目覚め1

 頭が割れるように痛い。目を開けようとするが、まぶたが重く、視界はまだ真っ暗だ。感覚だけがじんわりと戻り始める。どうやら固い地面に横たわっているらしい。背中に冷たい土の感触が伝わってくる。


「ここは……どこだ……?」


 自分の声に驚いた。妙に高い。いつもの声より一段も二段も軽く、柔らかい。まるで少年に戻ったような感覚だが、それ以上に何かが違う。

 意識をはっきりさせようと体を動かそうとするが、手足が鉛のように重い。仕方なく、深呼吸をして状況を整理しようと努めた。

 覚えているのは――そう、仕事の疲労がたまりディスプレイを前で寝落ちしたこと。残業続きでまともな休息も取れない日々が続いていた。ふとした瞬間に目の前が真っ暗になり、次に気づけばここだ。だが、ここがどこなのかまったく見当がつかない。


 再び目を開けようとすると、今度は少しずつ視界が明るくなってきた。青空。雲ひとつない、透き通るような青が広がっている。

 その青の脇には美しい緑のグラデーション。木々の葉だ。それを認識すると途端に匂いが鼻の奥を刺激する。葉っぱ匂い、木々の香り。そして耳には木々のざわめきや小鳥の鳴き声が入ってくる。


「森……?」


 呟きながら、なんとか手を持ち上げる。視界に入ったのは、自分のものとは思えない細い腕。白くて柔らかい肌。間違いなく女性のものだった。

 慌てて体を起こし、視界に入った自分の姿に愕然とした。どう見ても華奢な少女の体だ。白い服越しでも、それは否定しようがなかった。


「嘘だろ……なんだこれ……?」


 震える手で自分の顔を触る。小さくて丸みを帯びた頬。顎も細い。喉元を触ると、喉仏は感じられない。慌てて胸に手を伸ばすと小さいながらも柔らかな膨らみが確認できた。

 さらには髪だ。茶色が少し混じった綺麗な黒髪。それはいい。しかし……長い、それもかなり。腰まで届くくらいある。


 冷や汗が背中を流れる。夢か悪い冗談か。

 頭を抱える。だが、1つだけ救いがある。俺は俺だということだ。これが現実だとしても心はまだ俺のままだ。しかし、俺が俺だというのが何になるんだ? 結局これが現実であるのなら……駄目だ、落ち着け……深く考えるな、今は混乱するだけだ。


 そんな思考の中、不意に近くから人の声が聞こえた。


「誰かいるのか!」


 男性の声だ。助けを求めるべきか悩む。しかし、迷っている間もなく、草を踏み分けて現れたのは一人の壮年の男性だった。


「お嬢さん、大丈夫か?」


 彼の顔には心配の色が浮かんでいる。粗末な服装だが、その佇まいには不思議な威厳があった。


「え、あ……」


 何を言えばいいのか分からず、声が詰まる。今の自分をどう説明すればいいのか、そんな余裕も考えもない。


「大丈夫か?」


 と再度聞かれ、咄嗟に頷いた。


「立てるか?」


 手を差し伸べられ、無意識にその手を取った。思ったよりも力強く引き上げられると同時に、体がふらつく。


「お前、どこの娘だ?こんなところで倒れているなんて」


 彼の言葉を受け、何とか答えようとするがまたしても言葉が出てこない。目を覚ましたらここにいて、なぜか自分は女になっているんです! ってか? ばかばかしい! そんなのってあるか! 誰が信じるっていうんだ!


「名前は?」

 

 と問われ、再び詰まる。自分の名前。俺は日本人だ。それをこの白人男性っぽい人に名乗るのか? それでいいのか? 駄目だ。考えがまとまらない。どう答えればいいのか分からない。

 手を握る男性の鋭い目がこちらを捉える。ああ、くそっ! こうなりゃヤケだ!

 

「……矢吹(やぶき)靖彦(やすひこ)です」

 

 答えてやったぞ! 俺の名前だ。しかし自分の声の高さに再び違和感を覚える。まるで俺が俺ではないみたいだ。くそっ!


「ヤ……ブキン……ヤ……ヒッケ? いや、ヤッスィコン……ヤシコーン?」

「違いますヤブキ、ヤスヒコです」

 

 男は何度も口にするが、明らかに発音に苦戦している様子だった。困惑した顔のまま、眉を寄せて言った。

 

「すまないが、これは聞き慣れない響きだな。発音が難しすぎる。君の名はその、ヤブキンなのか、それともヤシコーンなのか?」


 英語圏やそれに類似する言葉が母国語だと出るような発音だった。普通の言葉や会話は流暢にできている。なのに名前の発音だとコレか? 何か変だ。しかしだからといってどうすることもできない。

 

「名前は……ヤスヒコの方です」

 

 男の様子を見るにこれでは駄目そうだ。もうヤブキン・ヤシコーンになるしかないのか?

 しかしそうはならずに男はしばらく考えるように顎に手を当てた。

 

「……どちらか分かってもどのみち呼びづらいな。ふむ。まあいい。名前は後で呼びやすい物を考えよう」

「後でというのは一体?」

「私はこれから鍛錬の予定だったがね。お前を放っておく訳にもいくまいよ。我が屋敷にきたまえ。まさかこのままここいるという訳にもいくまい」


 それはそうだ。このままここにいても何もならない。再び今の自分を見る。この服。白いワンピースか? これだけ。着ているのはこれだけ。持っているのはこれだけってことだ。……駄目だこりゃ。


「分かりました……えっと」

「エドワード。私の名だ」

「はい。エドワードさん。ご迷惑をおかけします」

「うむ。気にするな。しかしエドワードさんか……」

「なにか?」


 エドワードと名乗った男はさっきの真剣な表情ではない。少しの思案の後にいたずら心が芽生えたような表情をする。少なくとも俺にはそう見えた。


 「とにかく一緒にきなさい。君もこの場に一人残されるのは……嫌、のようだからね」


 差し出された手を再び握り、エドワードさんの後をついていく。体はふらつくが、森の奥に広がる空が妙に鮮やかだった。

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