ピザトースト

 図書館から喫茶店に行く道をイリーナは歩いていた。雲一つない快晴の空は、イリーナの気持ちを表しているよう。

 今日はいい日だ。読みたかった本を読み、教職に就いている人と議論を交わせた。議論に夢中になりすぎて司書になに度も窘められたが、こんなにも充実した日はなかなかない。

 石畳を軽快に叩きながら歩けば、軽快で心地よいリズムが響く。喫茶店の扉に立ち、勢いよく開ければ、音に気づいたカズヤ笑顔で出迎える。


「いらっしゃい、イリーナ」

「こんにちはマスター。エレイン……はいつもの?」

「ああ、いい絵が描けそうなんだと」

「今度はなに描いてるんだろう?」

「さあ? 本人が完成するまでは見せないってさ」

「えー、残念。見たかったなぁ」


 いつもの席に着き店主を見上げれば、メニュー表が差し出される。開けば色鮮やかな絵が目に入り、感嘆の息を吐く。メニュー表の絵を描いているのエレインのこだわりが詰まったそれは、見る人をわくわくさせるおもちゃ箱のようだ。聞いたことのないメニューも、絵を見れば大まかだが理解できる工夫がされていて素晴らしい。問題は味だが、これに関しては問題ない。むしろ彼の作る料理全てが美味しすぎて悩んでしまうくらいだ。

 今日はなににしよう。見慣れたページを捲りながら考える。議論に夢中になりすぎたせいで昼ご飯のタイミングを逃してしまった。時間的におやつの時間だが、今は甘いものを食べたい気分ではないし、かと言ってがっつり食べたいわけではない。どうしようか悩んでいるとカズヤが楽しそうにこちらを見ていたので、こういう時は彼に聞いたほうがが早いと思い、イリーナは声を掛ける。


「マスター!」

「はいはい」

「がっつり食べたいわけじゃないけどなにか食べたい! なにかいいのないー?」

「おやつは?」

「甘いもの食べたい気分じゃないんだよね」

「それなら軽食かな。ピザトーストとかいいんじゃないか?」

「これ?」

「それ」

「じゃあそれにする!」

「分かった。今から作って来るよ」

「やった! 楽しみにしてるね!」


 厨房に向かう背中を見送り、イリーナは頬杖をついて店内を見渡す。殺風景だったここも、皆のおかげで華やかにはなったと思う。席から立ち、壁に掛かっている絵を見る。王都の景色をはじめとした風景画たちがそこには並んでいた。そのうちの一つ、精巧に描かれた噴水から流れ出る水が光に反射しているさまを描いた絵はイリーナのお気に入りだった

 短期間でこれだけの絵が描けるのは一種の才能だと思う。たくさん並べられた絵に視線を見返しながらイリーナは考える。いったいどれほどの月日を彼は絵に費やしたのだろうか。

 ふと、見たこともない一枚の絵が目に入る。黒だけで描かれたそれは、荒々しさと繊細さが混じっており、一見ただの黒い絵なのに、イリーナは惹かれてしまう。


「いい絵だよな」

「わっ、びっくりしたぁ」


 背後から声を掛けられイリーナの背中が跳ねる。振りかえれば、カズヤが立っていた。早くなる鼓動を抑えるように胸を押さえているとカズヤは眉を下げて笑う。


「悪い悪い、なんて声かけようか悩んでさ」

「だとしてもいろいろやり方あるでしょ! せめてこう、名前呼ぶとかさ! もうちょっとこう、ね!」

「次から気を付けるよ。ほらピザトーストができたぞ」

「ほんと!?」


 イリーナは席に戻りピザトーストと呼ばれるそれを目を向ける。できたてだからか湯気がほかほか立っている。


「熱いから気を付けろよ」

「はーい」


 いただきます。イリーナは小さくあいさつし、ピザトーストを一口食べる。チーズの味がガツンとやってきた後、トマトの酸味を連れてきて思わず笑顔になってしまう。チーズとトマトの相性の良さに唸りたいのに、そこからソーセージとたまねぎ、ピーマンやマッシュルームがここにいるぞと言わんばかりに主張してくる。それらの旨味をチーズとトマトが引き出しており、一見ばらばらに思える個性がまとまっていくのを感じた。ではパンは静かにしているのかと言われたらそうではない。待たせたなと言わんばかりに最後にやってくるのだ。本のページを捲るように各々が主張してくるので、余韻に浸らせる隙を与えてくれない。量は少ないのに、かなり満足感がある。恐るべしピザトースト。


「~~~~~!」


 声にならない歓喜の声を上げるが、チーズが切れる気配がない。イリーナは一瞬だけ眉を顰めたあと、チーズを切ろうと奮闘する。やがて線を引いていたチーズがぽとりと切れ、皿に落ちた。はしたないと言われること承知でイリーナはチーズに手を伸ばし、口に運んだ。


「ごちそうさまでした! 初めて食べたけど美味しかったー!」

「お粗末様でした。いい食べっぷりだったな」

「マスターの作る料理が美味しいからよ」

「それはどうも」


 皿を下げる彼に感想を告げれば、嬉しそうな声が返って来る。マスターの作る料理は確かに美味しい。毎日食べたいくらいだ。だがそんなことをしたら太ってしまう。現にイリーナはここに通うようになってから少し太ってしまったのだ。


(運動しないとな……)


 きれいな体型を維持するのは乙女の永遠の課題だ。もっとも、そんなことを目の前にいる彼に話したら最後、こちらに気を遣って試作を出してくれないかもしれない。それだけはなんとしても避けたいイリーナだった。体型管理も大事だが、美味しいものだって食べたい。イリーナは今後どうしようかと考えながらカズヤを見る。

 そんな彼は皿を洗い終え、呑気にりんごの皮を剥いていた。こちらの気も知らないで……言いたいが、知らないのは事実だし彼はなにも悪くない。剥かれていく皮を見ながらイリーナはつぶやいた。


「器用だなぁ……」

「練習すれば誰にでもできるよ」

「私こう見えて不器用だよ?」

「針子の仕事してるって言ってなかったか?」

「してるけど、すっっっごい簡単な模様しかできないからね私」

「そんなに?」

「そんなに」

「……一つ、試しでやって……」

「お断りします」


 食い気味に返すイリーナを見てカズヤは彼女の不器用さを悟った。ここまで言うのはよほどなレベルなのだろう。これ以上は踏み込まない方がいい。そう思い話を切り替えた。


「今日はいいことあったのか?」

「そうなの! 聞いてよマスター!」


 目を輝かせながら話し始めるイリーナが微笑ましく思えた。


 だがカズヤは知らない。興奮している彼女の勢いに負け、エレインが帰ってくるまでずっと話しけられることを。やばい、なにもわからない。助けてエレイン。終わる気配のないイリーナの話を聞きながら、カズヤはこの場にいないエレインに助けを求めた。


 *

「っくし、」


 なにも知らないエレインが自室で小さなくしゃみをする。


「……風邪でも引いたかな」


 何も知らないエレインは、首を傾げながら呟いた。

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