第5話 第二次性徴、境目でブレイクするアリス

 さて中1の末期、冬季年明け1978年1月くらいからアリスの『冬の稲妻』がヒットし始める。がしかし「コーセー歌謡ベストテン」で既に『帰らざる日々』聴いてたのと、1976年、小6の時にミュジーックフェアに出て、『帰らざる日々』と『遠くで汽笛を聞きながら』演奏しているのを見て衝撃を受け、『遠くで』のシングルはすぐさま入手していたから、一般的にいわれる「冬の稲妻」で大ブレイク、っていうのも自分にはピンとこないのだが、実際の数字みるとそれで合ってるんだろうし、谷村新司没後のいろいろな回顧記事読んでると、当事者もそうはっきり認識しているのはわかった。つまり「大御所」クラスまで行く人というのは、ランキングにちょっと顔出した、有名番組に1度出た、くらいで満足はしない、ということなのだな、と。


 『帰らざる日々』もオリコン集計データみると、先述の『ひとり芝居』同様に、毎週放送のベストテン番組にランクインするかどうかけっこう微妙なラインの売れ方だったようだが、とにかく「コーセー歌謡ベストテン」では複数週以上でランクインし、複数回以上聞いたはず。


 そして、4月以降、自分が中2にあがってすぐの時期以降、アリス、ヒット曲連発の状態になった。


 で、中学入学と同時に始めていた、ギター、ピアノもだいぶ仕上がってきて、歌本買えばすぐにサッと弾けるし、なんなら歌本なくても極端に複雑な曲でなければサッと耳コピできまっせー、くらいなところには到達しており、そうなった時に何を手本として修練するか?というとアリスが実にちょうどよかったのだった。


 何しろ「声域」が、そんなに高くない。谷村新司も堀内孝雄も。

アリスの絶大なる人気っていうのはとにもかくにもその部分が大きかっただろうと思う。ということで、どんどん勝手に真似し始めた。


 で、このあたり第二次性徴で、中2のどこかの時期で身長170になったのは間違いないが、「声域」どうだったのか?まではちょっと思い出せずもどかしい。140cm台、小兵の背丈だった頃の自分の声は高かったのかどうなのか?これがもう思い出せない。小兵生徒の間はまだ楽器の鍛錬中で「弾き語り」をガチで試みる段階ではなかったし、背丈の面の変わりようはいいとして、「声変わり」がどうだったのか?が思い出せないのだ。


 なんにせよ、背丈が平均身長に届いた時、声域もだいたい平均くらいなところに落ち着いた。ということはアリスの声域に落ち着いたということだったのだ。


 フォーク系もロック系も「高い声」出せてなんぼっていうのが男性ボーカリストの基本仕様である状況の真っ只中において、アリスは非常にありがたい存在だったわけだ。そういう意味では「庶民的」存在感というかなんというか。


 といったような日々の流れで、もうちょっといろいろなものが出そろったあとに、

1年時同級の山井、藤本と「さだまさし&アリスのコピーバンド」を結成することになるわけだが、それは追い追い触れるとして、1978年4月以降、中2に進級して以降、第二次性徴要素以外にも、いろいろと状況が一変し始める。


 TD中が「暴力校」として全国に名をはせるのは自分の代が卒業した2年後くらいであり、その頃の報道みると、バイクで「悪い先輩」が学校に乗り付けてくるような荒れ方、とかなんとか書いてあったような気もするが、自分が中2の頃はまだそこまでの雰囲気ではなかった。なかったがまあいろいろカオスな感じは既にあった。バイクでオラついてやってくる、のではないにせよ、なになに?学校っていうのはここまで開きっぱなしなもんなの?みたく、あらゆる分野で「卒業生」がお気軽に入ってくるようなところがあって、吹奏楽部も例外ではなく、で、べつに「ヤンキー」というか当時の用語でいうところの「ツッパリ」というのか、そういう「不良」系ではないんだが、多分「高校」で居場所無い感じなのかな?みたいな雰囲気の人が遊びにきて、それもただちょっと後輩とじゃれ合って帰る、とか言うのでなしに、今でいう「外部顧問」みたいな存在になる、っていうような、なんだか実にファジーな状況が生まれていたのだ。「契約」とかなにもない、「口約束」の話だし、金銭のやりとりもなかっただろうと思う。


 仮に「F先輩」としておこう。上級生の呼称は姓の下に「先輩」をつける、という当時の部活の風習は、OBにも適用されていたし。


 とにかく1年のころにはまるで姿みたことないので、OBとはいえ物凄く近い代ではないのは確かだが、といって物凄く遠いわけでもなく、おそらくその時「高2」くらいな年齢の人だったように思う。


 小柄で飄々とした感じで愛敬よく口達者な感じの男性だったのだが、服装も「高校生」というよりはサラリーマンなのか?と見えなくもないというか、若干年齢よりは老けて見られるタイプだったかもしれない。


 あと、自分は中1からの転入組なので、バリバリ地元の地縁的なつながりみたいなものはよくわからないのだが、吹奏楽部大所帯のうちの多数は、そっちの「地縁」つながりの濃いところもよく知ってるような雰囲気もあって、部を締める立場の「部長」クラスの者たちは(ああ?なに?F先輩また来たのー、相変わらず暇なんだねー)とか軽口言い合うような関係性が最初からあったようである。


 飄々として威圧感はまるでないもののF先輩、物事進めたり、決断したり、とかいうのはとにかくめちゃくちゃ速く、気づくと音楽室とか倉庫とか吹奏楽部関連施設周辺各所に、先輩持ち込みのPA機材、スタンド、シンセ、エレキ、ドラムセットの各部、などが日に日に増えていき、まさに「軽音楽部」のようになっていたのだった。


 後によーく知ることになるんだが、この人とにかくなかなかな物持ちお金持ちの家の人だったのである。


 ではその一方「顧問」はどうしていたのか?

OBとはいえ、卒業したいわば「部外者」に好き放題されて何もいわないってことは、おとなしくて人畜無害な「でもしか先生」なのか?というとさにあらず、これはこれで物凄く癖の強い人物だったのだ。


 「名物授業」で他校から「研修」と称して同業者が見学に来るくらいだったし。

つまり「癖の強い者」が、違うタイプの「癖の強い者」を排除せず、むしろ積極的に片腕として起用したという、下にいる者からするとわけのわからない様相を呈していたのだ。


 が、わけわからない、とはいえ、そんなのは直に慣れるものでもあるし、しかも「楽しい」方向でわけがわからないわけなので、こりゃもうみんなで全乗っかりだっ!という流れになった。


 F先輩と顧問の件は、一旦おいて、前回ちらっと触れた中2時の「学級」の方なのだが、これまた1年時とは比較にならない「癖」の強い者の集まりとなっていて、

それでいて「担任」若い女性教師という、何かそのここへきて全ての要素が揃いまくる感じ。


 まず生徒会長にまでなった横山というやつがいて、とにかく明るいのは確かで、そのうえ成績優秀かつ運動神経抜群かつエロい、という全部乗せみたいなやつだったのだ。その周辺に「陸上部」界隈の「ツッパリ」系ではないが、ラテンナンパノリの小沢、平井、といった者らがいて、なんというのかおそらく自分の全生涯振り返ってみても最も密度の濃いパリピ集団だったのではないかと思われる。


 まずは週刊プレイボーイ等のグラビア満載の出版物を持ってくる、とかから軽く始まり、「俺の空」とか「花の応援団」とかエロ場面のあるマンガの単行本持ってくるのが常態化し、きわめつけは「鶴光のオールナイトニッポン再現」で、とにかく四六時中教室で横山の「まーつたけいらんかーいまーつたけいらんかーい」の声真似した声色のダミ声が響き渡るのだった。「大きいのはひゃくえん、小さいのもひゃくえん」とかそんなような。


 1年のクラスでは全くもってそのようなことはなかったし、これはいろいろ面食らいはしたものの、第二次性徴の中2病発症時でもあったし、結局部活と一緒で祭りっぽいし乗っかりでいこう!という態度でいた。全乗っかり、ってほどではなく薄い感じで。性知識の話であれば耳そばだてる、みたいな。









 






 


 



















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