双色の土流術師

灰緑

第一章 壊れた世界

第1話 プロローグ



 ————【二〇四三年 八月一九日 東京都 旧渋谷駅西口】————

 

 捨てられた高層ビルの屋上から眼下を眺めてみれば、彼らはうろついている。


「まつり。下を見て。はくよ」


 長髪の一連塚夜々(いちれんずかよよ)は、冷たい声を周囲に響かせた。

 雲が蒸発した夏の夜。

 ひとりぼっちの半月は、捨てられた廃墟の渋谷を緩い光で照らしていた。


「二〇体ぐらいかぁ。でも一応、元は人間だから、可哀想な存在……」

 

 そう言われて心がざわつくが、夜々は平坦を装って素早く振り返る。するとショートボブの帯名まつりは、つぶらな瞳で夜々を見つめてきた。


「白(はく)は……人から作り変えられてしまった。だから早く、殺してあげたほうがいい。そう思わない? まつり」

 

 夜々は白を倒さなけばならない。そのために生きている。

 まつりはふっくりとした唇を硬くして、そうね、と呟いた。

 夜々は前を向いて自分の三白眼を直下に落とす。そこには【白域はくいき】と呼ばれる無人の街が、夜の大海のように広がっていた。


 15年前、【降神こうしんの惨劇】の儀式が生み出した【白域】は、世田谷区全域と渋谷区、新宿区の一部で構成され、そこには、形状は人であるが人でない生命体、白が生息している。彼らは、白の名のごとく全てが白く、人間を見れば無条件に襲う。

 政府によって立ち入り禁止エリアとなっているこの場所に来ることができるのは夜々たち土流術師どりゅうじゅつしだけであった。


「……それにしても、暑い」


 夜々は、屋上に放置された椅子に座り、黒いレギンスで包まれた脚を組んだ。

 月光を吸い取った艶やかな長髪は、きらめきを放ちながら微風と遊んでいる。


「でも、夕方のゲリラ豪雨で、少しは楽じゃない」


 雨は椅子の埃を洗い流し、夜々が着る軍服に似た黒いワンピースは汚れないだろう。粘い空気によって頬に仮止めされた髪を、夜々は指先で弾いた。

 組んだ足先をくるくると回せば、幾何学的なフォルムを見せる黒いショートブーツは、滑りがある光沢を放つ。


「さてと」


 夜々は胸のポケットから横長のケースを取り出した。

 五等分に区切られた蓋を一つ開けて、左の指先で赤いキューブを摘み出す。


「もう術を発動するの? 夜々。早くない?」


 夜々は立ち上がり、左脇から小太刀を抜いた。


「————【土流源どりゅうげん 解放】————」


 彼女の総身は薄赤色で包まれた。


「————【土流術どりゅうじゅつ 赤武装レッドアームド】————」

 

 夜々がキューブを小太刀に近づけると、赤い砂塵となって刀身を包み込んだ。

 白を殺すための唯一の術式【土流術どりゅうじゅつ】だ。

 夜々は15歳で白を殺す組織【御照(みてら)】に入った。

 もう少しで3年が過ぎる。


 待っていて。白にされてしまった人たちの魂。


 せめてもの贖罪として、人が誰しも行き着く——死——に連れていくから。


 この世界は壊れている。


 いや、あの人たちが壊し、そして白が生まれてしまった。

 

 だから誓う。


 一人で世界を元に戻す。

 

 夜々は駆け出して————ビルの屋上から飛び降りた。




 荒れすさんだ旧渋谷駅西口に降り立った夜々たちの前に、白の群がたむろっていた。

 

 明確な意識もなく、人をみれば襲いかかる、最下位の常時白じょうじはくである。死装束のように白が極まり、妖々しい姿だ。


「時間がかかるわ、これ」


 まつりは具現化した銀色の盾を前方に構える。

 帯名家は防具を具現化する土流術の系で、攻撃特化の夜々とペアに組んでいた。


「二十体以上いるから、はぐれ白ではない。でも、どうしてこんなにたくさん……」

 

 夜々は訝しむが、具体的な理由は見つけられなかった。


「何か変……気をつけて、夜々」


「ええ、分かっている」


 女性の痕跡が身体に残る白が、朧な足つきで散らばる瓦礫を越えようとした瞬間、夜々は飛び出した。

 夜々の足が、地面を強烈に蹴り上げ、小太刀は水平に踊る。

 白の首はぽんと宙へ跳ね上がった。

 白の身体は地面にひれ伏し、吸い込んだら噎せるような白煙を上げながら溶けていった。


「一つ」


 夜々は鎮魂を数えた。


 シンプルに首を落とす、あるいは胴に穴を開ければ、白を殺すことができる。

 そして白を殺すことができるのは、土流術を使う古の眷属の末裔たる、夜々たちだけである。

 

 この世界の創世神から【神威しんい】と呼ばれる力を借り受け、体術や武器を具現化させて白を殺す彼らは、【土流術師どりゅうじゅつし】と呼ばれていた。


「まつりも……白を倒して。数が多いんだから」


「夜々が、先走りしすぎ。ほら、前から来たわよ」

 

 見上げる視線の先には、振り上げられた白い腕。


 小さくバックステップ、夜々が後ろに退けると、腕は垂直に振り下ろされ鈍い破砕音が聞こえた。コンクリートの床にひびが駆け抜け、乾いた砂塵が周囲に浮かび上がっていく。


「こいつら、たいの白の系統か。力任せの白……」

 

 夜々は素早く側面に回り込み、脇腹をえぐるように蹴った。

 男性の白は、ふわっと浮かびながら壁に激突し、そのまま動かない。


 夜々は【神威しんい】をまとうことで、極限まで肉体を強化することができる。その脚は鉄よりも頑丈で岩さえも粉砕する。常時白なら、その攻撃は致命傷となる。


「次……行くわよっ!」


 夜々の前方から迫り来る3体の群れ。その後ろからも掲げた腕をふらつかせながら近づいてくる。夜々が地面と平行に飛んだ。

 彼女の流れるような剣捌きによって白たちは呻くことさえ忘れて次々と地面に崩れ落ちていった。


「これで、六体」


 【神威】で視力も強化されている夜々は、夜でも昼間のように明るく感じる。月明かりはもはや晴天であり、夜々は目を細めて空を見上げる。


「夜々! よそ見しないっ」


「分かっている」


「なら、さっさと倒してよ! せいっ」


 まつりの前に一体の白。

 声を張り上げ、盾を一気に押し出すと、白は吹き飛ばされて地面を転がった。

 追ってまつりは、盾の鋭角な下部を心臓に突き刺した。


「終わらせてくるから」


 夜々は、そう宣言して、白の群れへと突き進んでいった。

 

「終了」


 夜々が最後の一体を数えあげると、二十四体の常時白がいたようであった。

 戦いの最中に移動して、夜々はエスカレーターを登った回廊にいた。


「こっち、もういないよ。まつり」


「結構、時間がかかったね」


 まつりが錆びたエスカレーターを登ってくる。

 回廊の両脇のガラス窓は破壊され、鋭角の破片が床一面に散らばっていた。


 夜々は周囲に警戒を振りまきながら、「ねぇ……中位白ちゅういはくがいるんじゃない」


「ありえる。でも名無しの中位白なら対応できるけど、それ以上の名入りや席番の場

合は撤退。だめよ、夜々。あなた直ぐに無茶するから」


 下位の常時白じょうじはくを操る中位白ちゅういはくは、上から【名入りないり】【席番せきばん】【名無しななし】の三ランクに分類される。

 【名無し】の中位白なら、【御照】の十階級で七位に位置する夜々たちでも対応できるが、席番以上だと歯が立たない。

 さらに頂点に君臨する五種の系を持つ五体の五白ごはくは、階級一位の土流術師でも引き分けに持ち込む戦い方が最善であった。


「はいはい、分かって————」


 夜々はまつりに覆いかぶさり、床を回転しながらその場を退避する。

 暴虐な破壊音が鳴り響いた。夜々は視線を元の場所に戻す。

 床に巨大な穴が生まれ、錆びた鉄線が骨のように露出していた。


 夜々は片膝を付いて小太刀を即座に構える、まつりは「やっぱり」と漏らした。

 

 回廊の先にある高層ビルの入口で、身体から放たれる白い光が、周囲をいやらしく照らしていた。


 男性の巨躯は、たいの白に属する中位白に相応しい、鍛え上げられた肉塊を有していた。


 何かの競技を思わせる服を着ていた。

 短い髪型に精悍な顔つきは、スポーツなら空手の選手を彷彿とさせた。


「二人か。お前たち人間は、通常、四、五人で動かないか?」


「悪い? ごめんなさい。あなた程度の相手に人数を割いている余裕がなくて」

 

夜々は平然と悪態をつく。中位白は、元は常時白であるが、五白たちによって残虐性が強い意識と力を埋め込まれている。


「余裕だな。お前」


「当然でしょう」


 夜々は深く呼吸をして、肺の奥まで空気を入れ替えた。


 黒い弾丸となって中位白へと飛翔。

 高速で抜け切る瞬間に首を切り裂こうとした。


 だが中位白は笑みを浮かべ、夜々の小太刀を左の正拳で薙ぎ払う。

 小太刀は流され、夜々は勢いのまま中位白から離れていった。

 

 彼の拳に五センチ程度の切り傷が見えたが、映画の逆再生のように綺麗に消え去っていった。


「硬化した俺の拳に傷をつけるとは……いい刀ではないか」


 口元は歪み、頬に影が生まれた。


 なにそれ、気持ち悪い。人の真似をして。


「安心して。次は首を落としてあげる」


「夜々! そいつ」


 まつりが言いたいことは分かっている。


 白は、おそらく中位白の席番以上。

 つまり自分たちでは太刀打ちできない相手だ。


 だけど、そういうことじゃない。

 世界を元に戻すために、全ての白を殺す。そう決めている。

 だから絶対に退かない。


 夜々は左手を小太刀の柄に添えて、正中線に構えてみせた。

 ぬるい夜風が吹き始める。


「中位白の席番以上……なんて倒し甲斐があるの」


 夜々はほんのりと笑い、触発されたのか中位白の顔の歪みは増していった。


「……わたしたちが狩る対象、それが白。もう人ではない」


「確かに人であった時の記憶は微塵も残ってはいない。だがな、五白の一体、猛白もうはく様によって意識と力を植え付けてもらったこの身体は、老化することもなく、傷も修復される。美しいと思わんかね、人の論理の外に存在する我々を」


「その言い方、気持ち悪い」


「旧世代の生物には、理解できぬか。まあいい。我々はさらなる高みを目指すだけだ」


「……どういうこと?」


「お前に話す必要はないだろう。逃げた神の残り滓を使うお前たちに」


「……じゃあ、その薄汚い口元ではなく、わたしに怯える唇から吐いてもらうから」


「威勢がいいな」


 夜々は小太刀を中位白に向けたまま、ゆっくりと左の壁に近寄った。


「まあ、いい。さあ、挑んでくるがいい。人間」


「ええ、そう……する」


「だめ、夜々!」


 まつりの震える声帯、だが夜々は止まらない。


 目の前で全てを奪われた15年前のあの日、人らしいものなど全て置いてきた。


 夜々は身体を沈ませる。背中の黒髪は扇のように左右に広がった。


 たん、と硬く音が鳴いた。

 床を蹴り、夜々は尾を引く一閃に成り変わる。


 体重を乗せた小太刀の鋒で、心臓をえぐろうとした。


 中位白は腰をぐっと落とし、武道のような構えを見せて、右肘を大きく後ろに引いた。圧をまとう右正拳突きが、轟を従えて水平に放たれる。


「ラッシュ!」


 まつりの声と共に、夜々は突然、真横に押し出された。

 床に手をつかずにこらる。

 

 まつりを探すと、遠く離れた床の上に倒れ込んでいた。


「まつり!」


 焦りに急き立てられて夜々は叫んだ。


「……大丈夫。でも、そいつの拳……ほんと、硬い」


 まつりは顔を上げ、起き上がろうとしていた。

 だがまつりは盾を持っていない。

 夜々が中位白を見やると、その足元で盾が粉々に砕け散っていた。


「まつりの盾が、嘘でしょう」


 動揺で夜々の心臓は激しく揺れていた。

 中位白を倒すどころか、夜々はまつりに守られた。


「俺の正拳と引き換えに防ぐとは。素晴らしい。本来なら、身体ごと貫いていたはずだが」


 中位白は構えを解いて、再びの軽薄な笑いを夜々たちに見せつけた。

 

 夜々は小太刀を彼に向けるが、刀身の軸がぶれていた。


「……撤退よ。夜々。今のわたしたちでは……勝てない」


 夜々は最短で、「嫌よ」


「あの攻撃を防ぐ手立てがない以上、私たちは時間の経過と共に追い詰められる。分かるでしょ」

 

「白を前にして引くの? あり得ない!」


「聞き分けてよ。夜々」

 

 残存の理性がかろうじて夜々を堰き止めた。


「————ええぃ、くそっ」

 

 夜々はゆっくりと小太刀を降ろし、中位白をその場に縫い付けるように見据えながら、まつりのそばに近寄った。


「実に懸命な判断ではないか。そろそろ引く頃合いだ。また……合い見える気がするぞ。しかし渋谷は、お前たち人間との境界線に近いだけあるな。電源が生きている」


 中位白は前を向いたまま背後の暗闇へ後退して姿を消した。


 夜々は小太刀の柄を強く握りしめた。

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