第13話 雨の日のやりとり

 それから三日。私は心安らかに過ごした。理由は分からないが、多分勉強が捗っているせいだろう。

 ハリ様がしきりに王女殿下の話を聞きに来るのだけが気になるが、怒るほどの話でもない。

 それでもたまに辟易とすることはある。そういう時はそっと散歩をするようにしている。

 それで、普段通らない中庭を歩いているときに庭師たちの言葉を小耳に挟んだのだが、雨季でもないのに七日も待たずに雨が降っているらしい。

 雨が降る、ということはいいことのような気がするのだが、違うのだろうか。慈雨、という言葉もあるのだし。

 そんなことを思っていたら、雨が降りだした。今度はちゃんとした雨だ。霧雨じゃない。

 やっぱり雨はいいもののような気がする。私は午後の授業を受けた後、騎士科の校舎に向かった。部室へ。なんの部だったか忘れてしまったが、もう一度聞くのはなんとも気恥ずかしいので確認していない。


 少し扉を開いて様子を見る。先輩は楽しげに本を読んでいて、私に気付いた。笑みを浮かべた。

「先輩は私を見ると笑みを浮かべますね?」 

 私が部屋に入って言うと、先輩はそうだったかなと言った。自覚がないらしい。やっぱりこの人は私が好きなのではないだろうか。

 そう思って観察していたら、先輩は肉スープとジャーキーを出してまた読書を再開した。


 本に負けたような気になりかけて、腕の紋章が輝き出した。先輩に気づかれた。

「ち、ちが…」

 私が言い終わる前に先輩は小さな白い旗を振った。準備がいいというか、この先輩は時々子供のようなことをする。

 当然、意味はない。

「対象が違うのか」

 先輩はすぐに真面目な顔をして考えた。数秒もかからずに、本を置いた。私の方を見た。

「君が一番強いと思うのだが、違うのかい」

「違いません」

 そう言った瞬間に、紋章の光が失せた。助かった。この部屋にある本をすべてみじん切りにするところだった。

 先輩は、まだ真面目な顔をしている。ずっとそんな顔をしていればいいのに、なんでそうしていないのだろうか。

「強い紋章というのは、それ故に色々あるものだな」

 突然喋りだしたので、びっくりした。

「ど、どうやって私の紋章の暴走を止めたんですか?」

「剣聖紋は性質上、強いものがいると戦いを選ぼうとするようだ。最初は僕かと思ったが、そうではなかったので、別のものかと考えた。ここには僕と君しかいないから、それ以外は何かを考えた結果、一番量が多い本かと考えたが確証がない。そこで対象をとらずに君が一番強いという事実を確認した、というわけさ。それで暴走が止まると考えた」

 先輩はすらすらとそう言った。先輩は頭がいいらしい。

「先輩は頭がいいのですね?」

 はしたないのだが、思わず口に出してしまった。先輩は気にしていない様子。

「頭の働きは多岐にわたるから、一概にこうとは言えないな。例えば僕は外国語や修辞が得意ではない」

「そうなんですね。私は主要三ヶ国語が使えます」

「すごいな」

 ならば、戦いようがあるというわけだ。右腕を見る。輝いていない。そのまま上目遣いに、先輩を見た。

「どうしたんだい?」

「今の言葉選びは、私の紋章が暴走しないようにした、とか」

「いや、単なる事実なんだが」

 先輩は苦笑した。自意識過剰だったか。てっきり先輩は言葉巧みに私の紋章が暴走しないようにしているのかと思った。だとしたら、嫌だなあと思ったのだった。暴走をしたいわけではないのだが、先輩に操られるのはもっと嫌だ。

「そう、でしたか」

「そうなんだよ。それに、人を操るなんて、好きではない」

 最後の方は独り言のようだった。心からそう思っている風。

「好きではないという言い方は貴族的な表現ですね」

「嫌いだと言えればいいんだが」

「言えない事情があるんですか。後輩をだまくらかそうと思っているとか」

「いや……僕が継ぐ予定になっている、小さいながらも領地があるからね……」

「ああ……」

 それでわかってしまった。領民を導く、ということが好きではないのだろう。私の父がそうだった。時々、二人きりのときに愚痴をおっしゃっていたものだ。なんであんなバカどもを導かねばならんのだ。と。

「無学な領民がいたりするのですか」

「いや、領地のために新畑を開墾してくれとか言うのが心苦しく」

「収入が増えていいことのように思えますけど……」

「農地の拡大は自分の時間の減少も意味するからな……領民の本を読む時間が減ったらと思うと気が滅入る」

 その発想はなかった。私は先輩が閉じた本を見た。

「そんなに価値があるものなのでしょうか」

「本にかい? 人によるかな。価値をつけるのは本じゃなくて人間だからね」

「なるほど。それならば、雨季に集中的に本を読むのはどうでしょうか」

 先輩は実際、そんな感じだ。領民にも同じことをさせれば良い。

「晴耕雨読か。確かに。僕が思うよりは時間は減らないのかもしれないな」

 先輩はそう言って微笑んだ。勝った気になって、実に気分が良くなってしまった。紋章が輝くんじゃないかと気が気でない。

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