記憶喪失ハンターは、絶対の信頼を寄せる相棒とともにやり直す。失われた剣術と誇りを取り戻すため、現代ダンジョンの最深部へ挑む。
☆ほしい
第1話
「ここは……?」
目が覚めたとき、俺は見知らぬ天井を見つめていた。白い蛍光灯が眩しい。何だ……?自分の名前さえ、すぐには思い出せない。頭の奥がじんじんと痛む。
ゆっくりと周囲を見渡すと、病院のような簡素なベッドと、灰色のカーテン。鼻につく薬品の香り。どうやらここは医療施設か何かだろう。
そう思うと同時に、奇妙な違和感が体を包んでいることに気づいた。腕を動かそうとしても、どこかぎくしゃくする。特にケガをしている様子はないが、全身に倦怠感が広がっている。
「……誰か、いませんか?」
自分が発した声が、やけに頼りなく聞こえた。誰も応えてくれない。病室には俺ひとり、カーテンも閉ざされていて、隣のベッドの様子もわからない。
そもそも、どうしてこんなところにいるんだ? 記憶を辿ろうとしても、頭の中が空白だ。焦れば焦るほど、すべてが霧のように溶けてしまいそうになる。やがて、ほんの少しだけ、かすかな声が頭の奥で聞こえる。
――「昨日の討伐は成功だったな」
……何なんだ、今の。討伐? 何を討伐するんだ? そもそも相手は何だ? いったいどういう世界に俺は生きている? 疑問が次々湧き上がる。けれど答えは出てこない。
ベッドから起き上がって足を下ろそうとすると、予想以上に足元がふらついた。だがなんとか体を支えて、部屋の出口らしき扉へと向かう。点滴のチューブを外し、カーテンを引き開けると、同じようなベッドが並ぶ病室だった。そこに、ひとりの男が立っているのが見えた。
彼は背が高く、淡々とした雰囲気をまとっていた。長い髪を後ろで束ね、全身黒系の服。強そうな体つきをしているが、やや細身だ。何より、その目がまっすぐこちらを見つめていることに気づく。いや、こちらというより、“俺そのもの”を深く見つめているようだ。
「……目は覚めましたか」
低く、しかしどこか優しさを含んだ声。彼の口調は落ち着いている。
「あ……あなたは?」
「俺の名前は蒼(あお)。あなたとタッグを組んでいた者です」
蒼……? タッグ? そういえば、俺は誰なんだ? 名前さえも思い出せない。慌てて問いかけようとすると、蒼はさらに言葉を続けた。
「あなたが目覚めるまで、三日かかりました。医者には特に身体的な異常はないと言われています。しかし、頭部に強い衝撃を受けたらしく、記憶が抜け落ちている可能性が高いと」
「……そうか、やっぱり……」
思わずベッドに手をつき、ため息をつく。自分が記憶喪失であることは確定のようだ。
そのとき、病室の扉が開き、白衣をまとった医者らしき男が入ってきた。
「お、目が覚めたようですね。体調はどうです? 急に倒れたと聞いていますが」
「ええ……何も……記憶が……」
少し言いよどむ俺に、医者は落ち着き払った様子でうなずいた。
「蒼さんから聞いています。あなたは頭を強く打って、そこから記憶の混乱が生じているらしい。身体機能には大きな問題はないので、あとはリハビリを兼ねて外来で診察していきましょう」
医者は淡々と説明を続ける。それを聞きながらも、俺の頭の中では「蒼」という名前と「タッグ」という言葉がくるくる回っていた。なぜ俺は彼と組んでいた? そもそも何をするためのタッグなんだ? 蒼は何を考えているのか、表情ひとつ変えずに静かに立っている。
――その直後、まるで雷に打たれたような閃きが俺の中に走る。
“討伐”という言葉。
“ダンジョン”という響き。
そして、“Sランク目前”という何か大きな評価。
「俺は……」
口をついて出たのは、名前ではなく、断片的なイメージだった。
記憶を無理矢理手繰り寄せようとすると、頭が割れそうに痛む。医者が「ゆっくり焦らないように」と制止の声をかけてきたが、その言葉さえうわの空だ。
こうして、俺の“世界”は白い病室から再スタートを切ることになった。
***
病院の廊下を歩きながら、蒼は俺にいくつかの説明をしてくれた。
「あなたは――『刃城(じんじょう)』と言います。現代に現れたダンジョンや魔物を討伐する職業、“ハンター”として活動していました。俺はあなたの相棒。チームといっても二人だけですが、Aランクを維持し続け、Sランク入りも近いと言われていました」
「Aランク……Sランク……?」
RPGのような世界観の話が、現代のビル街を歩いているような感覚に重なる。現実感が薄い。
蒼はまったく悪びれず、真顔で続ける。
「あなたはハンターの中でも“最強”に近い位置にいました。特に中〜高レベル帯のモンスター相手に、圧倒的なスピードと剣術で勝利してきた。俺は主に防御やサポートを担いながら、あなたの指示に従う形で戦う。それが俺たちの“タッグ”です」
「なるほど……俺が攻撃担当、おまえがサポート担当……」
自分で言いながら、どこかピンとこない。だが、全く知らない話というよりは「言われてみると、そうだったような……」という曖昧な感覚が頭に広がる。
病院の自動ドアが開き、外の空気が俺たちを包む。都会のビル群が立ち並ぶ大通りは、平日の昼間だというのに人が多い。車道にはホバーバイクのようなものや、魔力を燃料に動くらしいバスが走っている。この世界は“魔法”と“現代技術”がごく自然に混じり合っているようだ。
――すごい光景だ。どこからどう見ても近未来とファンタジーが融合したかのような町並みだが、俺の中には「知っている光景だ」という感覚がかすかにある。
「ところで蒼。俺が記憶を失った理由って、何か分かっているのか?」
俺が問いかけると、蒼は少し間を置いてから答えた。
「ダンジョンの深部で戦闘がありました。そのとき、強力な魔物からの一撃を受けて、頭を強く打ったようです。俺はすぐにあなたを抱えて脱出して、病院に連れてきました」
「そうか……すまないな。迷惑かけたみたいで」
「いえ。あなたを守るのが俺の役目ですから。……それに、あなたは必ず戻ってくると信じていました」
蒼の言葉には、微かな熱がこもっている。どことなく不思議な魅力をもった男だ。恐らく、無口でクールだが、内面は俺を強く信頼しているらしい。
***
帰宅した先は、マンションの一室だった。どうやら俺と蒼は同じ部屋で暮らしているらしい。と言っても部屋は広く、荷物も最小限しか置いていないので、同居しているというより“共同拠点”といった雰囲気だ。
部屋には剣や杖、魔法用の小道具らしきもの、そして各種ハンター道具が揃えられている。俺は唖然として、思わず声を上げる。
「うわ……これ全部、俺のなのか?」
「ええ。俺用の装備も一部ありますが、ほとんどはあなたが使っていたものです」
その中に、一冊の手帳があった。革表紙で、角は少し擦り切れている。蒼はそれをそっと手に取って、俺に差し出す。
「これは、あなたの日記兼討伐ノートです。普段は人に見せるようなものではなかったので、俺も詳しくは知りません。あなたが“秘密”だと言っていましたから」
「秘密……」
俺はそのノートを手に取った。ぱらぱらとめくると、細かな魔物のスケッチ、討伐したときの弱点、攻略法などが事細かに書かれている。そこには俺の日常と思われる書き込みがちらほら混じっていて、「今日は街の北側にできたダンジョンを下見」とか、「蒼は相変わらず無口だが、やはり頼りになる」とか……妙に生々しい。
「……なるほど。確かに“秘密”って感じだな。いろいろ書いてある」
想像以上に細かい。魔物の生態から、有効な魔法の種類、自分の体のコンディション、蒼との連携の手応えなど……。まるでプロフェッショナルが使うデータノートそのものだ。
そして何より、“俺の声”がそこには詰まっている。今の自分とは違う、以前の“刃城”という男の考え、感情。その片鱗がはっきりと綴られていた。
――このノートがあれば、少しずつかもしれないが、失った記憶を取り戻すヒントになるかもしれない。
ページを捲っていると、最後のほうに赤字で囲まれたメモが目に留まる。
《第15区画のダンジョンにて“魔核”の反応あり。要注意。超高位級のモンスターが潜む可能性大。次回突入時、全力で備えること。》
魔核? 超高位級のモンスター? 恐らくここが、俺が頭を打って記憶喪失になった原因のダンジョンではないだろうか。それがわかると同時に、背筋にぞくりとした恐れのようなものが走った。何か、とてつもなく恐ろしいものがいたんじゃないか……そんな予感だけがかすかに胸を締めつける。
「……刃城さん」
「な、なんだ?」
「大丈夫ですか? 顔色が悪い。休んだほうがいいかもしれません」
気遣うように声をかける蒼の瞳は、以前から知っているかのように優しい。記憶を失った俺に対して、怒ったり困ったりするそぶりは一切ない。むしろ慣れたように接している。
「悪いな……助かる。少し休ませてくれ」
俺はノートを抱えたまま、部屋の奥にあるベッドへと倒れ込んだ。頭痛がじんじんと大きくなっていて、とてもじゃないが立っていられない。
――こうして、俺は記憶を失ったまま、新たな一歩を踏み出すことになる。蒼という相棒とともに、日記を手がかりにして、かつての自分を取り戻す日々が始まろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます