第84話 辞書を引く

「君が悲しいかも知れないから助けに来た」

 私は先輩の顔を恐る恐る見ました。

 ん、別人かな。でも、片目づつ開けて見た感じだとどうも、本物のよう。

 意味わからないんですが。嘘です。嬉しいです。ん、んー。そ、そうですねと言ってる自分の声が裏返っています。

 恥ずかしい。顔を見せないように横を見ていたら、先輩は先輩で顔を背けました。顔を手で押さえています。その手を取って顔を見ようとして、しばらく押し問答になりました。

「はしたないと思うよ。ミヤモト嬢」

「先輩が顔を隠すからです」

「君だって横を見ていた」

「私は別に?」

「じゃあ私の方を向いてごらん」

 私は先輩を見ようとして、目を逸らしました。先輩はほら見たことかという、憎々しい顔。

「私はただ中庭が気になっただけですが?」

「そうかー」

 欠片も信じていませんね。私は淑女として完璧な礼をすると、急いで態勢を立て直すために転進しました。

 貴族として有能な上に優しそうな顔というのは許せません。私を狙っているんでしょうか。狙っているなら悲しいかもしれないからとか言わずにもっとこうぐいーとかぐいぐいっとか……まあ、貴族の婚姻には百段階くらいあるんですが。え、私は百段階ちゃんと踏めるのかな。駆け足ならまだしも斬り倒して途中九八段階くらい飛ばしそうなんですが。二段残ってるあたりに私の慎ましさがありますね。

 あ。扇子を持っていたのを忘れていました。あれで顔を隠せば良かった。恥ずかしさに悶えていると先輩が追いかけてきました。逃げます。先輩追いかける。私は逃げる。そのうち中庭を並走する羽目になりました。

 安心してください。ちゃんと扇子使ってますよ

「何で逃げるんだい」

「別に?」

「君はどうしてそういう時だけ頑固なんだ」

 私は扇子を畳みました。

「は!? 幼少のころから物分かりが良すぎると言われていましたが?」

「小さいころに制止を無視し勝手に家を抜け出して地竜を乱獲していたと」

「機密漏洩です。そんなこと言った人は処します」

 先輩は黙りました。処される人をかばったのかもしれません。父でしょうか、セバスチャンでしょうか。いずれにしても後で話をしなければなりません。

 紋章の力のせいで、先輩は息切れで遠くなっていきました。勝った。


 まったく。先輩は時々変なところで心配してきますね。それに助けに来た、というのもなんだか変な言葉選びです。普通は悲しいと思ったので慰めに来た、だと思うのですが。

 はしたないのですが腕を組んで考えます。先輩は読書家の上、頭がいいのですから言葉選びを間違えるというのはあまり考えられません。

 となれば、意図的にああいう言葉の選び方をしたことになります。成績はあまりよくありませんが修辞の授業を思い出して考えます。

 君が悲しいかも知れないから助けに来た。ですよね。

 悲しいと思った、ではないということは悲しくない可能性もあるからこその言葉だと思います。そしてそれは正しい。私はお兄様やミランダ母様を亡くしたときほど実の母の死に思うところはありません。お兄様の死が近所の意地悪な男の子の死ならば、母の死は私を利用しつくそうとしたそこらの野生生物より醜い政治的生き物の死です。ちなみにミランダお母様は近所の意地悪な男の子の母親で、お詫びと言いながら私を引っ越しさせようとしていた人です。

 先輩はそういうことを加味して、かもしれない。と言ったのでしょう。言葉を吟味すると確かに、一番適切な言葉選びに思えます。下手に分かった風な距離感で悲しいだろと言ってこないあたりに好感が持てます。

 では慰めではなく助ける、とはどういうことでしょう。助けると慰めるの違いはなにか。ああ。辞書が欲しいところですね。生まれて一度も使ったことがない書庫に行きます。先輩がいたらどうしようと思いましたが幸い、いませんでした。

 まあその、先輩がいたらいたらでいいんですが、段階をですね。斬って捨ててしまうのはさすがにこう。

 そうでした。辞書です。読みます。はじめて開きますが辞書は無駄に大きいです。

 助ける……助けること。加勢、助力すること。

 慰め ……心に安定をもたらすための行為、言葉


 ふむふむ。つまり先輩は私の心を安定させるのではなく、助力したいと。

 助力。私の頭では慰める以外に何があるのか、というところです。いえ、慰められても困るのですが。まあ普通の人だったら慰めますよね。多分。

 そこで助力という言葉を選ぶあたり、先輩はさすがの変人です。え、なんなんですか。

 考えても仕方がないというか、先輩の事を考えることはあっても先輩が何を為すかについては全然興味がない私は、答えを聞くことにしました。風通しのため書庫のある塔の上の方から見ると、あ。いた。それで私はスカートがめくれあがらないようにして飛び降りました。着地、先輩がびっくりするというより呆れています。この辺りの度胸はさすがというか、先輩すごいです。悲鳴をあげる騎士だっているんですから。

「ところで助けるって何ですか」

「石畳が割れてるじゃないか」

「よくあることです。気にしないでください」

 先輩は遠い目をしました。直ぐ我に返りましたが。

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