約束の場所

まつだつま

第1話 昭和

 まもなく駅に到着するとアナウンスが流れ、電車の速度が落ちていった。

 高山芳久は握りしめていた吊革から手を離し、乗客の間をすり抜けドアの前に立った。そこで腕時計に視線を落とした。

「完全に遅刻だな」

 芳久は呟いた。

 電車の速度が一段と落ちてドアの窓から駅のホームが見えた。たくさんの人が列を作って並んでいる。

 電車がキィーと音を立て、ガタンと揺れてから止まった。到着のアナウンスが流れ、少し時間を置いてからドアが開いた。

 芳久はドアが開いたと同時に電車から飛び降りた。人の列の間を抜け、ホームを突っ走る。そこで電車に飛び乗ろうと向かってくる人とぶつかり転んだ。ぶつかった相手は地面に転んでいる芳久を見下ろし、舌打ちをして電車のドアから中に消えて行った。芳久は地面で強く打った右膝がズキズキと痛みしばらく立ち上がれなかった。ホームでタバコを吸っている数人の男たちが芳久に冷たい視線を向けた。

 芳久は男たちにペコリと頭を下げて、痛みを堪えてヨロヨロと立ち上がり、足を引きずりながらまた走り出した。右膝をかばいながら階段を降り、自動改札を抜けた。

 改札を出て肩で息をしながら辺りを見渡した。

 しかし、彼女の姿は見つからなかった。腕時計に視線を落とすと、時計の針は午前十時十分をさしていた。約束の時間から十分遅れた。

 顔を上げてもう一度辺りを見渡すが、やはり彼女の姿はなかった。

 芳久は先週のデートで三十分も遅刻した。その時の彼女は怒ってはいたが待っていてくれた。ただ、今度遅れたら絶対に許さないからと釘を刺された。

 先週のことがあるので、今日は十分が待てずに怒って帰ったのかもしれない。

 芳久は駅の伝言板に目を向けた。彼女からのメッセージはなかった。どうすべきか悩んだ挙げ句、芳久はしばらくここで待つことにした。

 改札の前立ち彼女を待った。しかし、電車が到着する度に、改札は人で溢れたが、彼女の姿を見つけることができなかった。

 約束の場所を間違えたのかもと思ったが、芳久は電話で阪急の改札の前と彼女に告げたはずだ。

 彼女の家に電話をしようと思ったが、先月、彼女の家に電話した時のことを思い出すと出来ない。

 先月電話した時、すぐに繋がったが電話に出たのは運悪く彼女の父親だった。

 父親は芳久の声をきいた途端に声が不機嫌になった。父親は彼女に電話を変わろうとはしなかった。要件を言えば、自分が伝えるから変わる必要はないと言った。

 要件を伝えろと言われても、特に伝えてもらうことなどなかった。その時電話をしたのはただ彼女の声が聞きたかっただけなのだから。

 芳久が電話口でモゾモゾしていると、わしに話せないような話をするつもりなら、今後一切電話はしてくるなと言ってガシャンと電話を切られた。芳久は間違いなく彼女の父親に嫌われている。

 芳久は結婚を前提に彼女と付き合っているつもりだが、父親に認めてもらうというハードルが高すぎる。電話することすら認められていないのに、結婚させてくださいなんて言ったら殺されるんじゃないかと思っている。

 芳久との交際を認めてくれない彼女の父親が出るかもしれないと思うと、今から彼女の家に電話する勇気はもてなかった。

 

 芳久は朝が弱い。午前中からのデートはできるだけ避けたいが、今日は彼女が『バックトゥザフューチャー』をどうしても観たいと言って朝九時半に待合せと言ってきた。

 彼女は上映時間を新聞で調べて十時三十分から上映されるのを観たいと言った。人気の映画だから九時半に行かないと座れないからと言ったが、芳久は十時にしてくれとお願いした。

 彼女は不服そうな顔をしたが、妥協してくれた。それなのに、その時間にも間に合わなかった。彼女は絶対に怒っているだろう。

 芳久は腕時計を見た。すでに映画は始まっている。もしかすると、彼女は一人で映画館に入っているかもしれない。芳久は一人分のチケットを買って映画館に入ることにした。


 映画館に入ったが満席で座れそうにない。立ち見客もたくさんいる。膝の痛みを堪えて二時間の立ち見はきついがやむを得ない。まず立ち見客の中に彼女がいないか探してみたが、その中に女性一人でいる姿は見つからなかった。芳久は一番後ろから席に座っている観客から彼女を探すことにした。

 しかし、映画館の中は暗い上にスクリーンの光が逆光になって黒いシルエットしか見えない。座席の背もたれの上に見える黒い頭のシルエットだけで彼女を探さなければならなかった。

 一番前の席の右端から順に一人ずつ見ていった。たまに彼女らしい頭を見つけるが、その頭は隣の頭に寄りかかっているので、彼女ではなさそうだ。

 結局、一番後ろの席まで順に見たが、彼女を見つけることは出来なかった。

 上映が終わり観客はゾロゾロと出口へと向かってくる。芳久はその中から彼女を探したが、やはり見つからなかった。

 芳久は映画館を出て駅の伝言板に向かった。

『くみこ、ごめん。よしひさ』

 芳久は書き終わったあとチョークを置いて、伝言板に向かって頭を下げた。

「久美子、ごめん」

 芳久はそう呟いてから踵を返した。


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