなんだか不気味さと重苦しさがあった。ちょっとだが、頭がずんと重たい気がする。
これも、暑さのせいだろうか。
ここら辺では大きな神社…いや神宮と言った方がイメージがしやすいかもしれない。大都会のど真ん中に木々が生い茂っている場所があり、そこに突然姿を現す鳥居。これが規格外に大きい。昔の人はこんなに大きい鳥居を何本も建てていたのか。建築の知識のない二人は組み立てもなにもわからない。なのでこの鳥居が、頭の中で突然現れて地面に突き刺さって完成、という現実味のない想像をしていた。
ここは認知度が高い神社で、国外からの観光客にも人気らしい。飛び交う言葉は母国語より、聞きなれない言葉が多かった。入り口に入ったばかりではまだ境内には辿り着かない。歩くのだ。大きな道の両端は歩きやすく整備されており、真ん中の道は砂利で敷き詰められている。
この砂利、どの神社に行っても必ず敷かれている。それは当たり前のように神社の一部としてある。どうしてここにあるのか、考えたことも気に止めたこともなかったが、今日は気になったのかもしれない。技術と時代の最先端と言われているこの都会に、田舎にもある神社と内装はさして変わらないのは理由があるのか?
こういう時、スマートフォンは便利である。
検索したいワードを打ち込み虫眼鏡マークをタップした。
――神社に敷かれている砂利は玉砂利というらしい。玉砂利の玉とは、魂、御霊という意味がある。また、美しい、大切なものという意味も合わせて持っているそうだ。そうした言葉や意味などを大事にし、今でも玉砂利が敷き詰められているといわれている。後は雨の日でも水捌けがいいから、という現実的な理由もあるらしい――
また一つ賢くなった。
視界一杯に緑が広がっている。山にいるような感覚だ。涼やかな景色で日陰もある。疲れを癒すにはいい場所である。都内の中にあるというのに木々が音を吸収しているのか、街並の喧騒が聴こえない。静かである、いや蝉は喧しい程に鳴いている。わんわん言ってる。気が滅入るがまぁこれも夏だよね、と笑っていた。
しばらく歩くと橋が見えてくる。そういえば前回も渡った。あの橋の下の景色がとても癒されるのだ。緑が生い茂り、涼しげな水の音が聴こえる。
穏やかな時間だ。
女性二人は、その川を見ながらぼんやりしていた。どちらから立ち止まったかわからない。同じことを考えていたのかもしれない。自然と歩みが止まり、並んで川を見下ろした。
「のどかだ」
「ねっ。癒されるわ」
どのくらい橋のところで止まっていたのだろうか。
コツコツという靴音、話し声、風に撫でられ囁く草木も徐々に聴こえなくなっていき川の音だけしか耳に入らなくなった。
この景色に溶け込んだような錯覚に陥る。瞳は相変わらず川を見ている。やがてすっと全ての音が聴こえなくなった。
閉塞感に耳が詰まる。
キーンという耳鳴りが追い討ちをかけてきて頭がぐらぐらした。川のせせらぎだけが意識を繋いでくれていたが、次第に目蓋が重くなり、目を閉じる。
あれ。
ぼんやりしすぎたのか。
[
あちらもずいぶん自分の世界に入り込んでいたのか一回では返事がこなかった。今度は大きめな声で呼ぶ。
目をぱちくりさせてゆっくりと藤の方を向いた。
なんとなく、寝起きはこんな感じなのかなと思わせる気の抜けた顔だった。
「自分の世界に入りすぎちゃったね。また時間切れになる前に急ごうか」
橘はまだぼんやりしてる頭で川から離れ、橋を渡りきろうとした時、藤が立ち止まり橘を呼び止める。
「なんか、聴こえない?鈴みたいな」
「え?…いや、わかんない…」
そこでようやく気付いた。
さっきまでいた人達、虫達や鳥の気配がしない。なにもない。
足音はおろか、蝉の喧騒すらがきれいさっぱりなくなっていることに…。
微かに聴こえるとかではない。
完全に、聴こえない。なくなっている。
ならば藤が耳にしてる鈴の音は今までうるさかった喧騒や人間の声のせいで聴こえてなかった音がわかるようになったのか。どうやら違うらしい。
橘には聴こえていない。
「やめてよ、幻聴?」
冗談を言ってみたが、藤の顔色がみるみる強張り、ゆっくりと彼女の後ろを指差す。
ねぇ、後ろ…。
藤は自分達が来た道をずっと見ていた。橘は振り返る。
振り返ると今までの人生で見たことのない真っ暗な霧の中をぐにゃりぐにゃりと粘着質な生き物がうねりながらこちらに近付いてきているではないか。なんだ、あれは。蛇か?
目を凝らして見ていると、不意に脱力感と倦怠感で体の自由が奪われる。無意識に体が怖がっているのだろうか。いや、恐怖心ならば体が強張ってるものじゃないのか?とか思考はこの体の状況を分析しようとしている。だが、目の前の現実味のない物体と体に起こった異変に情報処理が追い付いてこず、二人は立ち尽くしたまま、ずるり、ずるりと近寄る物体を見ている。
生ぬるい風が全身を撫でる。
動機が激しくなる。
瞬間。
パァン。
音のなかった世界に突然、何かの音が響き渡った。
それを合図に体の自由を失っていた二人のうち、藤の体がびくりと動き橘の手を掴み強引に引っ張り物体とは反対側に走り出した。
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