第5話 vs朝日
「なっ...!?」
先ほどまで4.5mほど先にいた朝日が一瞬にして眼前へと迫ってきており、千景は驚きのあまり思考が止まってしまう。
「はあっ!!」
柳の声と共に朝日はその場からひとっ飛びで千景の懐に潜り込み、そして固まっている千景をよそに朝日は掛け声と共に刀を真横になぎ払おうとした。
「ぐっ...!」
一拍遅れて間合いに入られたことに気付き、避けられないと悟った千景は歯を噛み締めながら目の前で腕を交差させ防御の姿勢を取った。
まさしく目にも止まらぬ速さで振られた刀身は千景の腕に当たるとバチンと大きな音を立てて火花を舞い散らせた。
「がっ...!」
一瞬腕に鈍く重い衝撃が走り千景は思わず顔をしかめてしまう。しかし馬鹿正直に朝日の剣撃を受け止めるつもりはなく、刀身が腕に当たった瞬間に千景は両足に力を込めた。
刀身はほんの一瞬千景の腕に食い止められたが、朝日は千景の防御を物ともせずそのまま刀を横一文字に振り抜いた。
千景はそれに合わせて足に込めていた力を解放して後ろへ飛び退いた。朝日の風を切るような横なぎと千景の跳躍が合わさり、千景は後方へ大きく吹き飛ばされた。
千景は3.4秒ほど浮遊感を味わった後、地に足が付いた感覚を取り戻した。しかし地面に着地した後も勢いが止まることはなく、どうにかバランスは保ったもののそのまま更に後退させられた。
千景が完全に静止できた時には千影と朝日の間には10mほどの距離ができていた。
(は、速い...!)
千景は驚愕で思わず目を見開いていた。柳の『始め』という声が聞こえた瞬間にはもう朝日は千景の目と鼻の先まで接近しており、朝日の接近を認識した時にはもう回避ができない位置まで刀身が迫っていた。
朝日の速攻に千景は完全に後手に回る形となった。
「つっ...!」
更に千景は両腕にじんじんと痺れるような痛みを感じて顔をしかめた。刀身が腕に当たる瞬間に後ろへ飛び退くことでまともに剣撃を受け止めることを避け、衝撃を最大限緩和したのだがそれでも完全に受け流すことはできなかった。
朝日の一撃は速さだけではなく重さも十全に兼ね備えていた。
(この人...強い...!)
始まってから一秒にも満たない攻防で、千景は朝日の力量を十分に推し量ることができた。先ほど行った試験では千景はそもそも一度もモンスターからの攻撃を受けておらず、かすり傷一つ負っていない。
目の前の相手はダンジョンのモンスターたちを優に越える脅威だと嫌でも理解することができた。
(...来る!)
あれやこれやと考えていると朝日が再び近づいてきた。しかしその動きは先ほどに比べて非常にゆったりとしており、何か攻撃を行う体勢を取っているようにも見えなかった。それでも油断はできないと千景はその距離が縮まるごとに警戒と緊張を高めていった。
「やっぱりすごいね!千景くん!!」
「...ぁえ?」
そして3.4mほどの、お互いに会話ができる距離に近づいた時に朝日は大声で千景を称賛した。予想していなかった言葉に千景は思わず間の抜けた声を出してしまう。
「いやー、今のは結構不意打ちだったんだけど...攻撃が当たった瞬間に後ろにジャンプして威力をほとんど消されちゃったね!こんなに綺麗にいなされちゃうとはなぁ!もしかしたら一撃で勝負が決まっちゃうかもって思ってたりもしたんだけど...やっぱりただ者じゃないね!」
「えっと...あ、ありがとうございます...?」
近づいてきた朝日は攻撃を仕掛けるどころか千景を褒め称え、それを受けて千景は軽く謝辞を述べたがそれ以上に困惑が大きく勝った。
千景としては易々と懐に入られ、攻撃を躱すこともできずに苦肉の防御策を取らされたという認識だったのだが、朝日は先ほどの攻撃を上手く防がれたと評価している口ぶりだった。
「よし!今のは先輩としてちょっと大人げなかったから、次は千景くんから全力で自由に攻撃してきてよ!」
「え、えぇ...?」
少しの間考えるそぶりを見せた後、朝日は一つの提案を行い、その提案に千景の困惑は更に大きくなった。
「い、いいんですか?」
「ああ!」
あまりにも突飛で豪胆な申し出に千景は少し躊躇い逡巡した。普通なら戦いの最中に、はいどうぞ、と相手に自由に攻撃させるなどありえない。
「...分かりました。じゃあ思い切りいかせてもらいます...!」
「どんとこい!」
しかしこのわずかな時間でも感じ取ることができる朝日の性格を鑑みると、この申し出が冗談や罠の類いではなく本気であるという一定の信頼ができた。
「ふぅ...」
千景は目を瞑って大きく息を吸って吐き、左足を軸に少し体を回転させ、試合開始時と同じように斜めに朝日と向き合う。そして腰を落として両足に大きく力を込めた。
「ぐっ...!」
思い切り歯を噛み締めながら千景は足に込めていた力の全てで地面を蹴り、思い切り前方へ跳躍した。そして地面とほぼ平行な一直線の軌跡を描きながら、一瞬にして朝日の目の前へ姿を現した。
「はあぁっ!!」
千景は声を上げ、ボレーシュートのような形で宙にいながら鋭い右足蹴りを朝日へと繰り出した。
(よし...!)
体を宙に浮かせたことで蹴りは朝日の顔面を捉え、千景は右足に確かな当たった感触を覚えた。そしてそのまま千景は右足を横一文字に振り抜いた。
跳躍の勢いが乗った蹴りは朝日の剣撃にも劣っておらず、千景の右足が通った後には空気の切れ目ができて風が巻き起こった。
「おわっ!?」
千景の蹴りが朝日に当たり、けたたましい衝撃音が鳴り響く。攻撃を受けた朝日は頓狂な声を上げながら後方へ大きく吹き飛ばされた。
(いや...?)
確かに蹴りは当たったはずだが、当てた千景本人は疑念を抱き眉をひそめていた。当たった感触自体は確実にあるのだが、足を振り抜く際に感じられるはずの重さが全くなかった。
いくら速さと鋭さがあったとは言え、男性を蹴り飛ばすともなれば千景の足の方にもそれなりの負荷がかかる。しかし朝日への攻撃ではそれを全く感じることはできず、千景は空気の入っていないボールを蹴ったような感覚を覚えていた。また千景の想定よりもかなり後方に朝日が飛んでいったことも不可解だった。
「お~、いちち~」
千景と10mほど距離の空いてしまった朝日は、手の痛みに少し顔を歪めながらも呑気な声を上げていた。
(やっぱりこの人...強い...!)
朝日は大きく後方に吹き飛ばされはしたものの、大きく体勢を崩すこともなく地面へと着地したようだった。様子を見るに、手傷と言えるものも全く受けていないようだった。
意趣返しかはたまた収斂的な偶然の一致か、朝日も千景がしたように攻撃が当たった瞬間に咄嗟に防御を行い、そのまま大きく後ろへ飛び退くことで蹴りの威力の大部分を逃がしたようだった。
「すごいですね...今のホントに倒すつもりだったんですけど...」
ゆったりと歩いて離れた距離をつめると、千景は率直な感想を朝日に送った。自由に攻撃してよいという提案に胸を借りる形で、千景は本当に朝日を立ち上がれないようにするつもりで渾身の一撃を放った。
しかし結果は立ち上がれないようにするどころか、少しばかり手が痺れている程度に見えた。
「こっちこそびっくりしたよ!目の前に来るまで全く見えなかった!おかげで痛い一撃貰っちゃったよ~!」
そうは言っているものの、朝日の声や顔には苦悶や動揺といった感情は微塵もうかがえない。むしろ喜んでいたり、興奮しているといった様子だった。
「じゃあこれで小手調べはおしまい!こっからはどっちかが降参するまでやるよ!」
「は、はい!」
「じゃあ部屋の真ん中に」
一度仕切り直しという運びとなり、二人は部屋の中心まで移動して互いに5mほどの間隔を空けた。
「柳さん、もう一回合図お願いします!」
朝日は耳に付けたマイク越しに再び柳に開始の言葉を依頼した。
『よし、任された。二人とも構えろ』
頭上から柳の声が聞こえ、その言葉を聞くと二人とも試合開始時と同じように構えを取った。
『...っ始めぇ!』
柳の号令とともに千影と朝日の両者は思い切り前方へと跳躍し、二人は空いた距離のちょうど中間地点でぶつかり合った。
――――――――――――――――――――
「はっ!」
朝日は両手にもった刀剣を千景の左肩から右腰にかけて振り下ろし、千景を真っ二つにする勢いで袈裟斬りを繰り出した。
「...っふ!」
千景は上体を左にそらすことで刀身の軌跡を避け、そのまま体勢を立て直して右拳を朝日の鳩尾に撃ち込もうとした。
「くっ...!」
朝日は振り下ろした両腕をすぐさま切り返し、今度は下から上へと両腕を振り上げて刀剣の持ち手で千景の右腕を真上へと打ち払った。そして朝日は素早く刀を構え直すとそのまま鋭い刺突を繰り出した。
千景もすぐさま構え直し、朝日の刺突を迎え撃つ形で右手による掌底を繰り出す。
先に刀の切っ先が千景の顔面を目がけて飛来するが、首を思い切り左へ傾けることでこれを紙一重で回避した。
攻守交代とばかりに今度は千景の掌底が朝日の顔面に襲いかかる。しかし朝日も首を思い切り左に傾けることで紙一重でこれを凌いだ。
『止めえぇっっっ!!!』
そこから更に駆け引きが展開されようとしたところで、二人の頭上から突如として落雷のような声が鳴り響いた。二人とも体がぴたりと止まり、至近距離でそのまま硬直してしまった。
『二人とも、そこまで!』
柳の大音声の次に風間の声も聞こえ、その口から試合終了が告げられる。
「えーーー!何で!?どっちかが降参するまでやるって...!!」
「お、終わり...」
数秒経った後、朝日が猛抗議の声を上げた。千景もいきなり告げられた終了に困惑し、呆けた声を上げてしまう。
『俺も決着が着くまで止めねえつもりだったがよ...おめーら粘りすぎ。いつまでやるつもりだ?』
『もうかれこれ2時間近く経ってるよ』
「え?そんなに...」
風間の言葉に千景は思わず驚いてしまう。確かに実力が拮抗し、膠着した状態が続いていたがまさかそこまで長い時間戦っているとは思っていなかった。
『申し訳ないけど、僕も柳さんも仕事があってね...ずっとここにいるわけにもいかないんだ。そろそろお開きにしないと...』
『そう言うことだ。見たところ実力は五分五分ってとこだろうし、今日は引き分けだ。まあ決着はまた今度、二人ともおつかれさん』
「はぁ...白黒付けたかったのになぁ...まあしょうがない、とりあえず部屋から出ようか」
「はい、そうですね」
柳と風間の言葉に朝日は不服そうだったが、責任者である二人の決定を覆せるはずもなく、ため息混じりに臨戦態勢を解いた。
「あっ...」
千景も朝日に習って臨戦態勢を解こうとしたところ、急激に全身から力が抜けてしまい体勢を崩して尻餅を着いてしまった。
「千景くん!大丈夫かい?」
それを見た朝日はすぐに手を差し伸べた。
「す、すみません...ありがとうございます...」
千景は申し訳なさそうにしながら差し出された手を掴んで引っ張り上げて貰う。二人とも身体中に切り傷や掠り傷が散見され、ボロボロの状態だった。
鈍い痛みが全身を駆け巡って体はどっと重く、手足は小刻みに震えて末端まで上手く力が入らない。戦っていた最中には気付かなかった体の異変が一気に襲いかかってくる。千景がここまでの状態に追い込まれることは久々のことだった。
「ちゃんと歩けるかい?肩を貸そうか?」
恐らく朝日も同じような状況であるはずだが、先輩としての矜持かはたまた生来の性格ゆえか、そのような素振りを一切見せないどころか千景の体を気遣う様子さえ見せている。
(やっぱり強いな...この人...)
柳の言葉と戦ってみた感触から、実力はほぼ互角と見て間違いないと感じていた。
しかし今日の勝負は負けた。千景はそう思わずにはいられなかった。
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