【短編集】冬はつとめて、いとつきづきし
泡沫 河童
足場の悪い中
現在、午前7時32分。
天気は雪のちくもり。
私は学校に向かうために雪道を歩いていた。
金沢の雪と言ったら、北陸の古い町並みに雪が降り積もった幻想的な風景を想像するかもしれない。しかし現実は、道路は融雪装置で溶けたべっちゃべちゃの汚い雪がぬかるみと化しており、裏路地の生活道は逆に溶け残った雪が車輪に踏み固められては削られを繰り返しぼっこぼこになっているという、なんとも忌々しいとしか言えない惨状へと町は変貌する
北陸の女子高生は、例に漏れず徹底した寒冷地装備で雪国を闊歩する。足にはスノーシューズを装着し、懐には桐灰のホッカイロのマグマ、マフラーで隙間風を防ぎ、これは持論だが、寒風を防ぐために女子は髪を伸ばしている。これにより、日本海から殴りつける暴風雪を跳ね返して学校への雪中行軍をすることを可能にしている。
しかし、ほかの雪国と違うこととすると(ほかの県はよく知らないけど)、北陸の雪は湿度が高く、溶けた雪と融雪装置の水が混ざり合って市内は一面の沼地となる。
そして、歩いているときに横を車が通ろうものならタイヤに弾かれた泥雪が道路からアンブッシュを仕掛けてくる。
困ったことに、この襲い掛かってくる泥雪には我々の寒冷地装備は弱い。こと足元のタイツはかかった雪を吸い込み重くなるし体温をダイレクトに奪ってくる。濡れたからと言って学校についてから脱いでしまうと、脚が寒さに耐えきれないし、かといって履いたままでいるとこれまた実に気持ちが悪い。被弾したら最後、必ず致命傷となる
雪道の通学なんて風情など微塵もなく、ただただ足元に8割の神経を集中させ、残りを道路の車への殺気に変えて大人の社会を憎悪の目で睨みつけている。それが、金沢の学生の冬だ。
「よう、今日も重装備だな」
信号待ちをしていたら背後から声がした。
ご近所で同じ高校に通う男、
「男子はスラックスでうらやましいね。いくらでも重ね着できる」
私は言ったが、マフラーとマスクの内側でもごもごとなっただけで相手には届かなかったらしい。
雑談は体内から熱を逃がす行為であり、体温の無駄遣いなのでお互いそれ以上喋らなかった。
谷内はもともと輪島に実家があったらしいのだが、親の転勤で金沢に引っ越してきたらしい。曰く、能登と加賀では雪の質が微妙に違うらしく、それぞれ面倒臭さが違うらしい。
中学の頃にうちの近所に引っ越してきて、それ以来中高同じ学校なのでよく知った仲だ。雪がない時期は自転車通学なので、通学が同じになるときといえばこんな時期だけになる。
信号が青になり、谷内は先を歩いていく。かかとから跳ねる雪がこちらに飛んできてうざい。
あと少しで大通りに出て除雪の行き届いた道になる。それまでもう少し神経をすり減らして歩くんだ。
気が緩んだせいか、鼻がムズムズしてきた。
「へくちっ!」
くしゃみをする私。
懐から落ちるホッカイロ。
やれやれと、私は拾おうとする。
脚がぬかるんだ雪で滑り、前につんのめる。
「あっぶなっ!」
振り返った谷内が声を上げる。
谷内はとっさに私の手をつかむ。
「むぅおっ!」
私は今までの人生でもう二度としないほど腹筋に力を入れ、橋のアーチ状に身体を保持する。
すぐに限界を迎えるつま先。
脳内に「ロンドン橋落ちるー♪」と流れ始め、これまでの人生について思い返す。
「ぬぅんっ!」
谷内は一か八かで私を全力で引き寄せた。
私は引き寄せられた勢いで谷内に体当たりするような形になる。
一瞬の静寂。
足場が安定したことを確認して、私と谷内は同時に深い安堵のため息をついた。
と、同時に、今まるで社交ダンスのように見事にポーズを決め込んでいることに気づく。
大通りの近くなので、多くの人がこちらを見ている。
身体が桐灰のホッカイロを焼く尽くすほどの溶鉱炉となる。
私と谷内は急いで身体を離すが、繋いでいた両手が手袋のせいなのかなんなのかすごく熱い。
今すぐにでも走っていなくなりたい二人だったが、もう一度ポーズを決め込む度量も体力もないので、無言のままゆっくりと努めて何もなかったかのように歩き始めた。
歩きながら、同じ学校の生徒に見られていないかとか、めっちゃ恥ずかしいとか、すごく顔が近かったこととか、身体の大きさとか、手も大きかったなとか、いろいろ頭を巡って一瞬でオーバーヒート寸前になった。日本海の風にはもう少し頭を冷やすほどの冷風をぶつけてほしかったが、雲の切れ間から太陽がこちらを見下ろしてにやにや笑っているようだった。
雪の季節は始まったばかり。
春まではこの通学路をこの時間に歩いていく必要がある。
どうしよう。
今年の冬は、ちょっと暑そうだ。
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