その妖精は愛を知る

夜永培足

第1話 孤立するセカイ

光輝く魔法に塗れ、皆日々を生きている。

私もそうだったから分かる。それはもう幸せだった。


「イル・クライシスあなたの活躍を評し、栄誉を授与します」

「ありがとうございます…」


嬉しそうに微笑む母の顔、私を見る皆の表情、期待の眼差し。

「さ、イル。何か一言お願いします」


けれど、この世界は狂っている。


「私は…」


足るを知れば、足らずを知る。

知らないままでいれたなら、きっと私は気づかなかった。


「私は、もう人を導くことは…ありません」

この世界の薄っぺらさに。


あれから、どれだけの時が過ぎただろう。

人間の時間でいう1ヵ月、いや1年かもしれない。


どちらにせよ、それは長い時だった。


「イル、今日も顔を見せてくれないの?」

「…」

「そう…それじゃ、お母さん出かけてくるわね」


母はこんな私に優しく声をかけ続ける。

きっと今日も、明日もその先もずっと。

それが、ひどく気持ち悪い。


「ユキト…」

どれだけ胸の奥にしまいこんでも、這い上がってくる彼との記憶。


彼の横顔が好きだった。

年甲斐もなく、子供のようにはしゃぐその純真さが好きだった。


年の始まりには日の出を見て、夏には一緒に海へ行って。

寒い冬の空の下、一緒に星を眺めて。

凍える彼の手に入って「これであったかいでしょ?」なんておどけて笑ってみせて。

そうしてまた、新しく始まる年に期待を寄せて。


そんな日々が堪らなく幸せだった。


頭では分かっていた。妖精としての立場を超えていることを。

それが、互いの為にはならないという事も。


彼は、妻に逃げられ一人だった。

友人も失い、一人だった。


なんら珍しくない、よくある光景。

妖精の干渉は必要な人間にしか許されない。

導くに値しなければ私達は彼らの前に姿を見せられない。私達はそんな存在。


今でもずっと脳裏をよぎる、彼との最初の出会いの景色。

私を見て彼は最初に口にした。


「ごめんなさい」と。


意味が分からなかった。

驚く人間、怯える人間。喜ぶ人間。

色々いたけれど泣きながら謝る人間は初めてだった。


私にとってはこれが仕事だと説明しても申し訳なさそうにただ謝る彼。

私の知らない何かに突き動かされているのは明白だった。

今でもその言葉の意味は分からない。


豊裏幸人とよりゆきと。私の愛した人。

58度の春を過ぎ、2か月後。彼は病室で亡くなった。

死因は悪性のがん。場所は膵臓だった。


全身に転移したがんを無理にでも治療するユキトの姿。

それはとても痛々しくて、命の重みを知らしめていて。

同時に、現実の非情さも知らしめていて。


魔法、そんな不可思議な力だって私にはあるのに。

たった一人の命さえ救えない。


意識を失うその時まで、私は立っていることしか出来なかった。

冷たくなった彼の傍らで涙を流すことしか出来なかった。


「もう…いやだ」


これまで立ち会った人の死とは明らかに違う。

重く、苦しく、吐き出したくなるような淀みが私の中に立ち込める。


愛してしまったから。


妖精と人間の間にある絶対的な種という壁。

そんな常識を軽々と打ち破り、それは私を染め上げた。


張り裂けそうなこの胸の痛みを、この世界の一体だれが共感できる。

いや、誰にも出来ない。させてたまるものか。


彼を伴って感じた、苦しみ、喜び、その全ては私だけのものだ。


仮初めの家族と友人達。

気付けばそこにあって、気づけばそこからなくなっている物ばかり。


私だけが知っている愛の形。

私は彼のせいでそれに気づくことが出来た。気付いてしまった。

だから薄っぺらいと、そう思う。


私は、セカイに閉じこもった。

ただ、息をひそめて時間が過ぎるのを待つ。

永い永い悠久の時を。

一つ、また一つと年を重ねて。


こんなにも永かっただろうか、こんなにも味気がなかっただろうか。

今でも世界は相も変わらないのに。


私はただ過ごす。

ただ一つ、彼がくれた温もりだけを抱えて。

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