第52話

*  *   *


 そうして、全圏主を暗殺した実行犯、その糸を引いた黒幕も見つけた圏邸には、ようやく平穏が訪れた。


 藤次郎は一人、自分の父が起こした罪に責任を感じているようだったが、周りの者は誰も彼を責めることはなかった。


 むしろ、鶯などは「わらわに叔父が出来たぞ!」と、はしゃいでいる。


「拙者は、圏主になる気などありません。

 拙者にとっての父上は、やはり松原千代丸ただ一人です。

 これからも、鶯様並びに時雨様の護衛に尽くしていただきたいと思います」


 そう言って寂しげに微笑む。

 日の光を受けて輝く髪を、もう藤次郎は恥じる事はないだろう。



 数日後お菊が、藤川殿当てに手紙が来ております、と一通の手紙を渡して来た。

 

 差出人は本島の会社からだった。


「ありがとう。えっとその……菊ノ介さん?」


 茶封筒を受け取り、春奈は少し狼狽えながらその名を呼ぶ。


 千代丸が叫んだ名前に聞き間違えはなかったはずだ。

 春奈はちらり、とお菊の顔を覗き見ると、いつも冷静なお菊の顔が、耳まで真っ赤に紅潮していた。

 

 口ごもりながら目を逸らし、ごまかそうかと逡巡していたが、観念したように、小さく呟いた。


「……本名を橋本菊ノ介秀成はしもときくのすけひでなりと申します」


「はは、立派なお名前で…」


 春奈が力なく笑うと、お菊、もとい菊ノ介は、見ているこっちが面白いほど慌て出した。


「も、申し訳ありません。その、どなたかから聞いてご存じかと」


「知らなかった…」


 どうやら、おかっぱ頭で桃色の着物を着こなしている目の前の人物は、正真正銘の男らしいのだ。あとで時雨が教えてくれた。


 知らなかったのですか、と驚かれたが、誰も教えてなどくれなかったではないか。


 柳之介が将棋を打った時に言っていた「お菊の本性」とやらは、この事だったのか。

 なんだかずっと騙されていた気分だ。



「でもなんで、わざわざ女の格好なんて」


「私は時雨様や鶯様の遊び相手として育てられまして。

 おなごの方が、お二人の傍に常に居られると。

 忍としても、医務長としても、何かと都合が良いのです」

 

 と言って、もじもじと、下を向いてしまった。

 

 春奈は頭を抱えた。女性だと安心していて、何度も着替えの際に手伝ってもらったりと、下着姿やだらしない姿を見られているのだ。恥ずかしすぎる。

 

 それにしても、女性だと疑わないほどの中性的な美しさは凄いな、とお菊、及び菊ノ介の横顔を見つめながら感嘆する。


 ああ、医務長だというのなら、この行き場のない恥ずかしさによって負った痛みを治して欲しい。


「私、藤川殿に謝らねばいけないことがあって」


 お菊は、恥ずかしがっている春奈を見つめ、告げた。


「長らく泰幸様を討った者が野放しにされていたので、新たに圏邸に入る人には、秘密裏で忍の私が監視するよう命じられるのです。

 柳之助殿には気づかれていたようで、この前叱られてしまいましたが。

 藤川殿も、部屋の中で怪しい動きをしていないかなど、ずっと見張っていたのですよ」


「え」


 全然気が付かなかった。

 じゃあもう、着替えを手伝ってもらったどころではなく、私生活全部筒抜けだったんじゃないか。

 プライバシー保護法は忍には通じないのか。



「正直、藤川殿が来られたばかりの時は、本島が使わした間者か、黒幕と繋がった者かと疑っておりました。

 …でも、毎晩皆が寝静まった後も、部屋で一人夜遅くまで、書を読み、この国を良くするための条例を考えてくださっていたのを目の当たりにしてわかりました。

 この方は本当に心根が綺麗で、いつも一生懸命なのだ。

 黒幕な訳ないと、確信いたしました」

 

 薄桃の着物に身を包んだお菊は微笑んだ。

 

 性別を隠し、皆が街に降りるときは一人、怪しい動きをするものが圏邸内にいないか見張り、人々が寝静まった後も、闇に目を凝らす。

 

 陰の功労者はお菊であったようだ。


 そうして、長月の儀の当日、千代丸が調理場で何やら細工をしていたのに気が付いたのだろう。

 まさか長年使えた千代丸が謀反を起こすと思っていなかったので寝耳に水だったようだが。


 毒を盛った羊羹を鶯が食べ、命を落とさず入れたのも彼のおかげだ。


「信頼しております、藤川殿」


「ありがとう」


 二人で微笑み合う。

 こうしていると、本当に歳の近い女友達のようだ。 


 春奈がお菊から受け取った手紙を開くと、横浜圏への派遣業務の任期の終了が数日後であると言う旨の内容だった。


 もうそんなに時間のが経ったのか。

 左遷され、慣れない環境と冷たい対応に嫌だと逃げ出した日が遠い昔に感じる。


 たった数ヶ月のことだったなんて、人生の中でも侍達と過ごした日々は、あまりにも濃密だった。


「そろそろ帰らなければいけないみたい」


「ああ……それはきっと皆さん、寂しがりますね」


 お菊が残念そうに眉を下げる。もちろん春奈も寂しいが、所詮は国のために働く会社員に過ぎないので、上の人の命令は絶対なのだ。


 封筒の中から、手紙と共に一枚の写真が出てきた。

 

 そこには、いつ撮ったのか、本島に「島流し」された千代丸と対馬の「職業訓練」中の写真が入っていた。




* *  *



 大手スーパーのレジ。午後五時、夕飯の買い物時の主婦で混雑している。

 指定のエプロンをつけて、ピッピッ、とバーコードリーダーを動かしていく、初老の男が一人。


「お箸二膳付けて。あとエコバック持ってきてるから袋入らないわ」


「は、えこばっく、とな」


「もう早くしてよ、後ろが詰まってるでしょ!」


「はあ…」


 客であるおばさんに急かされて、お会計をしながら千代丸は小さく、


「ああ、藤次郎。父上は頑張っておるぞ」


 と呟く。

 

 対馬は、受け取ったエコバックに大根を詰めながら、


「…ここは地獄か」


 と諦めたように言った。

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