第46話:Have to Win

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宙一は、意を決して助走に踏み込んだ。

"自分に勝つ"。支部予選での後悔を、後悔のままで終わらせないために…。


ポールの先がボックスに突き刺さり、バンッ!という音を立てたのと同時に、踏み切った宙一の体が宙に放たれた。

ポールの反発力を受け、足先を真っ直ぐ空へ向けて、バーの上を狙う。


自分自身の強い思いを乗せて、そのバーの上を宙一の体が越えていく。

しかし、高さに余裕がない。腹部に触れるか触れないかギリギリの場所を、その体が通過していく。


(…まだだ…まだっ!)


宙一は、無理矢理最後の右腕を振り切ってバーの上を越えようとした。

それが仇となった。右腕は、虚しくもそのバーに強く接触し、宙一の体と共に落下していく。



赤旗が上がった。


5mへの挑戦権、そして関東大会への出場権を手にしたのは、伍代、江國、若越の3名に決まった。


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バーの高さが、遂に5mにまで到達した。

この時点で3名も残っているのは、全国大会にも匹敵するハイレベルな闘いとなった。


その1本目は、3名共に失敗。

続く2本目にて、伍代が公認自己ベスト記録であり支部予選優勝を決めたその高さを、再び成功に収めた。


残るは、江國と若越の3本目。

どちらが成功しても、どちらにとっても公認自己ベスト記録であり、1年時での成功は次なる関東大会はもちろん、次年度のインターハイに向けても大きな記録として残る。



先に3本目に挑むのは、江國であった。

1、2本目は共に高さが足りずに失敗に終わっている。



(…一か八か、やるしかない。)


江國はポールケースから、先程まで使っていたものとは異なるポールを取り出した。

それは、ここまで使い慣れているポールよりも強度が強いポールである。

より強い反発力を受けて高さを生み出せる分、その反発力を使いこなすために助走、踏み切り、反発を受ける為の体の使い方の全てを再調整しなければいけない。


「…江國、行けんのか?それで。」


新しいポールを手にした江國に、皇次がそう言った。


「…行けるも何も、やるしか無いだろ。」


江國は無愛想にそう言うと、助走のスタート位置に置いたマーカーを数十センチ後退させた。

その様子を見ていた若越にも、焦りと対抗心が芽生え始める。


「…気にするな、若越。2本目までの調子でも十分可能性はある。」


伍代は若越を気にかけて、そう言って落ち着かせようとした。

しかし、今の状況では伍代が若越に対していくらアドバイスを送ろうと、無効であった。

既に5mを越えている伍代からの助言に、若越は少しムッとして答えた。


「…そうですかね?僕はもう少し攻めないと無理だと思います。」


若越はそう言うと観客席の近くに向かって行ってしまった。

伍代からの助言は、若越にとって最も敵対する相手からの上から目線の言葉としてしか、意味を成さなかった。



若越は、観客席の桃木を呼んだ。


(…あれ?桃さんの横にいた知らない女の人、居なくなってる。)


若越がそんな事を思いながら観客席を見ている内に、桃木が最前列に現れた。

若越は、不安な気持ちを彼女に打ち明けた。


「…江國がここにきてポールを上げてきました…。僕も上げたほうが良いですか?」


若越は、知識も実力もある有力なアドバイスより、自分が最も信頼する相手からの助言を欲していた。


「…うーん、拝璃はなんて言ってるの?」


(…また先輩かよ…。)


若越は少し眉を潜めるも、桃木の問いに対して冷静に答えた。


「2本目までの跳躍的には、変える必要は無いって…。」


「…なるほど。若越くんはどうしたい?」


これが、若越が伍代よりも桃木に助言を求める大きな理由であった。

現実的で有力な助言を指示する伍代に対し、桃木は常に必ず若越本人の意志を確認する。

それが、競技者の若越自身…というより、16歳の若越少年にとっては桃木を自分よりも大人と認識し、信頼する要因である。


「…僕は、5mを越えるためには、江國に遅れを取るわけにはいかないと思っています。」


若越の意志を確認し、桃木は笑顔で最後の言葉を掛けた。


「そっか。3本目だからね、後悔しない選択で、全力でやれば私は良いと思う。応援してるね、頑張れ!」



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その間、江國が3本目の跳躍に挑んだ。

助走は相変わらずスピードこそ速くないものの、力強く地面を捉えていた。


しかし、ポールを上げた事により助走距離を伸ばした為、若干助走の歩幅に以前までとの違いが見受けられた。


それでも、踏み切りまで到達した江國であったが、ポールの力に踏み切りが負けてしまっており、バーの位置より手前で体が跳ね上がってしまった。

高さも出ておらず、江國は足裏でバーを蹴り飛ばすようにしてそのままマットへと落下した。



審判員が赤旗を振る。



これで残すは、若越の3本目の結果次第となった…。




今度は若越が、5mの3本目の助走路に立った。

その手に持つのは、先程まで使っていたものとは違うポール。


(…ったく、あいつは…桃も、あいつに何言ったんだ…?)


伍代は、控えテントから呆れながら険しい顔をして若越を見ていた。



そんな伍代を他所に、若越は呼吸を整えて出発のタイミングを狙っていた。

直前の江國の跳躍を見ないようにしていたが、審判員の赤旗と、バーが再びセットし直されてる様子、観客のため息混じりの声で江國が失敗した事は若越も分かっていた。


その時、ホームストレート側の観客席から大きな歓声が聞こえた。競技場のアナウンスも、どうやら男子100m決勝の結果をアナウンスしているようだ。


(…陸、どうだったかな…俺もあいつに負けない結果を出してやるっ!)


若越の耳に、その結果や歓声は届いていない。

周囲からの音をシャットアウトするように意識しながら、若越は大きく息を吸ってポールの先を持ち上げた。



風は僅かに、追っている。



「…行きますっ!」


若越は、先程までよりも15cm助走距離を伸ばしてスタートした。


助走を踏み込む度に、若越の両腕にこれまでより僅かに重みを与える。



(…行くしか…ねぇっ!!!)



若越は、勢いよくポールを突き出して踏み切った。

強い衝撃が若越の体を襲うも、負けじとバランスを保ちながら足先を空に向けて振り上げる。


ポールの反発が早い。


強度が増した分の反発力を見誤った若越は、空中動作を完結できていない内に、その強い力が体に加わっているのを感じた。


ポールに放り出されるように浮き上がった若越は、それでも何とか体勢を立て直し、バーの上に到達した。


それでも、5mのバーは若越の体に完全に触れていた。

逃げようとしても追いかけてくるその手を、若越は振り解くことができなかった。



バーは、若越との接触により深く曲がると、その反発で高く跳ね上がった後に支柱から落下した。



(…クソッ…まだだったか…。)



マットに落ちた若越は、そのまま青く広がる空を呆然と眺めていた。


若越の心には、僅かに選択ミスの後悔が生まれた。

しかし、彼は完全に悔やんではいなかった。

信頼する相手の言葉を信じ、自分で決めた道であったからだ。

それだけではない。新たな武器を使える可能性を、若越は僅かに感じていた。

江國は跳躍の形にすら到達


…と、自分を信じ込ませていたが、それでも伍代と江國に負けた事実は、若越に深く突き刺さっていた…。


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一方、若越の試技中に行われていた、男子100m決勝の模様は…



『…Set…。』


8人の選手の腰が上がる。

観客は依然静寂し、固唾を呑みながら見守っていた。


対面で行われている、男子棒高跳びの音だけが、微かに聞こえるくらいであった。



(…跳哉…一緒に上行くから、ちょっと待ってろよ…。)


蘭奈は脳内でそう呟いて、目を閉じた。

聴覚を極限まで研ぎ澄ませ、号砲の音を待つ。



パァァァァン!!



待ってましたと言わんばかりに、真っ先に飛び出したのは第6レーンの蘭奈であった。


蘭奈の両サイドに2人の選手が並んでいたものの、彼の方が一歩前に出ていた。


30m付近を通過し、上半身が起き上がると並んでいた2人の選手が、蘭奈の前に現れた。

2人は、蘭奈より僅かに速いペースで手足が動いている。



2人の選手に先を譲るも、蘭奈は50m手前時点で3位。

このままゴールすれば、次の大会に進める



…はずだった。



蘭奈の視界の右端から、黒い大きな影が迫っていることに彼が気づいた時には、その大きな影は1番外側のレーンから蘭奈の前に現れた。



"『第8レーン、村上くん、都大附属。』"



(…"村上"って奴だ…!)


蘭奈は即座にギアを上げ、村上に必死に追いつこうと踠くように手足を動かした。

しかし、残りは30m程しかない。


みるみる内に、村上は蘭奈を引き剥がしていき、そのままゴールラインを越えた。




ゴールから10m程越えた位置で、蘭奈はその動きを止めた。

両膝に手を着き、肩で大きく息をしながら目を見開いて、地面を呆然と見つめた。



(…何なんだ…あいつっ!)



「…クソッ!」


蘭奈は勢いよく上半身をのけ反って、一言だけ吐き捨てるように、そう空に向かって叫んだ。


『…3着、第8レーン、村上くん。

記録、10秒87…。』


場内アナウンスが結果を伝えていた。


『…4着、第6レーン、蘭奈くん。

記録、10秒98。』


(…準決よりも遅ぇじゃねぇかよ。)


蘭奈は怒りと悔しさを露わにして、顰めっ面で周囲を睨んだ。

ふと、黒いユニフォームに身を包んだ長身の選手がその視界に入る。


村上だ。


村上は、蘭奈の姿に気がついたのか、軽く会釈をしてすぐにトラックを出てしまった。


蘭奈はただただ、その後ろ姿を睨む事しか出来ずにいた…。



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「…あぁ…ダメだったか…。」


丑枝、巴月たち羽瀬高の応援メンバーは、蘭奈の結果に落ち込んでいた。

そこに、桃木、紀良、高津が合流した。


「…彩ちゃん、蘭奈くんダメだった…?」


桃木は不安そうに丑枝にそう問いかけた。


「…4位。関東は行けずってところかな。

タイムも準決の方がいい。…完全に最後、都大附属の子に捲られたって感じ。」


「そっかぁ…。」


丑枝から結果を聞いた桃木は、残念そうにそう呟いた。

その丑枝の後ろで、静かに俯く巴月の姿に高津が気がつく。


「…巴月…?」


高津が声を掛けると、巴月は慌てて反応した。


「…あっ、お疲れ。どうだった?」


「伍代先輩も若越くんも、関東決めたよ。

…それより、巴月大丈夫…?」


高津は、巴月の異変に気がついたのか、心配してそう言った。


「…ううん、大丈夫。ただ、陸が良いところまで行ったのに残念だったなぁって…。」


巴月はそう言って答えたが、その会話を聞いていた紀良も何か異変に気がついていた。


「…杏珠、陸のやつ迎えに行ってやろうぜ。」


「…えっ、ああ、そうしようか。」


紀良はそう言って、高津に蘭奈を迎えに行こうと促した。


「七も行くか?」


紀良は巴月も誘ったが、彼女は浮かない顔をして乗り気ではなかった。


「…いや、そろそろお兄たちも戻ってくるだろうし、跳哉くんたちも…私は。ここで待ってるよ。」


巴月がそう言うと、紀良は「そうか。」と言って高津を連れて蘭奈の元へ向かった。



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「…なぁ、どう思う?」


競技場の入り口で、蘭奈が出てくるのを待っていた紀良は、高津にそう問いかけた。


「…どうって…何が?」


「…七のやつ、様子が変だったように見えた。」


「…ああ…。」


高津はそう呟くと、少し黙って何かを考えいた。


「…勝馬さんが負けただけで、あれだけ落ち込むとは思えない…。現に、準決終わった後はあそこまで落ち込んでるような様子はなかった。」


紀良の洞察力はそこまで見抜いていた。

高津は、言葉を探しながらゆっくりと話し始めた。


「…私の、勝手な想像なんだけど…。

多分、巴月が落ち込んでる理由は…。」





(…ごめんね。でも、今私が行ったら…に会ってしまうから…。)


巴月は、紀良たちの背中を見送りながら、心の中でそう呟いた。

そして、脳内に少しずつ色濃く現れる、中学時代の記憶を思い出していた…。





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