パンケーキ 1

 試験当日、イリーナは待合室でそわそわしていた。レントがここにいたら大人しくしろと言っていただろう。だがイリーナは落ち着くことができない。だって今日は待ちに待った試験日なのだ。これに受ければ教師への大きな第一歩を歩んだことになる。


 深く息を吸う。ここに来て何度しただろうか。緊張で狭くなる視界を晴らすように、肺から息をゆっくり吐き出す。呼吸に合わせて鼓動が落ち着いていくのを感じイリーナは頬を軽く叩いた。大丈夫、できることをやろう。自身をそう鼓舞していると名を呼ばれ、立ち上がった。


 筆記試験は思ったより簡単だった。毎日勉強していたのが功を奏したのだろう。何度目かの見返しをし、イリーナは鉛筆を置く。周りを見れば、同じような人がちらほら見えた。中には同性の受験者がいて、イリーナは口を綻ばせる。試験終了まであと十分。短いようで長い残り時間を、面接の対策に充てることにした。練習はしているが、念には念を。上手く話せないと意味がない。カズヤは、自分の考えを言えれば充分と言っていたが、緊張して話せなかったら元も子もない。イリーナは心の中で面接のシミュレーションをする。


 針が進む音が、少しだけ早く感じた。


 筆記試験が終わり、面接会場へ向かっている途中、イリーナは違和感を覚えた。と言うのもすれ違う同性の受験者のか顔色が悪い気がする。視線を動かして辺りを見れば、異性の受験者は安堵の息を吐いている人が多く、目立つのは同性の受験者たちばかりだ。上手く答えられなかったのかな、なんて思いながら会場に続く扉を開ける。三人の面接官は一度こちらに目を向けたあと、小さくため息を吐いた。なにあれ感じ悪い。少しムッとしつつも名を呼ばれたので席に着く。一人の面接官がじろじろこちらを見て、気持ち悪さを覚えた。


 なんなんだろう。イリーナが戸惑っていると、こちらを見ていた面接官が声を掛けてきた。


「志望動機を聞いても?」


 気のせいだったか、ほっとしたイリーナは質問に答える。


「教師になって学びの楽しさを知ってもらいたいからです」

「ふぅん、ずいぶん高尚な心構えだね」


 鼻で笑われ、思わず眉を寄せる。二人の面接官は我関せずと言いたげに机に置かれた資料を見ている。

 なんなのだここは、イリーナは困惑した。彼らは自身の理想とする人たちのはずなのに、どうしてここまで他人事でいられるのか分からなかった。今日はイリーナにとって大切な一日だと言うのに、彼らは真面目にやろうとはしていない。


「イリーナだっけ? 君の実力は申し分ないと思うけど、別に教師にならなくてもいいんじゃないの?」


 なにを言っているのだこの人は。ワケが分からず思わず声に出してしまう。


「仰っている言葉の意味がよく分かりません」

「言葉通りの意味だよ。だって君、女でしょ? 女はさ、結婚して子ども産んで育てないといけないじゃない? そうなったら教師なんてしてる暇ないと思うけど」


 まただ、心の中でため息を吐く。ここでも性別の何度もされた質問に飽き飽きしながらも答える。


「確かに結婚をしたら教師の仕事を続けるのは難しいかもしれません」

「だろう? なら……」

「ですが、ある程度融通を利かせるようにしたいとは思っています」

「どんな風に?」

「例えば時間の変更をしたり……」

「あーダメダメ。時間は規則通りにしないと」


 話を遮るように言われ眉間の皺が深くなる。もしかしてこの人たちは話を聞く気がないのだろうか。どうしたら話を聞いてもらえるかと悩んでいると、面接官と目が合った。彼はこちらを見ていやらしそうにニヤニヤしている。あまりの醜さに、悪寒が走った。その後も何度か同じような質問をされ、返答しようと口を開けば遮られる。意味のない問答が続きイリーナは限界だった。

 なんなんだこれは、イリーナは叫びたい気持ちを堪えながら話をしようと奮闘するが、彼らには届かない。悔しさのあまり泣きそうになっていると、面接官はため息を吐いた。


「こんなことで泣くようじゃ教師なんてやっていけないよ」


 誰のせいだと言うのだ。言葉を飲み込む。言いたいことが浮かんでも、息が詰まって話せない。陸に上げられた魚のように思えイリーナは口を閉ざした。これ以上話しても埒が明かないと悟ったからだ。


「でも話を聞いて思ったよ。君は本当に教師になりたいんだね。素晴らしい熱意だ」


 不意に掛けられた言葉に顔を上げる。どういう風の吹き回しか、今までこちらを貶していたというのに白々しい。警戒していると面接官はこちらを見定める目をして気持ち悪い。何を言われるか分からない。


 ふとイリーナは自身の体が震えていることに気づいた。原因は分かっている。話を聞く気がない面接官、助ける素振りを見せない残りの面接官たち、ここにいる意味はあるのだろうか。この場から逃げ出したくても、体が凍り付いたように動かない。面接官が言う。大きな口を開けて、イリーナを食べるかのように。


「一つだけ、教師になる方法があるよ」


 本当だろうか、この状況でそのようなことを言われても信じられるわけがない。金魚のように口を動かしていると、面接官はまた微笑んだ。目が笑っていない、濁った瞳を向けて、彼は言った。


 その一言を聞いたイリーナは彼らのことがなにか汚らわしい存在に見えた。衝動に身を委ね、逃げるように会場から去っていく。ガタンと大きく椅子が倒れる音がしたが、気にする余裕が今のイリーナにはなかった。


 あの笑みが離れない。背後から追いかけられている気がして、イリーナは無我夢中で走った。

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