第26話 予想外の結末
「受験の時に、貴女の飲み物に、下剤を仕込んだんだ」
猫屋敷さんの言葉に、一同言葉を失う。
僕だけは心の中で「やっぱりな」と思った。
本人はプレッシャーに負けたと言っていたが、彼女は陸上県大会上位入賞者だ。
失礼な物言いかもしれないが、テストのプレッシャー如きで参るような人ではない。
外的要因があったとしか思えない。
彼女が県立高校を不合格になったのは、それこそ、幼馴染だった葉樹枝すら、予想もしていなかった出来事だったのだから。
「おい、猫屋敷、まさかそれも、霞桜とかいう奴の指示だったのか?」
たまらず、鮫田さんが猫屋敷さんへと食い掛かる。
近寄り猫屋敷さんのタートルニットの襟首を掴み上げると、そのまま自分の方へと引き寄せた。
「場合によっちゃ、今からでもアタシは警察に行くぞ」
「……違うよ、下剤を仕込んだのは、私の意思」
「はぁ!? 意味わかんねぇだろうが! 高校に落ちたのはお前のせいだってことかよ!」
その通りなのだろう。
いやむしろ、それが目的だったのだろう。
「鮫田さん、ここは話し合いの場だ」
「有馬、お前はこんなの許せるのかよ!」
「だからといって暴力はダメだ、言うことを聞かない場合、浴内さんに協力してもらうよ」
浴内さんの肉体に触れた人なら分かるはずだ。
彼女は背が小さくて巨乳という外見に惑わされそうになるが、中身は別物だと。
ダイエットの為に、未だに彼女は一人ジムに通っている。
力を込めれば腹筋は八個に割れ、背中には鬼を宿す事だって出来る。
幼女スタイルのくせに巨大な戦斧を振るう少女、それが浴内さんだ。
「チッ……わかったよ、じゃあ言葉でアタシを納得させてみせろ」
さすがは鮫田さんだ、浴内さんの実力を見抜いているね。
けれども、解放されはしたものの、猫屋敷さんは俯いたまま、喋ろうとしない。
このままではまた、鮫田さんが癇癪を起してしまう可能性が高い。
しょうがない。
「彼女に変わり、僕が説明する」
「有馬が?」
「憶測だけど、恐らくこれが正解だ」
猫屋敷さんの行動、結局その全ては、
しかして彼女は天邪鬼だ、正しい行動ではないことでさえも、躊躇なく行えてしまう。
結果、歪んだ正義が、その日、執行されてしまった。
「猫屋敷さん」
「……」
「君は、
普通ならあり得ない選択肢を、猫屋敷さんは選んでしまったんだ。
「……は? マジで言ってんのか?」
「鮫田さん、これは大マジだよ」
「だからって、高校受験だぞ? 一生モノの問題だぞ?」
そう、一生モノの大問題だ。
それを天秤に懸けた結果、彼女はそれでも下剤を仕込む道を選択した。
「
「……なに?」
胡乱気な瞳のまま、彼女はかま首に下げた顔を僕へと向けた。
ベッドの上にぺたりと座り、しょげた肩は完全に力を逸してしまっている。
ショックを隠しきれていない、そんな感じだ。
「皆に
「……別に、大丈夫。それを語れば、何かが分かるんでしょ?」
「うん、むしろ語らないと、何も分からないと思うんだ」
大事な話だ、ここにいる全員、知っておいた方がいい。
当人の了承を得たんだ、自分でも頭の中身を整理しながら語っていこう。
「まず第一に、
「そして猫屋敷さんだけど、彼女は霞桜寄居とは親友関係にあった。テストのカンニングの指摘で一時的に距離は遠かったものの、遠いなりに情報は耳に入る位置にはいたのだと思う。そして猫屋敷さんは知ってしまったんだ、霞桜寄居と葉樹枝イツカの一件を。で、ここからは僕の憶測なのだけど」
ソファから立ち上がり、猫屋敷さんの隣に座る。
「猫屋敷さん、貴女は寝取られの真相を、知っているんじゃないのかな?」
「寝取られの真相?」
鮫田さんが疑問の声を上げた。
寝取られの真相、つまりは葉樹枝と霞桜寄居の関係についてだ。
「霞桜寄居はクリスマスイブの夜、つまりは
「葉樹枝君が、騙されていた……?」
「うん。
「だけど結果として、葉樹枝と霞桜が合格し、名月は落ちた」
「そう、猫屋敷さんは
「なんで名月なんだ? そこは霞桜と葉樹枝って奴でいいだろうに」
「既にカンニングの件で敵対している相手だよ? どのタイミングで飲み物に仕込むよ。しかも相手は二人、絶対にどこかのタイミングでバレる、いや、仕込むタイミングなんか存在しなかったんじゃなかったのかな。対して、
「全ては名月を護る為……とはいえ、なぁ」
そう、猫屋敷さんがしたことは紛れもない犯罪行為だ。
法的に見ても、許される行為ではない。
「だから、誰にも言えなかった。そして、
とても居心地のいい場所という言葉は、まさにそのものズバリの言葉だったということなのだろう。
「猫屋敷さん、訂正があったら言って欲しい」
「……ないよ、何もない。凄いね有馬、まるで見てきたみたいだ」
「全て憶測だよ、ありがとう。後は
ベッドの上、彼女は力なき
やはり、事がことだけに、簡単には終わらせることが出来ないのであろう。
と、思っていたのだけど。
「……うん、全部理解した」
目に力を宿すと、彼女は大きく息を吸い込んだ。
吸い込んだ息を吐き出した後、猫屋敷さんの前に立った。
「一回だけ、許してね」
広げた手を振り上げて、彼女は猫屋敷さんの頬を叩いた。
室内に響く乾いた音は、いつかの時とまったく同じに聞こえる。
本気で叩いた後、
途端、猫屋敷さんは泣き崩れ、子供のように声をあげて泣いた。
「ひっく……ひうぅ……う、うええ、うえええええぇ……」
「バカ! 本当にバカなんだから!」
「ごめ、ごめんね、ごめんなさい、ごえんっう! ううぅ……! うえぇ……!」
「貴女が私の為に苦しむ必要なんか、全然なかったのに!」
「だって、だってぇぇ……えええぇ…………えぐっ、ひっ……」
抱きしめられていた猫屋敷さんも、泣きながら
「メイちゃんだって、貴方の実力なら県立高校受かってたんじゃなかったの!? ワザと落ちることなんかなかったのに! 貴方が影立高校に来たのを知って、一番驚いたのは私なんだからね!?」
「だって……っ、……あんな高校、に、一人で通いたく、ない、もん……」
「だからって、もう、馬鹿ね! 貴女、貴女どれだけ、私のことが好きなのよ!」
「……、ごめ、好きになって、ごめんね……ごめん、なさい……ごめ――――」
頬に手をあてがい、互いの唇を寄せる。
その瞬間、
出来事を認識できなくて、頭の中で理解できなくて、どこかちょっと、茫然としてしまった。
重ねた唇を外すと、二人の間に涙とも何とも言えない液体が、糸を引き、輝く。
「最初で、最後だから」
「……うん」
「もう二度と、しないから」
「うん、うん……」
「本当、おバカな子ね」
「うん……」
もう、そこにいる猫屋敷さんは、母親に甘える子供のようにしか、僕には見えなかった。
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