第38話 ありったけの想いを、君に。
「名月」
昼間と同じ服装で、彼女は僕を出迎えてくれた。
温かそうな白くて少し薄手のセーターに、暖色系のミニスカートとレギンス。
そのまま駆け寄りたかったけど、嫌われている可能性を考えて、動くのを止めた。
「……」
いろいろと言いたかった。
いろいろと聞きたかった。
でも、何を聞いていいのか分からなくて、何も言葉に出来なくて。
ただ、雪の降る音だけに耳を澄ませるしかなくて。
吐く息が、白いのを見ているしかなくて。
精一杯の言葉。
僕はそれを言う為だけに、顔を上げた。
「……ごめん」
何に対しての謝罪なのか。
それすらも分からないままに、口から出たのは〝ごめん〟の三文字だった。
もう、よく分からない。
このまま帰った方がいいのか。
そう思えるぐらい、頭の中が混乱してしまう。
「家、入りなよ」
玄関から離れ、僕に近寄り、彼女は言った。
「こんな寒いなか薄着でいたら、風邪ひいちゃうから」
「……あの、名月」
「とりあえず、入ろ?」
手を引かれ、彼女の部屋へと向かう。
近づかれて気づいたんだ、名月はやっぱり、泣いていた。
目の周りが腫れぼったくなってるし、瞳は充血しているし。
通された部屋は、以前と違って、とても乱雑に物が置かれていた。
脱ぎ散らかしたアウター、中身が散乱したままの鞄に、ついさっきまで寝てたって感じのベッド。
変化に気を取られていると、名月は僕へと手を差し出してきた。
「服、乾かしてあげるから」
「……ありがとう」
「ボロボロ、どうしたの、これ」
「来る途中に、転んじゃって」
「それに、腕も血だらけ」
「え? あ、本当だ、気づかなかった」
アスファルトで擦っちゃったのかな。
うわ、白いシャツが真っ赤に染まってる。
「ごめんね、血とか。驚かせるつもりはなかったんだけど。ああ、大丈夫、大したことないよ。ほら、血のせいで大事に見えるけど、全然、単なる擦り傷だから」
腕をクルクルと回すも、名月は怪訝な表情をしたまま。
何も言わず、何も言われないから、そのまま沈黙。
濡れた上着を畳むと、それを抱きしめながら、名月は僕へと質問した。
「どうして、来てくれたの」
「どうしてって、当然だろ」
「当然じゃないよ、だって私は、有馬君に迷惑しか掛けてないのに」
「迷惑なんて、そんな風に思ったことは一度もない」
「じゃあ、なんで」
じゃあ、なんで。
その答えなんか、ひとつしかないじゃないか。
「名月」
「……」
「僕は、名月のことが好きだ」
ありのまま、一番分かりやすい言葉を、彼女へと伝える。
手にした僕の上着を強く握り締めて、彼女は否定する。
「そんなの、嘘よ」
「嘘じゃない、嘘なもんか」
「だって、他にも有馬君を好きな人が沢山いるんだよ? 私を好きになる理由なんてないじゃない」
「……理由なんて、後から出来るものなんじゃないの?」
少なくとも、僕はそうだった。
「確かに、僕が名月に声を掛けたのは隣の席だったからだ。中学校の時に人間関係で失敗して、誰一人会話せずに終わった三年間を何とかしたくて、とにかく人生をやり直したくて、それで名月に声を掛けた。誰でも良かったと言えばそうだったのかもしれない」
「やっぱり、私じゃなくても」
「でも今は違う。名月じゃなきゃダメなんだ。名月は僕が話しかけてくれることを喜んでくれた、忘れもしない去年の夏、この部屋で名月はそう言ってくれたんだ。僕が話しかけることを嬉しかったって。僕からしたら、もうそれだけで人生が変わるような一言だったんだよ」
名月がいなかったら、今も僕はあの教室で一人だ。
誰からも話しかけられることもなく。
部活を頑張ったりもせず。
無気力で、何もしない、ただ生きているだけの有馬里野だった。
いいやもしかしたら、全てに諦め、生きてすらいなかった可能性だってある。
「名月がいたから変われたんだ。名月がいなかったら、今の僕は存在していない」
ありったけだった。
「だから、もう一度言うよ。
断られたら死のう。
それぐらいの感情を持って、僕は彼女へと願う。
「僕は、名月が好きだ」
一瞬の迷いの後、口元に手を当て、見上げるようにしながら彼女は問う。
「……ヒラリちゃんよりも?」
「当然だろ、彼女は僕の気持ちを最初から知っているよ?」
「……鏡さんよりも?」
「浴内さんはダイエットに付き合っただけだ。僕に対して異常なまでの恋愛感情を持っているけど、彼女だって僕が名月を好きなことを知っている。知っている上であれなんだから、むしろ名月も協力して欲しい」
「じゃあ、メイちゃんよりも……?」
「猫屋敷さんだって最初から僕の気持ちを知っているよ。猫屋敷さんに関しては友情という感情しか持ち合わせていない。というか、名月こそどうなのさ? 猫屋敷さんといきなりキスしたりして、もしかして彼女のことが好きなんじゃないの?」
「……友達としては、好きだよ。でも、それだけ。あの時は、仲直りの為にしたの」
「じゃあ、僕とも仲直り、してくれる?」
一歩、距離を縮めると。
名月は、見上げていた顔を、横へと向けた。
「……仲直りっていうか、むしろ私が謝らないといけないっていうか」
「そもそも、何を怒っていたのさ?」
若干の間の後、名月は背けた顔を沈めながら言った。
「……お弁当」
「お弁当?」
「お弁当、私が作ったのだけ、里野君、食べてくれなかったから」
そんな、そんな可愛い理由で怒っていたの?
予想外過ぎて、申し訳ないけど、笑ってしまった。
「なんで笑うの」
「ごめん、ちょっと、可愛すぎて」
「私、本気で悩んだんだけど」
「あはははっ、大丈夫だよ。名月のは写真に撮って、こっそり部屋で食べたんだ。浴内さんのみたいに母さんに食べられたりしたら嫌だったからさ。だって、名月が僕の為に作ってくれたんだよ? 記念品だし、誰にも食べられたくなかったんだよ」
しかし、こんなことで悩んじゃうのか。
女の子って可愛い……違うか、名月だから可愛いのか。
むっとした顔のまま、名月は人差し指を僕の胸に押しあてた。
「じゃあ、もう一個約束して」
「約束?」
「うん。もう、他の女の子にプレゼント送らないで」
「……わかった。やっぱり、嫌なんだね」
「嫌っていうか……送るのは付き合いだからしょうがないと思うけど、その場合は私も一緒に選びたい。里野君からのプレゼントじゃなくて、私達からのプレゼントって形にしたい。女の子ってね、男の子が思っている以上に嫉妬深いし、無駄にいろいろ勘ぐっちゃう所があるんだからね?」
「わかった。全部名月に相談する」
「……そっか、なら、いいかな」
近かった距離が、更に一歩、近くなった。
名月の大きな栗色の眼が、涙で滲んだ瞳が、僕の目の前に迫る。
「里野君、上手く出来ないかもしれないから、先に謝っておくね」
「謝るって、何を」
「私、男の子とキスするの、これが初めてだから」
名月は目を閉じると、近かった顔を更に寄せて、僕の唇と自分の唇とを重ねた。
真冬の寒空の下を走ったせいで乾いてしまった僕の唇が、彼女の柔い唇を押し込む。
香りが、これまでと違った。
香水の匂いじゃない。
頬から香る、彼女の匂い。
数秒間、重なっていた唇が、離れる。
「……上手に、出来たかな」
照れ臭そうに微笑みながら、頬を染める。
その仕草が、とても可愛くて、たまらなくて。
「ちょっと、わからなかったかも」
「……え」
「だから、もう一回」
「……もう、いじわる」
ささやくように言われた言葉は、僕の耳を喜ばせるだけ。
今度は腰に手を添えて、彼女のことをリードしながら、僕から口づけをした。
名月は拒むこともせず、自ら唇をつんと尖らせて、僕を受け入れる。
甘い匂い、少しだけ名月の唇が開いて、熱を持った舌が僕の唇をペロリと舐めた。
全然離れていない距離なのに、閉じていた瞼が開き、その目が嬉しそうに三日月になる。
「キスの時は、目を閉じるのがマナーだよ?」
「そうなの? でも、僕は可愛い名月を見ていたいな」
「ダメ、また今度、練習しないとだね」
重ねた手を沿うようにしながら僕から離れると、彼女は落ちていた洋服や鞄を拾いあげる。
「夜ご飯、食べてないんでしょ?」
「夜ご飯……あ、そうだった、家で全員待ってるんだった」
「え、全員って、全員?」
いま何時……うわ、もう九時半じゃないか。
さすがに鮫田さんたちは帰ったかな。
「どうする? お父さんに送ってもらう?」
「そうして貰うと助かるかも。実は自転車壊れちゃってね」
「え、そうだったの? ごめんね、私やっぱり、里野君に迷惑かけてばっかりだ」
自己嫌悪に落ち込もうとする名月へと近づき、抱きしめ唇を軽く奪った。
「好きな人の迷惑なんて、掛けてくれた方が男は喜ぶんだよ」
「……里野君、ずっと優しいね」
「名月にだけ、ずっと優しいよ」
もう一度、名月と四回目のキスをする。
当たり前のように受け入れてくれて、とても嬉しい。
「……もう、私とのキスはそんなに安くないんだからね」
「ごめん、なんか、したくなっちゃって」
「別にいいけど。ちょっと待っててね、お父さんかお母さん、車出せるか聞いてみるから」
ぱたぱたと部屋を出て行こうとした名月のことを、僕は呼び止める。
「名月」
「なに?」
「さっきの告白の返事は?」
もう、聞かなくても分かりそうなものなのだけど。
それでもやっぱり、ちゃんと聞いておきたくて。
名月はちょっとだけ溜息を吐いた後、もう一度僕へと近づき、深く唇を重ねた。
「OKに決まってるでしょ。大好きな人以外に、こんなことするはずないじゃない」
「うん、知ってた。ごめん、嬉しくって何回も聞いちゃうかも」
「じゃあそのたびに答えてあげるね。私は有馬里野君のことが、世界で一番大好きです」
「ありがと、僕も、名月のことが世界で一番好きだよ」
「なんか軽いなぁ」
「軽くないよ」
「ふふっ、そうだね」
そして、また口づけをするんだ。
やばいなこれ、幸せ過ぎて離れられないぞ。
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