第11話 秘めるための本

「ファンタジオロジーって、なに?」


 片野さんの口から飛び出した言葉。

 思わぬ展開に、僕は目を見開いてしまった。


「光本さんとのお話、ちょっと聞こえちゃったんだ。『ファンタジオロジーの本が見たいけど大丈夫か』って。それって、なに?」


 スマホでも調べてみたよ。

 そう言って、片野さんはスマートフォンを取り出した。

 見せられた画面は、とあるサイトの検索ツール。

 そこには『ファンタジオロジー』と検索されていて、その下には『該当する項目が見当たりません』と記されている。


 当たり前だ。ファンタジオロジーは、この店の合言葉なのだから。


 時折、何年かに一回くらい、このような事態は起きる。

 勘が鋭いお客様が、なにかの拍子でその言葉を耳にしてしまうのだ。

 そんなときは、そのお客様が一番納得される言葉でごまかしてきた。


「説明、してくれますよね?」


 片野さんは、だいぶ怪しんでいるようだった。

 まさか片野さんにバレるとは思っていなかったから、背筋に冷や汗が伝う。

 しかし、狼狽えていれば秘密をごまかしきれない。

 僕は、余裕があるようにゆったりと微笑んで見せた。


「片野さん、ちょっとこっち来て」





 連れていったのは、店内のカウンター。

 そこの隅のスツールに腰かけるよう伝える。

 片野さんはゆっくりとスツールに座ると、訝し気な目を僕に向けた。


「それで?」

「片野さんが聞いた『ファンタジオロジー』について、説明するね」


 にっこりと微笑む。

 その笑みに、片野さんは思わず怯んだようだった。そこに押し入るように、僕は一冊の本を彼女の前に置いた。

 それは、魔法書──ではなく。


「『魔法界でのごっこ遊びは、人間界では廚二病と呼びます』……? なにこの本」

「これは、僕が書いた本。ほら、僕って異世界系の物語が好きでしょ? それを取り入れて書いた本なんだ」

「作者は『ソリス』って書いてあるけど」

「僕のペンネームだよ」


 よかった、この本を一冊持っておいて。

 この本は、ソレイユ書房のみで販売していた。

 それをたまたま、こっちにも持ってきていたんだ。


「自分で書いた本って、知り合いが目の前で読んでるとすごい恥ずかしいんだよね。でも光本さんは読みたいって仰ってくれているから、『ファンタジオロジー』って言ってもらってお渡ししてるんだ。棚に差していないからね」


 嘘じゃないようで、嘘のような。

 曖昧な言い方でごまかす。

 知られては困る真実を、こうして知られてしまうのはタブーだから。

 人間界も、魔法界みたいに異世界があるってことを大っぴらにすればいいんだけどね。

 神がそれを望んでいないから仕方ない。


「だから、ファンタジオロジーはジャンルじゃない。僕の本を読みたいお客様が、僕を気遣ってくれている証なんだ」

「……ふぅん」


 片野さんは、髪をいじりながら本を手に取った。

 納得してくれただろうか。

 ぱらぱらと本を眺めている片野さんを見ていると、ふとパソコンが通知を知らせた。

 青い光。

 葵だ。


『片野さん、こっちの世界に踏み込みかけてるって。ライトノベルの異世界のことが大好きだから、このままだと危ないかもって、お母さんが言ってる』


 うわ、さすが片野さん。

 きっと、あの説明で彼女は納得してくれたと思う。

 でも、今度はその事実に引き込まれてしまう。

 ファンタジオロジーという言葉はどこのものか、光本さんはなぜその本の存在を知っていたのか。

 そのような疑問から、いつか魔法界の存在にまで勘づくだろう。

 それは困る。

 人間界は、魔力がないからこそ生まれた世界なのだから。


「この本、おもしろそう。買ってもいい?」


 ふと、片野さんが声を上げた。

 本を持って、僕を見上げている。


 ──買ったら、最後。


 片野さんのように想像力が豊かな人間は、未知なる世界を在るものとして確立していってしまう。

 そしていつか、人間界を脅かす存在になる。

 それだけは避けたい。


「ごめんね。それ、出版社から送られてきたやつで売り物じゃないんだ。それに、僕の本はいま店頭にはなくて」

「取り寄せは?」

「ちょっと待ってね、調べてみる」


 そう言って、ごく自然にパソコンに向かう。

 取り寄せ可能か調べるのではなく、開いたのは通信ページ。

 葵から届いたメッセージに返信する。


『頼める?』

『了解。もうバックヤードにいるから、今から行くね』


 さすが、仕事が早い。

 連絡してまもなく、バックヤードのドアが開いた。

 そこから現れたのは、人間界の服を着た葵。

 家に帰ってきましたとでも言うように、自然にカウンターに入ってきた。


「あれ、片野さん。お久しぶり」

「え、葵さんだ! 久しぶり!」


 顔見知りの二人。

 葵は、片野さんの隣のスツールに腰かける。

 久しぶり~! と、いつものように肩にぽんっと触れた。


「なんの本探してるの?」

「これ。『悪役令嬢になりたいのなら、まずは愛する者の側室を狙いなさい』っていう本」

「へぇ。おもしろそう!」


 ──片野さんは、『違う本のタイトル』を口にした。


 あの、片野さんの肩に触れたあの瞬間。

 葵は記憶操作の術を、片野さんにかけた。

 そして、手にしていた本は違う本に見えるよう幻覚魔法を。

 二つの魔法を一瞬にして同時にかけられる魔法使いは限られていて、葵はその一人なのだ。


 ……にしても、なぜその本にしたんだ? そんなに良い本なのか?

 こっそり葵を見ると、僕が何を言いたいのか分かったらしい葵はピースをした。 

 ピースじゃないんだよ、ピースじゃ。

 まぁ、結果オーライだけども。


「あ、取り寄せはできるね。する?」

「する! お願いします!」


 この本、読んでみたかったんだよね~と、片野さんは楽しそうに笑う。

 そんな姿を見て、少し罪悪感が生まれる。

 人の記憶を操作するのは、長くこの光景を見てきても慣れない。

 記憶は、人生を司る大切なものだから。

 消えて欲しい記憶の中にだって、もしかしたら視界の隅に忘れたくない何かが写り込んでいることもあるから。

 

 ただ、今回は仕方がない。

 片野さんが違う世界に引き込まれてしまうのは、どうしても避けなければならないから。


「じゃあ、入ったら連絡するから。この紙持ってご来店ください」

「はーい!」


 取り寄せの短冊を受け取った片野さんは、嬉しそうに立ち上がった。

 自動ドアまで駆け足で行き、「また来まーす!」と元気に去っていった。


「……はぁ」


 片野さんがいなくなった途端、どっと疲れが出た。

 座っていた椅子の背もたれに、体を一気に預ける。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 葵が、心配そうな目で僕を見た。

 なんだか頭がズキズキする。

 でも、妹にはそんな姿を見せられない。

 僕は、妹の頭にそっと手を置いた。


「ありがとう。ごめんな、迷惑かけちゃって」

「それはいいの、大丈夫。バックヤードにお茶用意してあるから行こ」


 葵が手を伸ばしてくれた。

 それを取って、立ち上がった。



 *



 魔法界の存在がバレるかもしれない人間が出てきたとき。

 それは、この二つの世界が保っている均衡が崩れてしまうかもしれない合図。

 人間界のあちこちで発生してしまったら大変なため、魔法界の女神がそのような人間を一か所に引き寄せる場所がある。


 それが、向日葵書店。


「片野さん、勘が鋭いね~」

「まさか聞かれてるとは思ってなかったよ」


 葵が淹れてくれた、カモミールティー。

 優しい味がしてほっとする。


「光本さんも、ものすごく小さな声で言ってくれててさ。大塚さんもいたから、聞こえないように少し魔力も使ってくれていたんだ。それなのに、片野さんには声が届いた」

「きっと、本に好かれているんだね」


 本に好かれる。

 どんな本でも、その世界にどっぷり浸かることができる人。

 その世界を否定せずに、世界を愛してくれる人。

 本に対してそういう感情を持ってくれている人に、本は好く。

 片野さんは、きっと本に好かれていたんだろう。

 だから、光本さんとの会話も聞こえてしまった。魔法界のことを知るための第一歩として。


「にしても、母さんに連絡がいってるとは思ってもなかったよ」

「今回はまずいって思ったみたい。わたしたちは、できるだけ記憶操作はしたくないからね」


 母親というのは不思議だ。

 子供のことをどこからでも見ていて、なんでも知っているのだから。

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