時計仕掛けのお姫様

前野十尾

前編

 人恋しくなると帰省するのはいつものことだけど、今回は二年付き合った同い年の彼女と別れたダメージが大きかったせいもある。

 二十代も後半に差し掛かろうとして、やっぱり男の人がいい、なんて言われたらさすがに。

 私が毎度帰る連絡をしないことにお小言をこぼしつつ、両親は食事の買い出しへ。でも、独立した娘が帰ってきた喜びの方が勝っているのが見て取れた。何も知らない両親を心配させないように笑顔で見送る。

 家に入ろうとすると、近所の子供が通りかかった。見慣れない私を見てぎょっとする。うちには幽霊が出ると噂されていた時期があったから、それがまだ伝わっているのかもしれない。

「こんにちは」

 怖がらせないように笑顔で挨拶すると、子供は一目散に逃げた。まとっている空気のせいで幽霊に見えた可能性は否めない。

 普段なら何とも思わないけど、今の私には傷心に塩を投げつけられた気分。

「……はあ」

 ため息をつき、家に入った。

 カーテンが閉まっていても、春先の穏やかな日差しのおかげで私の部屋は暖かい。持ってきていた藤色のスウェットの上下に着替える。靴下は脱いだまま。

 ゆったりした部屋着になると、ほんの少しだけ心が楽になった気がした。ほんの少しだけ。

「はあ……」

 それでもすぐに重いため息が出てくる。体を支えるのが面倒になってベッドに倒れ込んだ。

 空気を含んだ掛け布団が優しく受け止めてくれた。一人暮らしの家とは違う実家の匂いに包まれると、気が緩んで涙が溢れてくる。

「あんなに好きって言ってくれてたのに……」

 あと少しで失恋の記憶にどっぷり浸ろうかという時だった。

 ファンファーレの音が部屋に響いた。

 壁掛けのからくり時計が、お昼の十二時を告げている。私が小さい頃におじいちゃんがプレゼントしてくれたもの。今では形見になってしまったけど。

 二年ぶりに聴く懐かしくて愛おしい音源に、自然と涙が止まる。

 涙が止まったのは、設定されている曲にも理由があって。それが、メンデルスゾーンの結婚行進曲だということ。おじいちゃん、どれだけ私に嫁に行ってほしかったのだろうか。

 ついこの前までは法律が壁だと思っていたのに、それ以前に相手がいなくなってしまった。ごめんね、おじいちゃん。

 からくりの作動音がし始める。

 西洋のおとぎ話に出てくるような白いお城の門が開き、中から二体の人形が出てきた。王冠をかぶって青いマントを身に付けた王子様と、ティアラの宝石と同じ黄色のドレスを着たお姫様。

 少し離れて登場した二体は、音楽の盛り上がりと共にゆっくりと近付いていく。

 プレゼントされた頃、私はからくり時計というものを知らなかった。だから、このお城の屋根に住んでいる妖精さんが人形を動かしているのだと思っていた。お昼の十二時になるのを、この時計の前でわくわくしながら待っていた。

 人形が動かないことは分かっているのに、妖精の存在は疑わなかった。自分がそんな純粋な子供だったなんて信じられない。

 王子様とお姫様が向き合う。頭が少しぐらつくと、お互いが吸い寄せられるようにキスをした。口元に磁石が入っている動きだ。

 どうやら妖精さんはいないらしいと気付き始めた頃、一回だけからくり時計が壊れたことがある。ちょうど二体がキスをしている時に停止してしまった。

 私は興味が湧いた。妖精がいないなら、この人形はなぜ顔を動かしてキスできるのか。当時の私は磁石も知らなかったから、自分にもくっつくか試してみたくなった。

 台に上って時計から人形を外して。実際手に取ってみると、かなり簡略化されたデザインのプラスチックの塊だった。顔なんかは青い目しか描かれていなかったけど、かわいらしい人形であることは確かだった。

 手に収まる小さな王子様にキスをした。当然だけど、私の顔が引き寄せられることはなかった。お姫様にもしてみたけど同じ。

 再び王子様とお姫様を近付けたらやっぱり吸い寄せられるから、この二体は両想いなんだなと幼き私は納得して時計に戻した。

 内蔵された結婚行進曲も佳境に入る。あれから壊れていないとはいえ、年季が入って少し音が歪んでいるような気がする。人形も度重なる軽い衝突で傷が増えたし。

 あ、でもそろそろ――

 音楽がぴたりとやんだ。

 からくり時計の全ての動きが停止し、部屋に静寂が訪れる。

 体を起こしてベッドに腰かけた瞬間。

「おかえりな――ぎゃっ」

 何かが私の横に突っ込んできた。衝撃で部屋が揺れ、私は一瞬ベッドから浮いた。

「また着地に失敗してしまいました……」

 澄んだ声と衣擦れの音が私の横を通過した。声の主はベッドから下り、私の前に凛と立つ。

 目の前には十七、八歳くらいの女の子。日本人の私とは違う目鼻立ち。青い目。軽やかな金色の長い髪。

「改めまして、おかえりなさいませ」

 光沢のある黄色のパフスリーブのドレス。膨らみの少ない裾を両手で摘まみ、上品にお辞儀をする。その頭には、ドレスと同じ黄色の宝石があしらわれたティアラ。

「ただいま、ポーラ」

 私が名前を呼ぶと、美しさとかわいらしさの共存する顔がほんのり赤く染まった。

 からくり時計のお姫様が私に微笑みかけている。

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