第10話 私も黙っていられたらいいのに

「か」

「か」

「可愛い」


これはもう揃っても仕方ないぐらい、ゴスロリ要素の全てが調和してカナの可憐さを引き立てていた。フリル付きの黒いドレスは白い肌を美しく引き立て、血の気のない人形のように感じさせる。細すぎる手足は美的というより病的な雰囲気を纏っていたが、今に限ってそれは妖艶と表現して差し支えなかった。


「ほぅら、わたしの言った通りじゃん。色白だから黒が似合うと思ったんだよね」

「金髪も洋風で似合ってるし、今回ばかりは負けを認めざるを得ない」

「それな。吸血鬼っぽくてマジで刺さる。写真撮って圭くんに送っとく?」

「絶対に勘弁」

「どう、カナちゃん。すっかりイメチェンした感想は」


もじもじしながら私たちの応酬を聞いていた彼女は、か細い声で


「別に」


と言った。


「そっかぁ、気に入らなかったかぁ」


空とぼけた調子で言う雲母を横目で見て、私は呆れた。彼女が次に述べる一言が、手に取るように分かったから。


「じゃあ次、瑞紀が選んだ服いってみよー」


予想通りだ。しかしカナはその誘いに乗ることなく、やや口を尖らせて反対を表明した。


「……もう疲れました」


まぁ、そうだろう。肌の白さは長らく日光を浴びていない証左、異常に細い腕と脚は栄養失調と運動不足の象徴だ。一体何年、引きこもっていたのだろう。それが突然太陽の下に連れ出され、慣れない服を着て褒めそやされるのだから大変だ。私には分かる。彼女がなかなか試着室から出なかったのは、鏡の前でしばらく迷っていたからだ。これが本当に似合うのか、けなされるのではないか、光の下で晒して恥ずかしくないか、色々な懸念が浮かんでは消えたに違いない。肝心なのは、それでも彼女が出てきてくれたことだ。この姿を誰かにみてもらいたいと感じ、私たちがその相手に認められたことだ。大きな一歩だろう。それだけで今日、時間を割いた甲斐がある。


 彼女の要望に従って、今日の集会はお開きとなった。雲母とツヨシさんはそのまま買い物を続行するということで、帰路も私とカナの二人きりだ。行きより和やかな空気だといいな、という期待も空しく、彼女は椅子に座るとすぐに携帯を取り出した。


 窓の外はまだ明るく、朝の気分を引きずっている。高く澄んだ青空が、かえって車内を暗く見せていた。やがて、右に引っ張られる感じがして、電車がゆっくり動き出す。


 私は心を決めて、隣のピーターパンに話しかけた。


「買わなかったんだね、あのドレス。似合ってたのに」

「まぁ」

「他に買いたい物は無かった?」

「別に」

「趣味とかある?」

「絵」

「イラスト?」


こくりと頷く。


 どうしよう、全然こっちを向いてくれない。会話は滞っていないのに、なにか決定的に流れが堰き止められている感じがする。案の定、ネタが尽きると話はあっさり終わってしまった。内心あたふたしていると、なんと彼女のほうから口を開いた。


 「……平気なんですか?」

「え?」

「恋人の浮気相手なのに。私、今朝、殺されるんだと思いました」


彼女は神妙そうに眉を顰め、それでも画面から目を離さない。雲母に言わせれば、これは一種の盾なのだろう。他人の視線や敵意から、自分の心を守る防壁。


「……あ」


だが私は、雲母と違って誰に対しても寛容ではない。相手が彼氏を誑かした女となれば尚更だ。私は彼女が大切そうにしているスマホを、彼女の手から奪い取った。


「平気か平気じゃないか、その二択で答えるのは難しいよ」


やっとこちらを向いた彼女の瞳には、あの日の冷たさが宿っていた。散々圭くんを斬りつけた刃。その切っ先が、今は私に向けられている。


「あなたは圭くんと居て平気?」

「……」


彼女は答えない。


「……私も黙っていられたらいいのに」


訊かれたことに耳を塞いで、目に入るものに蓋をして、鈍感に生きてこられたら良かった。でも現実の私は、気になることに首を突っ込み、余計なものに目を向けては、自業自得のノックアウトを食らっている。私だけじゃない、大抵の人間がそうなのだ。こちらのほうが楽だと分かっても、それだけを明かりにして歩むことはできない。音を、光を求めてしまう。認めたくはないが、彼女だけが特別なのだ。


 「……どうしてそこまでするんですか?」


彼女は携帯を取りかえすことを諦め、私を視界から外した。


「彼はあなたを裏切ったのに、どうしてそこまで出来るんですか?」


ああ、始めから、訊きたかったのはそれか。浮気をした彼氏のために、刃傷沙汰になってもおかしくないような相手と一緒にランチ出来るのは何故か。確かに、改めて考えると気味が悪い。人を不幸にするために生まれた悪魔が、人間と仲良くなろうとするようなものだ。


 でも私は別に、彼氏の愛人を殺すために生まれてきたわけじゃない。


 どちらかと言えば、他人を幸せにするために生きてきた。


 「例えば」


大きな窓に反射した、私たちの姿を見遣る。歪な関係だ。この子と私も、この子と圭くんも、私と雲母も。でも歪に見えているのは、私がそう見ているからだ。


「もし雲母が不治の病で入院していたら、私は週五でお見舞いに通っちゃうだろうなーって、思ったの」


彼と私の時計は違う。生きてきた時間が違う。頼りにしてきた指針が違う。だったら、無理にでも私の盤上に乗せなければならない。


「その病が自分のせいだと分かったら、ますます傾倒すると思う。彼氏と食事をしていても、映画を見ていても、同じ布団で寝ていても、いつだって雲母のことを考えるだろうね。だって、償えるのは自分だけだから。他の誰にも譲りたくないから」


ガラスに映る彼女は常に無表情だ。多少は響くものがあってほしいが、右から左に聞き流されていても、もう何も言うまい。


「彼の悩みを、分かった気になっているだけかも知れないよ。だけど一旦考えたら、責めるに責められなくなっちゃって。きっと彼も同じなんだよ。あなたを拒めなかったのは、彼の想像力のせいなんだ。だから、お願い。彼にメールを返してやってくれないかな? あなたの近況を知らせるだけでも、彼の想像力は鳴りを潜めると思うんだ」


そこまで言い切って、私は彼女に愛フォン(アンドロイドだけど)を差し出した。彼女は今度こそ神妙な顔つきで、私の顔とスマートフォンを見比べる。罠がないか、匂いを嗅ぎ分けているようだった。


 「……それは、あなたが彼を責めない理由ですよね」


携帯電話を受け取ったあと、彼女は電源を入れず、端末のふちを擦りながら尋ねた。


「こんな面倒なことをする、意味が分かりません。愛ですか? それって何ですか? どうしてそこまで頑張れるんですか?」


初めて、彼女の本当の言葉が聞けた気がした。


 愛とは何か。そんなの、私にも分からない。中学生の頃からずっと、この青臭い、哲学的な問いと真剣に向き合ってきたけれど、私の愛は一所ひとところに収まる気配がない。相手が変わるというよりも、絶えず形が変わって、元の場所に収まらなくなってしまうのだ。


 でも、ここに一つだけ、はっきり分かる形がある。


「彼がね、唸ってたの」

「……唸って?」

「最初は、悪夢でも見ているんだと思った。ただの寝言だろうって。でもね」


唸っていたのだ、彼は。一向に返事の届かないスマホを胸に押し当てて。泣くのでもなく、叫ぶのでもなく、ただ本能に身を任せるように。そのときの声をどう表現したら正確なのか、う゛とあ゛の中間のような、内臓に響く低音だった。


「本当にどうしようもないとき、何が悲しいか分からないのに悲しいとき、こんなに不器用な人がいるんだなって、なんか可哀想になっちゃって」


私も大概、馬鹿な女だ。


 カナは最後まで俯いたまま、スマホの側面を撫でていた。


 私ももう無理に口を開いたりせず、空回りする陽気を眺めていた。


 このあと彼女がどんな行動に出るのか、それによって圭くんの心がどう動くのか、見通しはまるで立っていない。だが一方で、やれるだけのことはやったという妙な達成感が私を満たしていた。ここまでやって駄目なら、今回のところは私の負けだ。でもあっさりとは負けてやらない。何度だって食らい付いて、あの子に負けを認めさせてやる。


 しかし数日後、私たちの戦いが幕を閉じたことが、圭くんの口から告げられた。

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