大空インフィニティ

言の葉綾

前編

ぼくは、大空のかけらをもっている。

小さくて歪な形をしている、大空のかけら。

これを宇宙という台紙にどれだけ敷き詰めれば、大空の面積を求められるのだろうと思うと、胸が躍った。


ぼくは、大空のキューブをもっている。

透明なひかりを反射する、面が正方形のキューブ。

これを宇宙という水槽にどれだけ組み込めば、大空の容積を求められるのだろうと思うと、拍動は止まなかった。


ぼくがそれらをいつ拾ったのか。

それは、明確に覚えている。

大空が雲に蓋をされた――

堰き止められた感情の渦が、決壊した――

そんな日だった。


ひらり、とかけらが舞った。

きらり、とキューブが光った。


ちょっぴり凹んだり、尖ったり、丸くなったりしている、大空のかけら。

表面に研磨剤を撒いたがごとく煌めいている、大空のキューブ。

ぼくは、思った。それは、こんなに些細で、大きな一言。


「これを、ぼくの”タカラモノ”にしよう。」


        *


大空はいつも、ぼくの隣にある。

天から降ってきた、かけらとキューブ。

世界中の誰もを包み込む、大空。

その一部が、こんな一端の中学生のぼくが拾ってしまうことに、少し疑問を感じていた。

でも、それを覆すくらいに、大空の輝きは、ぼくの心を焦がしていく。

そっと、両手で握りしめてみる。


『何か』が、見えた。


その『何か』は、うまく言葉では整理がつかない『何か』だ。

でも、確かに見えた。

それは――


虚無から始まって。

荒れ果てた大地に続く。

でも「荒れ果てた」という形容は、果たして正しいのかという違和感に気付く。

何もない。植物も、動物も。

なんだろう――「瑞々しい」。

その感情に気付いてしまえば、最初の虚無の正体を掴むことくらい、簡単だった。


あの虚無は、地球が生まれた瞬間だ。

まだこの世界に、ひとつの命すら、芽生えなかった頃なんだ。


やがて、命が生まれた。

生き物のつながりも芽吹いた。

俗に言う食物連鎖ってやつも、姿を見せた。

人間は猿人から原人へ進化し、最終的には新人に落ち着いた。

今、現在のぼくらのアンセスター。

大空はこの頃から、世界を見降ろしていたらしい。


人間の輪郭がはっきりしてきて、平和な暮らしの中に、とある感情が生まれた。

それは、「怒り」「憎しみ」「嫌悪」だった。

ぼくの中学校でも、よく誰かが誰かの悪口を言っているのを聞く。

時代が違っても、人間の中で暴れる感情の根源は、同じであるようだった。

誰かを憎み、誰かを嫌い、誰かを蹴落とす。

最悪のケースでは、誰かの命のリズムが途絶えることだって――


大空は、世界のすべてを見守っている。

地球の生命が産声を上げた瞬間も。

地球の生命の一部が、欠け落ちていく瞬間も。

大空は毎日、唇を噛みしめながら、嗚咽を我慢して見守っている。

ぼくは、生命の始まりにも、終わりにも、立ち会ったことがない。

だって、まだ中学生だもん。

どれもこれも、遥か彼方の大人の世界のお話で、ぼくには関係のないことだって、思っている。

でも、大空を握りしめていると、透明感のある中性的な声が聞こえる。


「どうして、わたしは無限大に生まれてしまったのだろう?」


大空の芯の底を、ぼくは到底理解できない。

どんな気持ちなのか、はかり知ることもできない。

感情を天秤にかけてみたら。

どんな気持ちが勝るのだろう。

感情をデジタルの秤にかけたら。

既定の単位から大きく、はみ出るのだろうか。

ぼくはかけらとキューブを、窓から差し込む陽に、透かしてみる。


そうか。


大空は、泣いていたんだ。


この悲痛な叫びを、誰かに聞いてほしくて、自らの分身であるかけらとキューブを、投げ落としたんだ。


轟轟と、涙を垂らしていく。

その雫は、冷たいのに仄かに暖かいという、不思議な感覚。

ぼくはそんな日に、拾い上げたんだ。

大空の声は、こんなぼくに、拾われてしまったのだ。


大空にとって――

これは幸運なのか?

不運なのか?

わからなかった。


けれど、ひとつだけ確信したことがある。


大空の悲しみを。大空の嘆きを。いつまでも降り続く、大空の涙を。


人々は、「雨」と名付けた。


「ねえ――なんか、もう嫌だよ。わたしだけ、わたしだけが、この世界が朽ちてしまっても、生き残り続けるんだ。宇宙を、大空を壊す方法を、わたしは知らないよ!」


人の命を終わらせる方法は、幾度となく見てきたというのに――


面積の枠組みも、容積の淵も。

すべて、すべて、大空のとめどない感情によって、削ぎ落されていった。

これじゃ、宇宙の台紙はもはや跡形も無いし、宇宙の水槽の破片は飛び散っているだろう。


大空のかけら、大空のキューブ。

それは、大空の広大さを少しでも狭める、些細な抵抗で。

それは、大空のキャパシティを少しでも縮める、決定的な足掻きだった。

これさえ、なくしてしまえば——


『わたしは、無限大じゃなくなるから』


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