第3話 昭和

『もしもし、野田ですが』

 受話器の向こうから野太い声が聞こえた。やはり父親が出たと芳久は顔をしかめた。勇気を振り絞って久美子の自宅に電話したが、案の定、彼女の父親が電話に出た。

「すいません、久美子さんはいらっしゃいますか」

 声が震えているのが、自分でもわかった。

『あんたはどちらさんかな』

「私ですか」

 芳久が言うと受話器の向こうから舌打ちする音がした。

『電話してきたらまずは自分の名前を名乗るのが礼儀だぞ』

「あ、は、はい、高山です」

 今度は受話器の向こうからため息が聞こえた。

『高山? 下は?」

「下ですか?」

「そう。下の名前。あんたにも親からもらった名前があるだろ」

「あ、えっと、芳久です」

『高山芳久さんね』

「はい、高山芳久です」

 自分が高山芳久ということは、電話で声を聞いた時にわかっていたはずなのにと思うが、そんなことは決して言えない。

『その高山芳久さんがうちの久美子に何の用かな』

「いえ、特に用があるというわけではないのですが、久美子さんにお話がありまして」

『久美子は朝から出掛けたままだが』

「朝から出掛けていますか。そうですか」

 朝から出掛けたまま帰っていないのかと思うと暗鬱な気分になった。

『久美子に伝えることがあるなら、わしから伝えておくが』

「いえ、また連絡します」

『わしには言えない話かな』

「いえ、そういうわけではないですが、特に重要な話でもないもので」

『大した用もないのに電話してきたわけか。じゃあ切るぞ』

「あっ、ちょっと待ってください」

『なんだ』

「久美子さんに、申し訳ないですとだけお伝え願えますか」

『申し訳ないと言えば久美子はわかるのか』

「はい、わかると思います」

『じゃあ、そう伝えておく』

「よろしくお願い……」

 芳久が言い終わる前に電話はガシャンと切れた。公衆電話の受話器をおくと返却口から小銭が落ちる音がジャラジャラと聞こえた。芳久は返却口から小銭を取ってズボンのポケットに突っ込んだ。

 久美子は出掛けているようだが、芳久との約束の場所にはいなかった。彼女は今もどこかで自分を探しまわっていたらどうしようか、もし、途中で事故にでもあっていたらと思うと芳久は家に帰る気にはなれなかった。

 もう少し、この辺りで久美子を探してみよう。

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