あずさみこの慟哭
中岡いち
第一章「聖者の漆黒」第一部「回起」第1話
雨。
────雨の音が聞こえる。
嫌いではない。
外に出るとしたら傘を持たなければならない。荷物が増える。それは面倒。
遠くに行く必要があれば車。通常の運転より視界は悪くなる。いつもより神経を使う。
でも、雨の音は好きだった。
いつの間にか。
いつからかは覚えていない。
気持ちが落ち着くような気がした。
実際、特に夜の
しかも、例え夜だとしても、雲の向こうから僅かに月の灯りが照らすはず。
いつもそれを願った。
しっとりと弱い雨。
窓を叩きつけるような強い雨。
何かに似たような、その音と匂いは、神経の張り詰めた私の毎日を少しだけ楽にしてくれたのかもしれない。
☆
しばらく続いた雨がやっと上がっても、その次の日はやはり湿度が
それを強く感じ始める季節。
少し前から、さすがに〝
元々が古い二階建ての小さなテナントビルの二階。エアコンそのものは古過ぎたので買い替えたが、外の室外機は予算的な問題で古いまま。音もうるさい。エアコン自体も買い替えたとはいえ中古。新品を買えるほど収支のバランスは理想的ではなかった。
唯一の従業員である事務員の
無機質な古い壁のいかにも事務所用のテナント。広い部屋の他には一畳程度の狭いシャワールームとトイレ。それに狭い
広い部屋の中央には小さな丸いカフェテーブルと、それを挟んだ二人がけのソファーが向かい合わせ。相談所の開設時にリサイクルショップで購入した物だ。それでも決してお洒落なタイプのソファーではない。どちらかというといかにもなビジネス向けの黒い
やはり無機質感は
窓際には幾つもの小さな観葉植物のプランター。
室内の香りは
代表者である
その
入り口側の事務机からは、ソファーの
そんな
「いつ電話が鳴るか分からないのに、そんなダラけた態度で大丈夫?」
すぐにソファーから返るのはダルそうな
「せっかくテレビに出たのにさあ……」
「
もちろん全く反応が無かったわけではないが、それでも思ったほどの結果ではない。
「ゴスロリじゃダメだったかなあ……目立つと思ったんだけど…………」
「目立ったとしても、そもそもそんなに心霊現象で悩むような人が大勢いたら
それは
「そうかもしれないけど…………」
相変わらず
「世の中には不思議なことっていっぱいあるんだけどなあ…………」
「それはまあ……確かにそうだけど……」
歯切れ悪く返した
「答えの分からないことだっても多いだろうし、人によって感じ方も違うってことだよ。目に見えないものだし……ただ感じるって言われてもね」
「またそういう
そう応えた
「まあ、見せろと言われて見せられるものばかりじゃないけどさ」
仕事柄か産まれのせいもあるのか、二〇歳にしては気難しい言葉を使う
黒をベースに細かなフリルの装飾が
〝うなじ〟が見えるほどに短く切り揃えられた短いストレートの黒髪が僅かに揺れると、やはり真っ直ぐに揃えられた前髪の下からは大きな目。
以前は他人と目を合わせることが怖くて仕方のなかった頃がある。しかもそれは自分の〝力〟をコントロール出来るようになった今でもトラウマとして
地元の大きな神社────
真っ直ぐに前を見るその
「それより、カラコンの在庫はまだ大丈夫?」
その言葉に、
「……んー……まだいいかなぁ…………」
「まだ……必要? やっぱり…………」
応えた
人の目を見ることが出来なかったと同時に、
「……嫌だね……こういうの……気持ちのどっかでは分かってるのにさ…………」
☆
────古い
その地方では一番の規模を
その
その
理由は〝
そうして作られた
現在の代表である
二人の姉は別の神社へと
そして神社を継いだ
長女の
過去の例に
ある時、一組の家族が神社を訪れた。
基本的に他の神社からの紹介がほとんどで、直接この神社にやってくる者は少ない。その家族も別の神社からの紹介だった。
お
しかし
──……この奥さんは、何かを隠している…………
広い本殿の中心。
左右に大きな
一通りの
──……
「お答え頂ける範囲で構わないのですが…………ご両親から見られた感想で構いません。ご夫婦仲のほうは……どのように見られておりましたでしょうか…………?」
いつもならこういうことを聞くことはない。先入観があることで〝見えなくなること〟があることを知っていた。しかし
そしてその
「……実は……あまり良くはありませんで…………お恥ずかしながら息子が何年か前に浮気をしまして…………それから夫婦仲は冷めていたようです。孫たちは何も知りません。そして行方不明になる少し前にも新しい浮気をしてたのがバレたらしくて…………」
父親は
すると横の母親が、弱々しく言葉を繋げていく。
「嫁が…………興信所に調べさせていたみたいで…………」
その言葉に、
「結論部分は分かりませんが…………私の見えたイメージは大きな橋です。だいぶ山奥ですね。真っ赤な橋と、その両サイドにはお地蔵様が一体ずつ…………どちらも真っ赤な
そしてその
「その人が殺したよ」
家族の足が止まり、空気が凍りつく。
「橋から落として殺したの。まだ
翌日、妻が
浮気をしていたのは夫だけでなく、妻も同じ。その妻が浮気相手と共に行った犯行だった。やがて浮気相手も殺人
そしてその夜、
「何か、見えたのですか?」
出来るだけ穏やかに話しているつもりでも、
そんな
「うん」
「
「ちがうよ。その前」
──…………前……?
「
あの時、高校生の息子が二人いたことを
──……とは言え、結論は同じか…………
「これからは、私に先に伝えてくれますか?」
「うん。いいよ」
──……この
それでも幼い頃から数々の修行を積んできた結果でもある。中学を卒業してからは
幼い頃に特に
その
逆に、修行をさせることでどこまで能力が高められるのか興味も
それから数年。
修行の始まる年齢でもある。すでに二人の姉は日々を忙しくしていた。
しかし
見えない〝誰か〟と突然会話を始め、時には見られたくない心の内を言い当てられる。そんな
誰からも気持ち悪がられ、やがて
そして
とある平日の午後、
四年生から六年生までの生徒五人が次々と二階の窓から飛び降りたという。全員が病院に運ばれて重症のまま。地元のマスコミは〝集団ヒステリー〟〝集団パニック〟として報道を始めていた。
生徒が飛び降りた時の目撃者として、
そしてその夜、話をしたがったのは
「今日のこと? 友達だったのですか?」
だからこそ、祭壇を背に座りながら、
「とりあえずしばらくは学校もお休みになるみたいですから、三人でゆっくり休みなさい」
それでも、何か〝別の存在〟も感じていた。
──…………何を、した……
なぜか、そんな疑問が浮かぶ。
すると、
「…………あの五人…………私をイジめてた………………」
震える声。
そのか細い声に、
しばらく考えてから口を開こうとした時、先に飛び出した
「────あの時もイジめられてた…………」
そして
「…………死んでしまえばいいと思った………………」
その両目からは、大粒の涙が
詳細を聞き出してから、初めて
「……私は…………目を見ただけなの…………そしたら自分で窓を開けて…………」
「……誰の目も見たくない…………みんな……私を怖がる…………」
大粒の涙を流しながら、空気を震わせる声で
その
二人は
今や
翌日、五人の生徒は一命を取り留める。
☆
そしてその過程で、
──……この子は…………大き過ぎる…………
──……この圧力…………子供のものとは…………
日々その圧力は大きくなっていった。
同時に
「
本殿裏の
「
「あの五人…………私と
「…………二人が…………救ったと…………」
そう返すのがやっと。
──……私は…………とんでもない
次いで口を開いたのは
「母上、私は……
すでに学校は再開されていた。
それでも
あの場にいたことはすでに知れ渡っていた。しかもあの時、いつものように
まして神社の娘。オカルト好きな年齢の小学生が飛び付かないわけがなかった。
以前から自分は周囲に
──……私は…………人を傷つける存在…………
いつもは周囲の状況が見えているとは言っても、やはり精神的な疲労と不安が
それでも横断歩道の信号の色は、視界に入る周囲の人々の足の動きで判断することも出来る。
その時はたまたま周りに誰もいなかった、だけ。
顔を上げれば赤信号かどうかは確認できる。しかし
何も考えてはいなかった。
驚いて体を戻すも、その時、
道路の向かい、驚いて
スーツ姿の若い男性。
その男性はフラフラと車道に進み出た。周囲にクラクションが鳴り響き、その男性の直前で車が止まる。
その男性の体に謎の黒い影が
──…………なに……?
ただ、怖かった。
結局、学校に戻ったのはそれからおよそ一週間後。
もちろん生徒たちの間では〝黒い
しかし当然のように、そんな
「では……
五〇代の男性教師だった。
その教師は返事の無い
「立ちなさい」
「顔を上げなさい!」
教師の張り上げたその声に、
──………………やめて…………
ゆっくりと、
やがてその目は、黒板ではなく、教師の目に向けられた。
教師の表情が変わる────
それをたまたま通りがかった別の教師が慌てて止めた。
それからは、教師も、さらには生徒も、誰とも目を合わせようとしない
そして、総てが、
☆
そしてこの頃になると、
そして中学校でも
時だけが流れ、やがて三年生。
すでに中学を卒業した
ある日、久しぶりに
廊下を歩くだけで、周りからの〝冷たい意識〟を感じる。視線を落としているにも関わらず、西沙の無意識の能力は
見たくない。
感じたくない。
小さな声も聞こえてくる。
それは決して
〝 バケモノがきた 〟
〝 人間じゃない 〟
〝 近付いたら殺される 〟
〝 ── 人殺し ──── 〟
「あ、バケモノだ」
聞き慣れた声。
聞き間違うはずもない。
「人殺しが来た」
その声に、
無意識に顔を上げた。
首を回す。
声の
一人が、二階の窓から飛び降りる。
「人殺し────」
その声に振り返った
一人が、壁に体を叩き付ける。
周囲から悲鳴が上がった。
そして、午後に
もちろん、物理的な証拠があるわけではない。
しかし、その中心にいるのは間違いなく
もちろん自分の娘を疑いたくはない。
しかし感じたものは、母としての感情を崩していくだけ。
当然、
物理的な証拠はなくても、これまでの経緯を考えると二人からの疑いももっともと言えた。
深夜までの
「
「あなたは……それを見たのですか?」
そこは本殿の中心となる
二人が
しかし〝母としての自分〟もいる。
しかし
「……いえ…………何度も感じました」
「あなたの程度で感じたものなど────」
「いえ母上」
そう言って
「
事件から丸二日。
絶対に
どれだけの時間だったのだろう。
もはや
やがて、
そして、やっと
その
「
その
元から
その
「
そう言う
☆
それから、およそ五年────。
高校卒業と同時に開設した心霊相談所も、すでに二年。
それと同時に、
その
しかし去年の秋に関わった仕事は別だった。
当時マスコミが騒ぎ立て始めた〝
そして、
もちろん記者会見に出ることで顔を売りたかったのも事実。
一時は全国規模でのニュースに取り上げられたが、それに比例するほど仕事が増えなかったのが現実。
マスコミが一気に興味を失ったせいもあるのだろう。記者会見で発表された内容は、マスコミが求めていた結果とは大きくかけ離れていたもの。結局は
そして、季節はすでに夏の始まり。
そんな蒸し暑い朝の来客。
入り口のガラス戸が開くことでエアコンの涼しい空気が外に
「いいですねえ、エアコン」
そんな間の抜けた、それでいて嘘の無い声。
フリージャーナリスト────
入り口側の
「お久しぶりです。今日は冷たいのにしますね」
そう言いながら椅子を降りる
「ああ、ごめんなさい
出会いは去年の秋。
〝
「車にだってエアコンくらいあるでしょ?」
そう言ってソファーの上で横になったままの
「そうは言いますけど────」
すぐに返しながら
「
仕事
「お互いに景気の悪いことで……
「あ、どうも」
反射的に応える
「ウチは麦茶くらいしか出ないけど今日はどんなネタ? まさか
「いいじゃないですか。そんなに忙しくもないんですから」
「やっぱり
「まあまあ、一応オカルトネタ持ってきたんで」
「まだオカルトライターなんかやってるの?
そう返しながら
「まあ……ちょっとだけ……ですけど」
その
ソファーの
「で? 今回は?」
そう言いながら、
「実は一年くらい前から続いてる話なんですけどね……もちろん私が知ったのは最近ですが……〝
前のめりにそう応える
「へー……いいじゃない…………聞かせてよ」
口角を少しだけ上げ、その
〜 あずさみこの
第一部「
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