第2話 沢木と恵子は幼友達だった

 沢木と恵子は同い歳だった。

恵子の家は沢木の家の右隣で、両親が二人とも学校の先生をしていて昼間は不在だったので、子供の頃、恵子はよく沢木の家へ遊びに来た。半ば沢木の家の子供のような格好で遊びに興じ、両親の帰りが遅い日には夕食を一緒に食べたりもした。二人は「お恵」「耕ちゃん」と呼び合う仲良しだった。

 沢木は、大概は同じ町内の近所の男の子達と一日中遊んでいたが、いつも、いつの間にか、恵子もその仲間に加わっていた。仲間同士で喧嘩になったりすると、恵子はいつも沢木の味方をして、口を尖らせて相手に向かって行ったし、恵子が年長の女の子や意地悪な男の子に虐められたりした時には、沢木が恵子を庇って相手と闘ったりした。

 あれは確か、小学校六年生の春の頃だった。

膨らみ始めた胸をクラスの喧嘩大将に触られた恵子は、「何するのよ!」と喰って掛かって行ったが、相手はへらへらと嘲笑って他の仲間達とより一層囃し立てた。それにカッと腹を立てた恵子は、自分よりもかなり体格の大きな相手に、矢庭に掴み掛かって行った。同級生達は男の子も女の子も、相手がガキ大将の悪学童だったので、見て見ぬ振りで素知らぬ顔をしていた。

沢木はそんなクラスメイトに訳の解らぬ怒りを覚え、自分も辱められたように感じて、恵子に加勢して、一人で相手に殴り掛かって行った。机や椅子が乱れ、男の子が騒ぎ、女の子が叫喚した。それから何時とは無しに、お恵の後ろには沢木が付いて居る、ということになって、誰も恵子をからかったり虐めたりする者は居なくなった。

 その年の夏に、沢木は父に連れられて、初めて自宅近くの囲碁サロンへ行った。他の子供たちが直ぐに飽きて帰って行った中で、沢木は四時間近くもの間、父親の対局にじっと眼を凝らしたのである。それを目敏く見つけた席主の師範が強く入門を勧めた。沢木は、最初は一般のお客さんに沢山石を置いて打って貰っていたが、直ぐに置石が減って行き、一年もしない内に沢木が白で打つようになった。勉強熱心な子でサロンの宿題の点数は眼を見張るものがあり棋力の向上は著しかった。

 

 囲碁を習い始めて忙しくなったこともあって、中学生になると、沢木と恵子が一緒に遊ぶ機会は殆ど無くなってしまった。その頃になると、男は男、女は女と、遊んだり話したりする相手が分かれて、二人が一緒に遊ぶことは急速に無くなっていったのだった。

沢木も恵子も、思春期になって、急に相手が他人に見え、それを何と無く意識して照れ臭くもあったし、眩しくもあった。そして、近所の碁会所で囲碁に夢中になった沢木は、毎日夕方まで誰構わず対局を仕掛け、恵子と顔を合わせる機会は殆ど無くなって行った。しかし、あの頃、セーラー服姿の良く似合う恵子が急に大人っぽく見えて、偶に恵子を見ると気持ちがどぎまぎし、沢木は妙に恵子の存在を意識したのも事実だった。

 

 沢木と恵子は同じ高校に進学して、二人の距離はまた、子供の頃に縮まった。

市内で一、二を競う市立の進学校であったが、二人は三年間で、現代国語、数学の微分積分、日本史、世界史、化学、漢文等で同じクラスになった。だが、恵子と沢木とでは学業の成績にかなりの差が出来ていた。恵子は学年全体で上位三本の指に入る秀才となり、東京の国立大学を目指して受験勉強に明け暮れていた。沢木も成績は決して悪くは無く、トップクラスに位置してはいたが、恵子には遠く及ばず歯が立たなかった。沢木は、授業中に囲碁の攻め手を一心不乱に考えたりして勉強に集中せず、放課後に恵子にノートを写させて貰ったりした。

 高校生の恵子は胸の膨らみが大きくなり、腰の辺りにくびれも出来て、急に身体の線が美しくなった。良く動く黒い瞳、長い黒髪を風に波打たせて颯爽と闊歩する恵子は男子生徒の憧れの的となった。ツンと先の尖った鼻も知性的で、将にマドンナに相応しい存在であった。沢木はそんな女らしさが顕著に表れて来た恵子を眩しく眺め、あいつがなあ~、とも思った。

  高校卒業と同時に、恵子は現役で合格した国立大学へ通学する為に、家を出て東京へと旅立って行ったし、沢木は自宅から通学出来る京都の国立大学へ通って、相変わらず囲碁の研究に熱中した。二人が顔を合わせるのは、恵子が夏休みなどで長期間帰省した折に、どちらかが家を訪ねる時だけとなった。が、それでも、逢えば二人は時間の過ぎるのも忘れて話し込んだし、食事をしたり、酒を飲んだりもした。恵子は益々自信に満ちて颯爽としていたし、その存在感は同世代の女の娘達とは比較に値せぬほど群を抜いていた。

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