第26話 青い春【ソレイユ書房】

 わたしたちが、『転生物語』についての記憶を操作してから数日。

 寝込んでいたお兄ちゃんが心配だったため、今は強制的に書房にいるようにさせていた。


「調子はどう?」

「心配しすぎ。大丈夫だよ」


 そう言って笑うお兄ちゃん。

 だけど食欲はないし、なんだかふらふらとしている。

 

「でも、今日は少し調子悪いかも」


 これでも、素直に体調を言ってくれるようにはなった。

 昔はお母さんにすら体調不良を隠していて、よく倒れていたっけ。

 お兄ちゃんは、普通の人より少し体が弱い。

 子どもの頃はあまり外で遊べなかったことがきっかけで、本が大好きな青年になった。

 そんなお兄ちゃんから離れたくないわたしも、同じように本好きになったのだ。


「ゆっくり休んでよね」


 そう言って、蜂蜜入りの生姜湯を渡す。

 お兄ちゃんは、嬉しそうに微笑んでそれを受け取ってくれた。




 魔力とはまた違ったこの〈力〉を使うと、お兄ちゃんは余計に細くなる。

 疲労と体力が限界に達して、何も食べられなくなるのだ。

 それだけ、あの〈力〉は強大なもの。

 あまり使いたくないけれど、これがわたしたちに課された運命なのだから仕方ない。

 お兄ちゃんが倒れたら、その分だけわたしが傍にいればいいだけのこと。


「力、入んない」


 生姜湯を飲んでいたお兄ちゃん。

 そんなお兄ちゃんが、ふとそんなことを言った。

 見れば、生姜湯を淹れていたカップを置いて、お兄ちゃんは自分の手を見つめている。

 それはかたかたと震えていて、触れてみると酷く冷たかった。


「ちょっと、まずいよそれ」


 〈力〉を使った後は、何が起きるか分からない。

 だから、何も対策しようがないのだ。

 

 手だけ、力が入っていなかったお兄ちゃん。

 そのときだった。

 がくん、と体全てから力が抜けたのは。


「お兄ちゃん!?」


 慌てて、お兄ちゃんを支える。

 座っていた椅子から落ちそうになったところを、なんとか受け止めた。


「大丈夫!?」

「……なぁ、葵」


 お兄ちゃんは、わたしの腕の中で呟いた。

 小さな小さな、かすれた声で。


「余命何年とかの青春物語の主人公って、こんな感じなのかな」

「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないよ! リーン先生呼ぶからね!」


 冗談を言ってられるのなら、まだ大丈夫かもしれない。

 わたしは、伝書鳥の魔法を発動させた。


「リーン先生に、今すぐ来て欲しいって伝えて」


 青い鳥が、空に向かって羽ばたいていく。

 王都一番の魔法科医が来るまで、お兄ちゃんをなんとかしないと。

 魔法でお兄ちゃんの体を少し浮かす。

 細い体を支えながら、寝室へ向かうことにした。


「青春って、知らない間に来てるらしいよ」

「今は関係ない!」



 *



「あっはっは、呑気なもんだねぇ!」


 ソレイユ書房の二階、わたしの家。

 そのお兄ちゃん用寝室で、愉快な笑い声が響いた。


「ほんと、困らせる天才だと思うんですよね」


 リーン先生は、わたしたちが何回もお世話になっている魔法科医の先生。

 彼女の手にかかれば、治らない病気はないと言われるほど。

 それくらい腕がいいお医者さんだ。


「とりあえず、症状の進行を抑える魔法をかけといた。まぁ、後はゆっくり休むことが大事だね。きっと〈力〉の代償だと思うから、ヒナタ次第だけど」


 リーン先生は、お兄ちゃんの額に手を当てて治癒魔法をかける。

 白い光がお兄ちゃんを包み込み、すぅっと体へ浸透していく。

 それが終わるや否や、ベッドに腰かけていたお兄ちゃんの体は、糸が切れたように傾いだ。

 傍にいたわたしが支えて、ベッドに横たわらせる。


「青春物語かぁ。最近は読まなくなったかも」


 ぐったりと眠ったお兄ちゃんに、肩までしっかりと布団をかけた。

 リーン先生は、カルテを書きながらそう呟く。


「昔は好きだったよ。ありきたりな展開だけど、それを期待してる自分がいてね」

「その『あるある』を待つのが楽しいんですよね」


 青春物語は、魔法界でも人気の本だ。

 恋をしたり、友情を育んだり。そのありきたりな展開は、つまらないものではなくて何故だかとても楽しい。

 そこがおもしろいのだ。


「言っちゃえば、これも青春物語だよね。倒れた想い人を見舞いにきて、そこで新事実が明かされるの。でもその時点で実は手遅れで、言わなかったのは想い人を悲しませないためとか、言い出せないほど幸せな日々だったとか」

「確かに、けっこうありますよね」


 でも、実際の当人たちはそれを『青春』だと思わないだろう。

 大切な人がいなくなるのは、自分の体が引き裂かれるくらい辛いことだから。

 それを青春だと語ることができるのは、読み手であるわたしたちだけなのだ。


「わたしは、廊下でぶつかって恋が始まるっていう物語が好きでした」

「あれいいよねぇ! でも実際は、知らない人とぶつかるんだから恐怖しか感じないらしいよ」

「その違いがおもしろいです」


 だから、『青春物語』はおもしろい。

 実際に起きてみるとキュンとしなかったりすることだって、しばしば。

 そこに生まれる相違が、きっと読者を惹きつけるのだろう。


「ま、とにかく休ませなね」


 カルテを書き終わったリーン先生は、改めてお兄ちゃんを見た。

 眠り続けるお兄ちゃん。

 顔は白くて、手は冷たい。


「ヒナタは体が弱いんだから。それに、魔力がないから回復は遅いだろうしね。あと一週間くらいは動かしちゃだめだよ」

「分かりました。ベッドに縛り付けておきます」

「ははは、仲良し双子でけっこう!」


 リーン先生は大声で笑うと、座っていた椅子から立ち上がった。


「また何かあったら呼んで。いつでも駆け付ける」

「ありがとうございます」


 リーン先生は、わたしたちの秘密を細部まで知る希少な者。

 お母さんが信頼している一族の家系だから、こうやって秘密を知りながらも守ってくれる。

 だから、すごく信頼できるのだ。


「ベッドから離れないように、大量の青春物語渡しときな。きっと喜んで読むから」

「そうですね。一週間では読み切れないくらい渡します」

「そうするといい」


 愉快に笑った先生は、手を振りながら去っていった。






「葵、おかわり」


 それからお兄ちゃんは、ゆっくりと回復していった。

 食べられる物も増えたし、力もちゃんと入るようになった。

 しかし。


「えぇ、もう読んじゃったの?」


 大量に渡した、青春物語の本。

 それを、一日五冊のペースで読破していっていた。

 おかげで、わたしの方がうんざりするほど。


「やっぱ余命もので青春物語はいいな。儚い命を全うするのが本当に綺麗だ」

「お願いだから、その子たちみたいに自分の体を分かってあげてよね」


 すぐ無理するんだから。

 そう言って頬を膨らませると、お兄ちゃんはわたしの頭に手を置いた。


「うん、約束する。葵を悲しませたくないしね」

「それならいいけど」

「ところで、まだ本ないの?」

「ない」


 まだ読むの!?

 もうそろそろ、ソレイユ書房にある青春物語が底を尽きるよ?


「大丈夫、向日葵書店にはまだある」

「取りになんて行かないからね!」


 大好きなお兄ちゃんの頼みでも行かないんだから!



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