骨嗅ぎのブルース

すちーぶんそん

第1話


「――普通に綺麗か」

 オビトは肩を丸めてクツクツと笑った。


「ごめん。バカにしたわけじゃないの。綺麗だっていいたかったの」

 何のてらいもなく、ただ見たまま。浮かんだままの言葉だった。


「……いやぁ。嬉しいんだ」

 尾を引く笑いを切るように、片目の司祭は一つ大きくため息をついた。


 手の平に収まる程の小さな鉢。そこにただ一輪、ガーベラみたいな幾重にもふんわり重なる薄青の花。

 その花を見つめるオビトの眼差しはどこまでも穏やかだった。


「……かつては、普通になれと教わった。辛抱するんだよ。まともになれ! 一端いっぱしに、普通に――」


 裏庭に並んで座る。

 スラム街のほの暗い空。そこに映る過去を、オビトはぼんやり眺めているようだった。 

 孤児院を、ただ一人で切り盛りする男。

 オビトは司祭を名乗ってはいるが、この三日間、私は一度たりとて彼が祈る姿を見なかった。

 体のあちこちを失い、色褪せたローブから伸びるのは日に焼けた片足だけ。


 すり減って割れたレンガのような男が言う。

「……だから意外になりたかった。少しでも高く、前に。……特別になってみたかった」


 ぼりぼりと白髪頭を掻くオビトの背中は、老いた子供のようだった。

 

「今じゃ人と違う生き方を探せと、尻叩かれる世の中だそうだ! 自分らしく、他人とは違うただ一つの自分を探せ! 『特別になれ』それが人間らしさなんだとさ!」 


 寄る辺のない子供らの庇護者の寂しそうな横顔。


 薄暗い通りの突き当たりにぽっかりあいた空き地。そこに建つ、昔日の火災の跡をそのまま残した廃教会。 

 ボロボロの建材群と、サビて潰れて元の形が分からない金物。積み重なる木箱に、糸くずを山と詰めた穴あきタル。


 子供らが、みんなで集めたごみの山――。


「普通に働いて、普通に愛し合い、普通に遊んで、普通に死ぬ――」


 ため息のような声だった。


「……ここの子供チビらは、そんな夢も見れねぇ。ってだけで首輪付けられて、穴倉の底で死ぬまで殺し合う。こんなスラムのあばら家に詰め込まれて、身寄りもなく、腹ぁすかして出口の無い人生」



 ――みんな特別ふつうになりてぇんだ。


 ぽつりと言ったオビトの無表情。


 七つまばたきする間、私は続く言葉を待っていた。



「――逃げないの?」


 ぼんやりと宙を彷徨さまよっていたオビトの視線が、ようやく私と合った。

 笑おうとして歪んで消えた、その表情の奥。

 浮かんだ言葉をため息が追い越していく。


「……この花を知ってるか?」


「……? ループス。さっきオビトが教えてくれたじゃない」

 今日初めて見た花。今日初めて知ったオビトの花。


「あの戦争が起こる前。ガリアの平原からはるかオタルの山裾にまでこの花が溢れてた。……今じゃ岩と瓦礫のすり鉢の底。今は亡き狼の花。失われた花なんだ」


 精霊も去って、風の止んだ土地。グレーシティ。


 オビトは慈しむように、指先の裏で薄青いループスの花弁を一撫でした。


「こんなとこまで逃げてきて、ただ一鉢。こいつはそれでも……咲いてる」


 そして、四半世紀の鼻息を聞いた。苦笑し、顔をこすったオビト。


 オビトは唐突に調子を変えて、

「――お前さんの相棒。やつぁ馬に乗るだろ? それもマスタングなんかじゃない本物の馬に?」

 酒場のテーブルを囲んで交わすような呑気な声だった。


「……? えぇ、彼は冒険者なの」

 数年前まで天騎に跨ってたとはまさか言えない。


「あぁ! やつのリズムでわかるのさ。メイジャー砦で何度も見かけた! 得物背負って緑壁を越えていくあの一団の。ははは……昔話だ。……彼方で忘れて、まだ西を彷徨ってる男達の」

 戦斧持ち特有の膨らんだ右肩のこぶをさすり、オビトは何度もうなずいた。


「逃げてここまで来た――にしては暖かな午後」

 白濁した左目をゆがめてニコリと笑う。



 止める間がなかった。


「――ッ」


 プツッと音を立て、オビトがループスを引き抜いた。


 その最後の一輪を私の手に押し付けオビトが言う。

「もう行けセシル。俺たちは十分だ。……あんたの献身を忘れない――」 


 さぁと促され、言葉も出ないまま受けとった。

 

 かつて戦列破壊兵だった男は、それきり目も合わせてくれなかった。ひょこひょこと、杖を器用に使いこなして去っていく。


 そして教会の煤にまみれた扉の向こうに消えた。


「…………」


 手の中に託された花の青――


 



 ◇◇


「――やっぱりここにいた」


 振り返ると、金の髪をした男の子が心配そうな顔でこちらを見ていた。

 

 セムヤザ。

 私と同じ16歳。二人で旅を初めてもう2年。

 

 灰色の外套姿でバックパックを肩に担ぎ、

「行こうセシル、馬の支度は済んでる。もうすぐそこまで迫ってる」とセムヤザが言う。


「そうね」

 私は差し出されたギターケースを受け取ると、ようやく立ち上がる。


 住民は川向こうの東地区に避難し、今や旧市街地に人の気配は無い。


「討伐隊は公都に集結してる。明日の午後には戦が始まる」 


 セムヤザの夜明け前の月のような青い瞳が、悲しそうに揺れる。

「ねぇセシル? やつらは穴倉を出てからすでに、何百人と殺してる! もう止まれないんだよ?」


 捨てられた町。


「殺すためだけに生かされてきた集団だ。そいつらが鎧も紙のように吹き飛ばす魔導銃を持ち出して逃げたんだ。このままここに居たら無意味に巻き込まれるだけだよ」 


 反逆集団。それは、戦奴の間に生まれた子供だけを集めて作ったハウンド部隊。 

 彼らは生まれた時から地下世界の集落を根城に、最激戦区で戦に明け暮れる。

 最新武器を試すその実験場で、総司令官を殺害しての計画的な集団脱走。


 その身に枷をつけたまま。

 奴隷紋のちかいを自身の命と引き換えにして、公国兵を道連れに数を減らしながらそれでも突き進む――。


「それに帝国鉄十字が動いてる。明らかに呼応してるんだ! ニンゲン同士の戦だよ? 僕らの出る幕じゃない。どうして君が危険に身をさらす必要があるのさ?」


「……」

 戦奴隷の骨嗅こつかぎが率いる部隊と、風の無い町のスラムに暮らす骨嗅ぎの子供たち。

 空っぽの町。

 逃げ遅れの孤児院に女の子ばかりが十四人。


「あの子たちもやつらと同じ狼人ろうどだ。きっとこの町は通過するだけで、無体な事はしないはずだよ」

「……」

 裏通りにはありったけの水樽が置かれていたが、肝心のそれを扱う火消し達はもういない。

 最後の馬車を送り出した表通りは、夜明けまでの混乱が嘘だったみたいに静かだった。


「……ならせめてあの子達だけ連れて逃げようよ? 骨嗅ぎだろうが何だろうが、僕らと居ればどうやったって逃げ切れる。お金だってあるし、今ならこの通行証だって使えるよ。そりゃあもう二度と公爵領には帰って来れないだろうけど……」


 戦乱をのがれて彷徨さまよい、なお咲く青い花。


「……」


「馬だって用意したよ。……オプトまで下れば船だってある」


「……セムヤザ」


「君があんなに苦労して手に入れた通行証じゃないか? インドュアスの滝と遺跡群見ようって……」


 この託された花をいつか歌にして。


 それはどこか遠くの町で演奏するバラード。

 死んだ狼と子供らを憐れむ歌。

 人知れず消えた狼の民を語り継ぐ詩人たち。

 人々は歴史に涙し、歌い手に銀を払う。満員の酒場は拍手喝采――。




 なめんじゃねえ。



「はあ…………ダメか……」


 絶対あきらめるもんか。


「君はいつもこうだ……」

 ぽつりと言ってセムヤザが肩を落とす。


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