第4話 虎との交流


 虎の彼女の依頼は単純―――自身が睡眠をとっている間の周囲の警戒、つまり交代での夜番の申し出だった。

 大した内容ではないし、確かに彼女には必要な手助けだ。

 それに手助けとはいえ、それぞれ離れた天幕で交代で休み、敵襲の際に声を掛け合うだけ。大した負担ではない。

 距離を空けるのは、俺にフェロモンの効果が出てしまうのを避けるため。必ずではないが、やはり以前、無霊種にも影響が出たことがあったらしい。


「アラニ族のセトゥスだ。今夜一晩、世話になる」


「エシルナート。傭兵だ。『を義と信ずるならば為さぬよし無し』って奴だ。自己満足みてーなもんさ」


 俺たちは俺がここから少しばかり離れたところに張っていた天幕を回収し、猿どもとやり合った空地へ戻った。

 死体を片付けて火を焚き、焚火を挟んでようやく自己紹介する余裕ができた。焚火を挟む、というよりは、いくらか距離を置いて座って中央に焚火がある、という感じだが。


 獣の血が獣を呼ぶので、戦闘の現場に戻るのは夜営のセオリーからは外れるが、どのみちセトゥスのフェロモンは獣からは隠せない。ならば猿をこれだけ殺した、と分かる現場の方が有象無象の獣除けとしてはいくらかマシだ。ちょいと血なまぐさいが屋外だしじきに消える。


「『志道たれ』の一節だったか。元貴族か?」


 セトゥスが俺の科白セリフの引用元の、この世界の本のタイトルを言い当てて、出自について質問してきた。

 我ながらインテリジェンスとエレガンスが溢れて困るね。


(一般的に、傭兵になるような者が本に触れる機会は少ないですから)


「(やんわり否定するの傷つくからやめてね)………いんや、平民だよ。そういうの師匠が好きでね」


(マスターの好みだったかと)


「(そういう師匠だった設定でよろしく)………それが分かるってことは、そちらさんは?」


「母が貴族直属の護衛でな。その貴族の方たちからは良くして頂いていた」


「なるほどねえ。ご家族も優秀だったんだな。あー、ひょっとして体質も?」


「母は若いころ多少あったそうだが、私を産んだら落ち着いたと言っていたな。………その、どうだ? 今の距離で、おかしな影響は出ていないか?」


「んー、正直、多少ざわつく感じはあるけど………このくらいは普通に暮らしててもたまにあるから、知らなきゃソレが原因とは気づかないくらいだよ。問題ない」


「………そうか」


 彼女は少し安心したように瞳は下を向き、そっと息を吐く。

 ………良かった。今のところ会話のキャッチボールはできてる。少しは警戒を解いてもらえてるだろうか? ツカミはOK?


(彼女の心拍数や発汗は落ち着いています。リラックス状態を引き出せていると考えて良いかと)


「(それなら良かったよ)………ま、安心してもらっていいぞ。剣の腕じゃ敵いそうもないし、命は惜しいからな」


「………そうか?」


 セトゥスの瞳がまたこちらを見る。

 少し逡巡した様子を見せてから、また口を開く。


「………話したくなければ、無視してくれて構わないが………常に君の傍にある気配、その方と同時に仕掛けられれば、どう足掻いても敵うまい」


 ―――俺は結構驚いて、思わず声が漏れる。


「すげーな」


(初めてですね、オブシダンの隠形ステルスが見破られたのは)


(ああ、森の外にはこんなのがゴロゴロいるのか?)


(そんな訳がありません。マスター以外で見破られたのは初めてです)


 俺だってオブシダンと十年以上死ぬほど訓練してようやく、なんだがなあ。


「………すごい、とは?」


 ちょっと呆然として黙った俺に、気遣う様に問いかけてくるセトゥス。こちらの事情に踏み込み過ぎたかと不安がっているようだ。


「ああ、すまん。オブシダンに気付いた人は初めてだったから驚いてた」


「なるほど」


 短くそう答えるセトゥスは心なしか嬉しそうに、ほんの少しだけ自慢げに見える。

 言葉少なで虎の頭だけど、意外と感情表現は伝わるもんだな。


「事情があって姿は見せられないんだが、俺の仲間なんだ。 セトゥスに余計な真似はしないから安心して欲しい」


「信じよう」


 頷いて即答するセトゥス。


「ありがとう。けど、いいのか? そんな簡単に信用して」


「義のために助けると言った言葉に嘘は感じなかった。あれが嘘ならば私自身の未熟と諦めるさ」


「―――いい女だなあ」


「………世辞は止せ」


 目線を反らすセトゥス。怒ってる風ではない。照れてるのかな?


「本音だが………いや、すまん、深掘りする話題でも無いな。先に寝なよ。もう深夜だ。体力的に結構しんどいんだろう?」


「………そうさせてもらおう」


 セトゥスは腰を上げ、近くの木の根元に移動して大剣を抱えて大きなマントを体に巻き、木に背を預けた。

 しばらくして、静かな寝息が聞こえてくる。

 やはり体力的にも精神的にもずいぶん辛かったんだろう。気を抜くことができずに何日か徹夜でもしていたのかもしれない。


(コウガ、オブシダン、近隣の猿どもを狩ってきてくれ)


 音も無く気配が遠ざかる。

 これで今夜、ここに近付く猿はいない。

 数奇な運命を背負った女戦士に、せめて束の間の安らぎを捧げよう。



▼▼▼



 不思議な無霊種だ。

 エシルナート。

 初めて会う成人に成りたてに見える、男と呼ぶにはまだほんの少しばかり早い、少年。

 軽薄そうに、あるいは荒っぽくも見える言葉や態度とは裏腹に、端々に見える教養と品のある身ごなし。

 赤毛猿どもを相手に武器を振るうさまは我流のそれに近いが、荒々しくも理に適っていて、特に体捌きは長く戦いに身を置いた古強者のような経験深さを感じさせる。

 敵を見る目は冷たく非情で、そうかと思えば、私を見る目には老いた騎士が孫を見るような労りを感じさせる。17になる私よりも年下であるようなのに。


 きっと信頼して良い男だ。だが、雲のように掴みどころがない。

 夜空の月を隠す雲のような。

 光を遮られるまで存在に気付けず、遠く、大きさも判然としない、そんな印象だ。


 彼の仲間―――オブシダン、と呼んでいたが―――その人物も分からない。

 なんとか『居る』ことだけは分かる。

 姿形も、匂いも、音もないが、居る。感覚でしかないが彼の傍にはべっている。恐らく、この場に彼が駆けつけてくれた時から。

 恐ろしい隠形おんぎょうの使い手だ。

 猿たちの死体を片付けた折に見た、短剣のような得物で首を一撃にて斃されている死体が、恐らくそのオブシダン殿の手によるものだ。分かりにくいが、私の大剣やエシルナートの手斧ではあんな傷にはならない。

 森の中に潜んでいた猿を片付けてくれていたらしい。


 エシルナート自身も、謙遜していたが、強い。

 簡単に負ける気は無いが、今の私では彼を相手取るのにかなりの集中が必要で、少しでも隙を晒せば、あっという間に背後から忍び寄るオブシダン殿の手によって命を刈り取られてしまうだろう。


 だが、不思議とその悪い予想は現実に成らない気がしている。何の根拠もないが。


 エシルナートは書の一節を引用して「義」と口にした。開拓傭兵から聞ける言葉ではない。

 その口調と、口にした際の瞳は、信じられるように感じる。

 『人を信じるということは、己の人を見る目を信じることだ』と母は言っていた。

 ―――私は、私の人を見る目を信じたい。


 私が初潮を迎えた日、故郷の男たちの私を見る目が変わった。

 母の連れ合い―――私の父だった男も。

 私の寝台に忍び寄ってきた父はもう父ではなく、違和感を覚えて剣を抱いて眠っていた私は、その獣を斬った。

 母は決して私を責めなかったが、私の方が耐え切れず、実家を出奔した。

 あの日から、誰も信じられなくなった私でも。

 エシルナートという名の、あの少年は信じられるのではないかと―――そう願ってしまった。


 疲れても、いるのだろう。

 故郷を離れて年齢を誤魔化して開拓傭兵となり、4年が経った。

 その間もトラブル続きではあったが、無霊種の経営する宿に事情を話して泊めてもらえれば良い方で、大抵は野営してなんとか過ごし、母仕込みの剣と、恐らくは多大な運も私に味方して私自身を守りながら、どうにかここまで確たる当てもなく旅を続けてきた。


 『遺跡』の噂を耳にして、心もとなくなってきた路銀目当てにこの開拓村に身を寄せたが、開拓村で出会った慮外者りょがいものどもがあまりに煩わしく、呆れるほどしつこい連中が夜中の宿にまで押し込んできたのをきっかけに、仕方なく森へ分け入った。宿を追われて半日、赤い森に入ってからはもう丸2日だ。

 私の『匂い』が強まる時期に『圏外』に出たのが初めてだったため、猿どもまでをも警戒しなければならないことに気付かされてから、2~3度の浅い仮眠以外は取れていない。

 剣を振るう身体が重く、こめかみ辺りに痛みを感じ始めて来ていた。

 まだ思った通りに体は動くが、間違いなく私は極めて疲弊していて、肉体も、精神も徐々に追い詰められつつある。

 余裕を剥ぎ取られてから常に己を苛む、苛立ち、つきまとう孤独、悲しみ、理不尽への憤り。


 信じたい、などと………あるいは、限界が近づいてきたところに現れた細い糸に、縋る理由をこじつけただけなのかもしれない………。



「朝だぞー」


 考えているうちにいつの間にか深く眠っていたらしい。

 柔らかなエシルナートの声に、はっと目を覚ませば、すぐに鼻孔に暖かい調理の香りが漂って来た。


「大した具はないけど、暖まるぞー」


 明るい朝もやの中、少し離れた焚火の近くで、エシルナートが小さい鍋で穀物粥を作っていたらしい。

 申し訳ないが、ありがたい。温かい食べ物など何時いつぶりだろうか。


「俺はもう食ったから、あとは全部食べちゃってくれ」


 そう言いおいて背を向け、少し向こうに彼が昨夜張っていた天幕を片付け始めた。

 食べているところを安易に見ないようにとの配慮だろうか。


「………ありがとう。頂きます」


 胸の内に暖かいものが満ちる。鼻がツン、となったが、なんとか涙はこらえた。

 睡眠不足による倦怠感が薄れている。

 鈍麻していた感覚は澄んでいて、鼻先をくすぐる湯気と、他者が作った素朴な料理の香りが母を思い出させてくれる。


 この借りは必ず返さなければならない。

 この少年から昨夜、私が受け取ったものは、大きい。

 どうやって返すべきかは思案が必要だが、今はただ、この温かい粥をしっかり味わうことにした。



▼▼▼



「エシルナート、夜営を任せっきりにしてしまって済まない。粥も美味かった。心よりの感謝を」


 食事を終えたセトゥスが胸に手を当て、生真面目に頭を下げる。

 その食事も開拓村で買った、穀物を固めた簡易糧食をお湯に溶かして、塩を振っただけだ。

 そこまで大仰に礼を言われるようなもんじゃない。


「気にすんなよ。俺はオブシダンと交代できたから普段通りさ」


「それでも、だ」


「はは、分かった。感謝を受け取ろう」


 俺の言葉にほっとしたように頷いたセトゥスは、振り向いて足元の焚火の始末を始める。

 森で火を焚いて熾火おきびが残ってたりしたら大事だから助かる。

 昨日に比べると少しは元気が出てきたようだ。うんうん、良かった良かった。でもちょっと信じやすくはないかな?

 そう思って改めて目をやると、しゃがんで木の椀や匙を布で拭い、土を掛けて火を消す虎ちゃんの後姿も愛嬌を感じてくる。

 さて俺は、と考えたところでコウガのやや切迫した声が脳内で響く。


(マスター。赤毛猿の変異種と思しき個体が近づいてきています)


(変異種?)


(赤毛猿にしては大柄ですがかなりのスピードで………間もなく目視できます)


「エシルナート!」


 ほぼ同時にセトゥスが立ち上がり虎の鼻に皺を寄せて牙を剥いて唸る。


「ああ、何か来てる」


 セトゥスに応えを返すと、微かにザザザザ………と木の葉を揺らす音が遠くから聞こえてくる。

 セトゥスはそれにもとうに気付いていて、音の方へ向いてやや腰を落とし、油断なく背負った大剣の柄に手を掛けている。


 頭上からザン!とひときわ大きな音がして止まる。


 音の発生源である木の幹の上、横に張った太い木の枝にそいつは片手でぶら下がっていた。

 暗赤色の毛皮は通常の赤毛猿と同じだが、大きさが違う。

 体長は2m近く、胸と腕の筋肉が特に発達している。シルエットは少しスリムなゴリラだ。

 その顔は、しわくちゃの猿のそれでありながら妙に人間臭く、真っすぐにセトゥスを見て嗤っている。

 その目は、表情は、何よりいきり立った股間のイチモツが―――醜悪で、邪悪だった。





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