第3話 ギャルとメガネとサイゼリヤ

 あ。


 またいるな、と思う。


 サイゼリヤのレジすぐ横の席に、そいつはいる。


 いつもドリンクバーだけ頼んで、毎日のように同じ席で勉強している男子高校生。


 西高の制服なのですぐ分かる。西高はブレザーなんだ。


 俺は東高で制服は学ランだから、ブレザーは気温の変化に対応し易くて、ちょっと羨ましかったりする。


 何で西高のあいつが気になるかって、理由は単純だ。


 いつもそこにいるから。それだけだ。


 俺もずっとサイゼに入り浸ってる。俺はレジ斜め向かいの席。ドリンクバーが近いのでいつもここに座る。


 俺の家は市営住宅。まだ小さい弟がふたりいるので、あの狭い家では勉強が捗らない。図書館は飲食禁止だし、苦手な同級生(イキって無駄に髪染めがち)がたむろってるからパス。


 西高は、少し前まで商業高校だった。少子化で普通科高校になったらしい。(少子化とか言われてもこの人数で育っちゃってる俺には意味が分からないんだけどね。)


 これは完全な偏見だけど、西高から大学へ進学する奴はかなり少ないから、あいつは西高の中でも勤勉な奴なんだろうな。見た目も割と堅いというか、真面目そう。眼鏡してるし。


 俺の通う東高は進学校だ。よくあることだけど進学校にはバケモンがうようよしてる。教科書は一読で丸暗記とか、とりあえず志望校の赤本解いたら合格点取れてたとか言う奇行種。俺はそんな奇行種になり切れないエセ秀才といったところだ。毎日気張って勉強しないと授業に追いつけない。


 そこでサイゼだ。


 平日の放課後ならわりと空いているし、(何の遠慮か自分でもよく分かんないんだけど)混んでる時間は避けてサイゼで勉強している。もしサイゼから追い出されたら俺には居場所がない。だから店員さんにもソフトに当たるぞ。俺はサイゼを愛する限り、天使が天井から見守ってくれるこのレストランで控えめな高校生を演じ続けるんだ。


 俺はいつも5時にはサイゼを出る。単純に、混雑して来るからだ。


 眼鏡君はその時間でも、まだいるみたいなんだ。一体、何時までいるんだろうな?


 俺は見ず知らずの彼に、ちょっと興味が湧いて来た。


 5時を過ぎても店を去らずに、眼鏡君が帰るまでを観察することにしようかな。


 明確な理由などない。ただ、日常にちょっとした変化が欲しくなっただけだ。




 5時を過ぎた。


 いつもの俺はここで退店だ。だが、今日の俺は違うぞ。眼鏡君の帰り際をこの目で見守るんだ。


 5時10分。


 ひとりのギャル系女子が髪をかき上げながらやって来た。うわ俺ああいうの苦手。西高のブレザー女子は、何でかスカートは短いし、胸元を大開きしてんだよなぁ。視線の釣り堀だよ。俺みたいなのはあんなのと対面したらヤバいくらいキョドる。


 しかし、次の瞬間驚いたことに──


「あれー?しゅんちゃんじゃん」


 俺はごくりと喉を鳴らした。そして、目を皿のようにして眼鏡君を見つめる。


 〝旬ちゃん〟とは、眼鏡君のことだった。


 待て待て待て!あのギャルと眼鏡君はオトモダチなの?


 一方、旬ちゃんは全く動じずに視線をギャルに向ける。


「あー、佳苗かなえかぁ」


 え?女子を下の名前で呼び捨て?リア充じゃね?普通、苗字呼びだよね?


 佳苗は店員に案内され、ストンと眼鏡君の前に座る。え、えー!


「でさぁ」


 ギャルは足を組み替えながら言った。


「告白の返事、ここで聞かせて欲しいんだけど?」


 眼鏡君の席が静まり返っている。へ、告白?旬ちゃんの、返事?


「……今言わなきゃ、だめかな」


 え、何。旬ちゃんったら、告白の返事をすぐに出来ない事情でもあんの?


「あのさ……里穂のことは、分かってるよ?」

「……」

「でもさ、旬ちゃん、里穂とはもう冷めてるじゃん」

「……」

「里穂さぁ、別の男子にモーションかけてるって知ってる?」


 俺は完全な部外者なのに、旬ちゃんの事情が気になって気になってしょうがない。


 旬ちゃん、うつむいて額ぼりぼり掻いてる!そりゃ、そうなるよねー!


「ライン見せたげよっか?あの子乗り変える気満々だよ。相手も知ってる」

「いや、それはいい」

「現実見なよ」

「んーとさぁ」

「うん」

「……佳苗も同じこと僕にさせようとしてるの、分かってる?」


 しゅ、旬ちゃんんんんんん!


 俺はひとり、サイゼのテーブルの下で握りこぶしを作った。確かにそうだよな。ギャルだって、ここで返事させようとしているってことは、旬ちゃんに「乗り変えよう」と誘ってる……ってことなんだ。


 言われたギャルは真っ青になったが、すぐにこう言った。


「ごめん!そっか、そうだよね……!」


 お。すぐに非を認められるいい子。


「私、旬ちゃん好きすぎて焦ってた。本当にごめん」

「……注文」

「へ?」

「佳苗、注文は?」


 言うなり、旬ちゃんはメニューを取り出して佳苗に差し出した。佳苗は驚いている。


「注文?何で?私はサイゼで旬ちゃんの自転車を見かけて、つい入っちゃっただけで……」

「ここで飲食しないのは、ルール違反だよ」

「で、でもお金が……」

「いいよ、奢ってあげる」


 しゅ、旬ちゃんんんんんんん!


 やべぇ。旬ちゃん男前。コミュ力の塊。え?いやこれちょっと惚れるって。やべー、眼鏡くんだからって油断してた。隠れイケメンじゃん。いや、もう隠れてないじゃん。え?


 俺も旬ちゃんに胸を射抜かれた。これはモテる。会話の瞬発力といい、静かな語り口といい、規律を守ろうとする姿勢といい、男前のそれだ。


 ギャルは、どこかぽーっとしながら言った。


「わ、悪いから……ミラノドリアだけでいいよ」

「ドリンクバーは?」

「えー、いいよいいよ」

「……もう少し、佳苗と話したいんだけど」

「……!」


 しゅ、旬ちゃ……!!


 その瞬間、俺は彼の人間力に打ちのめされ──心の中で白旗を上げた。


 そして椅子に座ったままガクンとうなだれる。


 燃え尽きたぜ。真っ白に燃え尽きた……


 見知らぬ男にここまで清々しい敗北感を抱くことが、今まであっただろうか。現在5時20分。俺はたった20分の暇潰しの間に、眼鏡君に男として完敗した。


 旬ちゃん……じゃなくて、旬さん……と呼ばせて下さい……


 佳苗はミラノ風ドリアを頬張りながら、目の前の旬さんの一挙手一投足に釘付けだ。その瞳は完全に恋する乙女──


 俺はその様子を横目に会計する。


 そして小走りにサイゼを出ると、自転車に飛び乗った。


 案外、刺激的なドラマは日常の中に潜んでいたのだ。


 秋の清々しい風が耳元を通り抜ける。俺の心にも、清々しさが通り過ぎて行った。




 五年後。


 俺はまだ例のサイゼに通っていた。


 あれから旬さんをサイゼで見かけなくなったけど、気になる奴がいるままでは勉強も捗らないだろうから、俺はその状況を内心歓迎していた。目の前で連日メロドラマを繰り広げられちゃ、俺の居場所がなくなってしまう。旬さんが都合よく消えたおかげで、俺もその後、勉強が捗り大学も合格することが出来た。一度進学のために東京に出ていたが、就職のため再びこの田舎に戻って──今、またここにいる。


 今の俺は、サイゼのテーブルにポメラを乗せている。


 小説を執筆しているのだ。


 今はカクヨム上で現代ラブコメを書き、商業デビューを狙っている。ラブコメの週間ランキングに載るまで、あと少しのところなんだ。


 いい恋愛を書いて、書籍を出すぞ!夢のある話が書きたいなぁ。


 いつものようにドリンクバーへ足を向けた、その時だった。


「待ってよ旬ちゃん」


 俺はどきりとして、コーラ片手に振り返った。今、なんつった?


 見れば、サイゼの入り口に見覚えのある二人がいた。


 旬さんと佳苗だ。


 しかも、佳苗の腕には──赤ん坊。


 俺は小刻みに震えながらいつもの席に座った。旬さんも、いつもの席に座った。


 執筆にまるで集中出来ない。俺がコーラを口に含むと、赤ん坊をあやしながら佳苗がこんなことを言った。


「ここ、前も来たっけ?」


 え?あんなことがあったのに、覚えてないの?


「さぁ……」


 は?マジかよお前ら?


「渋滞ハマって疲れた~!」

「四年ぶりにこの街に戻って来れたね」


 えー。何々?空白の四年に一体何があったって言うのさ!?


 俺は色々と気になり過ぎて、集中を切らした。ああもう、旬さんったらー!


 俺はポメラを片付けた。今日は執筆をやめよう。二人の会話に聞き耳を立てて、じっと待つ。


 すると旬さんがいきなりこちらを振り返り、ひとつ会釈をしたのだ。


 俺は呆然とした。しゅ、旬さん、まさか俺のことを……?


「知り合い?」


と佳苗が問う。ええい!そんなことこっちが聞きたい。


 俺も、つい癖で会釈してしまう。旬さんはじっと俺の顔を眺めてから、佳苗に顔を向けてこう言った。


「多分」


 マジか……旬さん、俺のことを覚えていてくれたのか。モブでしかない、同じサイゼという空間にいただけの、この俺を。


 俺は再びポメラを開く。


 そこに書いてあったラブコメは、ひどくもの悲しく、陳腐なものに思えて来た。


「……書き直すか」


 俺はひとりごつ。


 果たして俺のラブコメのキャラクターは、このラブコメに愛された「旬さん」という男の存在感を超えられるのだろうか、と自問しながら──

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