嘆きの谷に響く声

冷たい風が、谷を挟む断崖から吹きつけてきた。キャラバン隊の荷車が軋む音を立てながら、谷の入り口を目指して進む。目の前に広がる渓谷は深く、陰鬱な空気が漂っていた。道は狭く、足を踏み外せば命の保証はない。遠くに見える谷の入口は、まるで手が届きそうで届かない幻想のようだった。


「追ってきてるにゃ……どんどん近づいてるにゃよ。」

チロクミがネメシアの肩から鋭い声を上げる。後方を振り返ると、砂煙を巻き上げる盗賊団が馬を駆り立て、キャラバンとの距離を縮めているのが見えた。彼らの叫び声は、風を切って耳に届く。


「エイさん、これ以上の加速は……無理そうですね。」

ネメシアはエイに短く言葉を投げる。エイは悔しげに歯を食いしばりながら頷いた。彼の手は剣の柄にしっかりと触れていたが、その震えから戦う覚悟が追いついていないことが伝わる。


ネメシアの胸に葛藤が渦巻いていた。盗賊団がどれほどの手練れであろうと、自分とチロクミが本来の力を解放すれば、彼らを排除するのは造作もない。しかし――。


「……傷つけたくない。」

小さくつぶやく声は、肩の上のチロクミにも聞こえた。


「でも、このままだと追いつかれるにゃ。どうするにゃ?」

チロクミの声には焦りが滲んでいる。ネメシアは彼女をちらりと見上げ、目を細めた。その中に宿る光は迷いと覚悟の狭間で揺れている。


「キャラバンを止めましょう。一度、ここで……」

そう言いかけた瞬間だった。


「そのまま走り抜けるの!」

鋭い声が渓谷に響く。


全員が声の方向を見上げた。しかし、逆光ではっきりとは見えない。風が吹き抜け、音がかき消されそうになる中、その声は再び響いた。


「急げ、止まりゅな!」


ネメシアは咄嗟に顔を引き締め、再び前を向く。そして短く言葉を発した。


「行きましょう!」


その声に応じるように、キャラバンの荷車が再び軋みを上げ、ゆっくりと前進を続ける。盗賊団の馬蹄の音はますます近づいている。それでも、ネメシアは進むことを選んだ。

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