薔薇色の空に響く歌

和尚

第1話


[アイ:ヒビキ、もう起きる時間ですよ?]


「後5分」


[アイ:ヒビキ、先ほどの後5分から5分経過しました]


「……まだ眠い」


[アイ:昨晩のヒビキの指定に従い、大音量のアラームを実行します]


「……? おわ、煩い煩い煩いって!!! 起きた! 起きたから停止!!」


[アイ:おはようございます、ヒビキ、本日は2055年01月15日 快晴です。1コマ目の授業まで後75分。本日はリモートではなくオンショアの講義です]


「あー、目ぇ覚めたけど、乱暴過ぎねぇ? アイ」


[アイ:あなたの指定された通りです。朝食はどうされますか? 移動時間を考えると後40分ほどの余裕はありますが]


「ったく、親父は?」


[アイ:オトハ様は、昨晩からお帰りになっていないようです]


「そうかよ。じゃあ適当に洋食系で」


[アイ:承知しました…………設定しました、10分程で到着すると思われます。出金はオトハ様の口座より、1300円引き落とされます。その間に着替え、洗顔などを推奨します]


「はぁ……よし、起きるかぁ」


 天野響あまのひびきは、幼少時からの相棒たるアイとの会話を経て覚醒した脳で、伸びをして立ち上がった。


 AURAアウラ。Advanced Understanding and Responsive Assistant。

 IQではなくEQ。つまりは感情、共感に重きを置いた人工知能であるところのそれは、開発後瞬く間に普及し、今では一人につき一体のAURAがニューロリンクの埋め込みと共に与えられているのが当たり前となっている。


 アイは、ひびきにとっての最初の友人であり、姉でもあり、そして口うるさい保護者でもあった。


 手早く服を着替えて窓を開ける。

 程よく高い位置にあるひびきの住むマンションからは運搬用のドローンが空を整然と飛んでいるのが見えた。

 そして、そのうちの一つが列から外れこちらに向かってくる。


 ひびきの朝食だ。洋食という指定だけだが、アイは栄養バランスにも煩いし、何より工場で大量に作られているものも栄養士と栄養チェックAIによってバランスが整ったものだけが作られているはずだった。


 窓の外の宅配シューターに配置されたそれを受け取り、アプリで受け取った事をチェックすると、ひびきは温かい器をテーブルに置いて広げる。

 三段になったそれは、一段目にコーンスープ、二段目にエッグトースト、三段目には新鮮さを保っているように見えるサラダで構成されていた。


 紅茶だけは、放蕩親父の趣味で様々な場所から取り寄せた天然ものの茶葉があるため、ひびきはそれを適温とされるお湯で注いで作る。

 そして、それらを口に運びながら外を見た。


 ひびきの目に見える風景は、どこを見ても灰色の世界だった。



 ◇◆



 人の周囲に色が見える。

 それがどうやら一般的では無いことにひびきが気づいたのは幼稚園の頃だったと記憶している。


『あらひびきくん、カラフルで良いわねぇ、皆のイメージカラーかしら』


 そう言われて、どうして皆は似顔絵に色をつけないのか。見たとおりに書いているのにと答えて怪訝な顔をされたのをひびきは覚えている。


 興奮の赤。

 冷静の青。

 歓喜の黄。

 好意の桃。

 純真の白。

 苛立ちの黒。


 ひびきの幼少期にはよく見えた色とりどりのそれらは、実は他の人には見えないと気づいてからは、模倣することを覚えた。

 この世界では、他と違うということは、面倒なことだと知ったから。


 そして、周囲の人間も同じように気づき、結果的に子どもの頃には色とりどりであった色も、歳を重ねるごとに色を薄めていき、灰色になっていく。


 技術が発展して、様々なものが便利になった世界でも。

 働かなくても衣食住は保証され、やりたいことが出来ると謳われている世界でも。

 ひびきから見える殆どの人間たちの色は灰色だった。


[アイ:オトハ様より通信が入っています、出られますか?]


 さて出発しようかとした時に、脳内にアイの声が流れ、ひびきは一瞬考えて頷いた。


[アイ:お繋ぎします]


 その簡易な動作と脳内の肯定を読み取って、アイがそう告げ、視界に父親である音羽おとは髭面ひげづらがアップで出て、さっさと右端に小さくする。


「よう息子、起きてたか」


「やぁ親父、今日も楽しそうな色してるね」


「あん? 画面越しにゃんじゃなかったかよ?」


「皮肉だよ、気づけ、息子放ってふらふらしてる放蕩親父が」


 人生を全身で楽しんでいそうなこの父親がいたことが、ひびきにとっては幸福で不幸だったのかもしれない。

 周囲の大人に比べて、音羽おとはは随分と艶やかな色の人間だった。

 才能に溢れ、様々な事を楽しんでやっていくのを見るのは、子供心に好きであったのは事実で。だが同時に音羽おとはを見る周囲は色を失っていくのも事実だった。


 嫉妬や諦めなどの無関心が混ざりあった感情の名前をひびきはよく知らない。だが、その感情の色はよく知っていた。くすんだ灰色。曇り空の色だ。


 無関心の灰。


 それはとても嫌いな色で、一番多くの人間が持っている色で、そして、自分の色は視えずとも、きっとひびき自身が発しているのだろう色だった。


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