第3話
劇場を出ると、すでに辺りは暗くなっていた。
イアンは今日は時間があったので、知り合いの店にネーリを連れて行った。
ネーリが朝から何も食べていなかったことが判明したからだ。
「ほんま悪かったわ~。急に観劇誘ってもうて。芝居見る前になんかちょっと食べさせてあげたら良かったなあ」
ここはバーだが、軽食も頼める。店の主人とイアンは親しく、ちょっとこの子に食べさせてあげてくれへんかな? と頼むと、温かいスープと軽食を出してくれた。
美味しそうと目を輝かせてそれを見ているネーリを笑いながらも、イアンはそんな風に詫びた。
「お腹空きながら観劇とか最悪や。俺が気づかんとあかんかったなあ。ほんまごめんな」
「平気だよー。お芝居面白かったから全然お腹すいてるの忘れてた」
「さぁ、食べて食べて! 遠慮せずに食べてな。ここのスープもすんごい美味しいんやで。
ここの主人、前にネーリがヴェネツィアで美味しい店やって紹介してくれた店の主人と双子やねん。おっちゃんは新しい店出してバーしとるけど、元々老舗の息子や。料理もめっちゃ上手いんや」
「そうなの? 知らなかった」
「ネーリはお酒あんまり飲んだことないんやな。おっちゃん、軽めのお酒少しだけ出してくれるか?」
「果実酒にしましょうか」
「おおきに。美味しいやつ頼むわ。酒も飲まんと朝まで平気で絵を描く、生真面目な画家先生にもそろそろ酒の美味しさも知ってもらわんと」
ネーリが笑っている。
「お酒って楽しい?」
「美味しい酒を、好きな相手と飲むのはな。ネーリはそんなに若いのにあんな素晴らしい絵を描く才能がある。色んな素晴らしい景色も描ける。君の知る素晴らしい世界に、ちょっとだけ酒も入れてもらわんと」
温かいスープを口に入れて「おいしい」と目を輝かせていたネーリが笑った。
イアンは頬杖を突く。
「ネーリは酒の造り方を知っとる?」
「お酒の造り方? 素材を発酵させるんだよね?」
「うん。けど、葡萄を発酵させれば酒は造れる。でもいい葡萄酒は、ただ発酵させても作れへん。葡萄が育つ場所から何から、栽培方法から作り手は考えるんや。俺の国でもワインはよく作られてる。一年に一回、マドリード宮に家族が集まって、自分の領地で作ったワインを持ち寄って、あれがいいとかこれがいいとか言い合う行事がある。俺の領地のワイナリーも葡萄園を管理しとるけど、少しでも美味しいワイン作るために複数の品種を栽培して掛け合わせたりして、日々すんごい努力しとる」
「一種類の葡萄じゃ無いの? なんで組み合わせるんだろう?」
「味に深みを出すためや」
イアンが言うと店の主人が出してくれた、美しい真紅の液体が入ったグラスを、ネーリがそっと持ち上げた。
「……宝石みたい」
その言葉を聞いて、イアンが目を細めて微笑む。
「ほらな。酒を知らなくても、君にはその価値が分かるんや。時間を掛けて作った物の尊さが」
香りを匂うと、いい香りだった。一口飲むと、香りに想像したより味は複雑だった。
ネーリが見せた表情に、イアンは声を出して笑った。彼にも覚えがあることだったからだ。
「最初は味に驚くやろ」
こくこく、と頷き一口を飲み込む。
「でも香りはすごくいい。本当に果物の匂い」
「香りが美味しく思えたなら、そのうちまた飲みたくなるよ」
「うん」
注がれた量は少しだったので、飲めそうに無かったら飲んであげるよとイアンは言ったのだが、これは全部飲んでみる、とネーリが言った。
「絵の顔料もね、色んな色を少しずつ組み合わせて、自分だけの色を作るんだよ。描くときに重ねたり混ぜたりするだけじゃなくて、顔料にするときから、混ぜる。深みを出すために色んな素材を混ぜるの」
「お酒と同じや」
「色も宝石みたいに綺麗だもんね」
軽食を取りながら、観劇した舞台の感想を話した。
小さい劇場なのだが、所属する役者の実力はやはりなかなかだった。過去には、今や王立劇場に属している役者なども、若い時期に過ごしたこともあるようだ。
脚本も劇団員が書いているらしく、大きな劇場では有名な脚本家や作家に脚本を依頼するのが主流なのだが、ここは自分の劇団で脚本も作っている。
ある架空の国に王女が生まれ、王子しか持っていなかった王はとても喜んだが、これに嫉妬した継母が生まれたばかりの王女を、城を訪れた商隊の荷に紛れさせて、そのまま船に乗せられるが、その船が嵐で難破し、王女は命を落としてしまう。
だが実は海に浮いていた荷を拾い上げた海賊に彼女は救われ、海賊の頭領が娘として引き取り、育てて行く。
海賊船に乗り、一味として育った彼女は女ながら弓の名手になるが、あるとき母国が他国に侵攻されたとき、海賊の一団が護衛として国軍に雇われ、国王である実の父や、兄の王子と偶然再会することになる、というあらすじだ。
王は王女の死を知らされて悲嘆に暮れていたが、娘を想う気持ちを失ってはいなかった。
海賊の一味でありながら、溌剌とした娘を見て、不思議な感傷を覚えたり、戦場に送り込まれた王子と共に戦ううちに、恋心が芽生えるが、実の兄妹であることを知らされると、彼女は恋の成就を諦めながらも、父と兄の勝利のために戦う……そんな話だった。
小劇場の演目にしては長めの脚本だったが、退屈もせず最後まで楽しめた。
戦闘描写もあったのでイアンはそれとなく役者の剣の腕を見ていたのだが、役者としてはなかなかの腕前だが、それでもやはりフェルディナントと打ち合うだけの太刀筋を隠しているような人間の気配はしなかった。
ネーリもすごく楽しかった、と満足そうだった。彼は観劇は久しぶりのようだったので、いい作品を見せてやれてイアンも嬉しかった。
「前にした観劇は……例の、祖父に連れて行ってもらったのかな?」
「うん。おじいちゃんも劇とか好きだったから。大きな劇場も連れて行ってもらったことあるよ。劇の内容はあんまり覚えてないけど……でも連れて行ってもらった劇場の綺麗な天井画とか、シャンデリアとか劇場の景色を覚えてる」
「そうなんか」
「でも今日の劇は内容もすごく面白かったよー」
「ネーリちょっと最後の方泣いてたなあ」
「王様が自分の娘かもしれないって分かって、もしそうでなくてもいいから自分の娘になって城に来てくれないかっていうシーンはちょっと涙出たよ……」
結局娘は、自分を亡き者にしようとした継母の計略を父王に告げなかった。
そして、娘であることも言わず、自分は所詮海賊の娘なので、自分などを養子にしたら貴方の迷惑になると断って国を去るのだ。
王は彼女を自分の娘と信じたが、彼女が望むならと引き留めなかった。
国を勝利に導いたと、与えられた報酬を山ほど積み込み、船は国を去る。
王は港にまで姿を見せ、船が見えなくなるまで一人、そこに佇み、娘の旅立ちと無事を祈るのだがその、王がたった一人で娘を見送って港に残される場面では、ネーリは少し、涙が出た。
本当の気持ちを互いに確かめることも無く、別れた父と娘。
折角の奇跡でまた出会えたのに、結局一緒に生きていくことが出来なかったというあらすじに、祖父ユリウスの姿が過り重なったのだ。
彼が生きているうちに、もっと色々なことを知っていたら。
……何か力になってあげられたこともあったのかなとそんな風に考えると、胸に湧いてくるものがあった。
「いや。いい脚本やったと俺も思うよ。船の上で戦うシーンもなかなか良かった!」
イアンがそんな風に笑ったので、ネーリも笑えた。
二時間ほどゆっくり店で過ごし、帰ることになった。
ネーリは一人でも帰れると言ったのだが「あかん! こんな時間に君を一人で帰したら怒ったフェルディナントに三枚に下ろされたあと竜に食べられる!」と首を振ってイアンが神聖ローマ帝国軍の駐屯地まで送ってくれることになった。
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