第18話

「もちろん、私も来たからには職務を全うしたいと思っています」



「…有難うございます!」



 時雨はにっこりと笑った。



「それにしても思い切ったやり方ね。

 二十五歳以下の外国滞在経験のある若者一名のみとか。

 一人なら、武力でどうにかなると思ったんですか」



 首相が屋上で見せてきた巻物を送ったのは、おそらく時雨だろう。

 その斬新な提案に、首相が困ったはずだ。

 当てはまるのが春奈ぐらいしかいないのだから。



「いや、そんな物騒なこと、思っていませんよ」

 

 春奈の言葉に驚いたように、時雨は首を横に振った。



「はは、歳の近い若者なら、準圏主の私とも親しくしてくれると思ったんですよ。

 信頼できる臣下には恵まれてますが、なかなか心の明かせる友人は居なくて」



 照れたように頬を掻きながら、時雨が言う。


 前圏主の予想外の他界により、若くして権力を持つことになった時雨は、自分でも戸惑っているのであろう。

 地位のある者としての重圧を、分かち合える友が欲しかったのかもしれない。



「まさか、おなごとは思いませんでしたがね」



 眉毛を下げて、困ったように笑う時雨。


 その姿は、千歳の間で見せた威厳のある姿とは打って変わって、春奈と同年代のあどけない男の子のものだった。


 春奈の濡れた髪からぽたり、と雫が落ちる。


 なんて返そうか困ったが、時雨があまりに楽しげにけらけらと笑うものだから、それにつられて春奈も、笑った。



「初日で逃げ出そうとするし、みんなから嫌われている私でよければ、是非お友達になってくださいね、時雨さん」


「こちらこそ、春奈殿」



 静かな春の夜に、三日月が出ていた。

 荒くれ者の侍達を束ねる存在にしては線が細く、穏やかな声色をしている若き準圏主は、静かな野心の炎をその心に燃やしているのだろう。



 月の光が、彼の白い肌を照らす。



「でも、圏主や準圏主の傍で仕事をできるのは、圏邸の中でもごく一部の者のみ。

『千歳の間』に出入りできるのは、役職の最後に「長」のつく者だけなのですよ。

 既存の役職にはみな就いてしまっているし…」



 困ったように考えていた時雨は、急にひらめいたように手をぽんっと打つと、びしょ濡れの春奈を振り返り、悪戯っぽく笑った。




✳︎ ✳︎ ✳︎




 翌朝、千歳の間には再び長たちが集められていた。

 こんな朝早くに何事か、といった様子で、みな中央にいる圏主、鶯と準圏主の時雨を見つめていた。



「今から、就任の儀を始める」



 凛とした声で時雨がそう言うと、すっと襖が開き、春奈が入ってきた。


 麻地の着物を身にまとい、ちょっともったいぶったように、ゆっくりとすり足で歩いていく。


 成人式の時には外国にいたため、生まれてはじめて着た着物姿に、足がもつれそうになる。

 


 今回こんな着物を着たのは、単なるカッコつけでも、これから横浜圏でお世話になるのでよろしくというわけでもなく、ただ単に池に落ちた服がまだ乾かなかっただけだ。



 横で見ている者達は、あっけにとられた様子で春奈を見つめている。

 鶯と時雨の前まで歩いていき、畳に膝をついて正座する。




「藤川春奈殿を、本日この時から、横浜圏の『雑務長』に命じる!」




 時雨の声が、圏邸中に響き渡る。


 もうちょっと気の利いた名前はないのと昨晩庭園で訴えたのに、これが一番いいと言ってきかなかった準圏主のせいで、パシリこの上ない名前の役職に就かされてしまった。



 頭を上げると、幼い鶯と目が合った。


 彼女はにこりと笑う。



「泣いちゃ駄目じゃよ?」



 泣くものか。


 不可能を可能にすると謳われた春奈の、全人生をかけた横浜圏改造計画は始まった。

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