第47話

 廃村に棲む賞金稼ぎの残党を蹂躙(じゅうりん)してから、一刻が過ぎようとしていた。ときおり吹き抜ける夜風は冷たく、どこか生臭さを伴っている。あたりには夥(おびただ)しい血の跡と、かすかにくすぶる炎の匂いが残されるだけ。かつて人の息遣いがあったはずの廃村は、今は死寂(しじゅく)の闇に包まれていた。


 それでも、闇の眷属である彼らにとって、血腥(ちなまぐさ)い残滓(ざんし)など珍しいものではない。むしろ問題は、最も敏捷(びんしょう)であるゼアハの姿がいまだ見えないという事実だった。


 「……ゼアハが戻らんな」  ルシファードが虚空を睨(にら)む。低い声はひどく冷静だが、その瞳にはわずかな焦燥(しょうそう)の色が浮かんでいる。彼は夜族の領主に仕えるリーダー格であり、任務の不備は許されない。特に、生け捕りの命を受けている獲物を取り逃がすなど、あってはならないことだ。


 「もしや、女を逃がしてしまったか――あるいは殺してしまって、戻るに戻れなくなっているのかもしれませんね」  サルグリッドが杖の先で地面を突き、苛立(いらだ)ちを紛らわすように唇を歪(ゆが)める。どこか陰険(いんけん)な響きを帯びた声は、周囲の闇の深さと相まって不気味さを増していた。魔術師でもある彼が、賞金稼ぎや村人を蹂躙する姿は壮絶(そうぜつ)だったが、今は獲物を仕留めそこねた嫌悪感に支配されているらしい。


 しかし、ルシファードはすぐにその言葉を一蹴(いっしゅう)した。  「死なれては困る。領主様の命令は“生け捕り”だ。俺たちに背くことは、すなわち主の威厳(いげん)を損なうということ……。あの娘は生きたまま捕らえねばならん」  矛先の鋭さを感じさせる低い声が、闇夜に溶け込む。命令を遂行することが、彼ら眷属にとっては絶対の掟(おきて)である。それゆえに、今回の失態(しったい)が今後の行く末に影を落とすことを、ルシファードは危惧(きぐ)しているのだ。


 ガルサーグが短く鼻を鳴らし、腕を組んで不満げに言う。  「生きたまま探し出すなんざ面倒だ。ゼアハの奴、迷宮の毒罠にやられでもしたか? まったく、役に立たねえ俊敏さだぜ」  豪快で暴力的な彼は、“死”という概念を半ば嘲笑(ちょうしょう)しているようだったが、今回ばかりは苛立ちが先に立つのか、声にわずかな焦りが混じる。


 ルシファードは冷ややかな眼差しをサルグリッドとガルサーグに向けると、命を下した。  「お前たち二人はゼアハと女を探せ。どこかの洞窟に潜んでいるなら、早急に突き止めろ。目撃者がいたら、夜族の威光(いこう)をもって始末しろ。俺は周辺を見回ってくる」  闇に溶け込むような低い声に抗(あらが)う者はいない。サルグリッドとガルサーグは無言でうなずき、辺りの暗がりへと踏み出していった。


 廃村の脇道には、朽(く)ちかけた木造の家屋が連なり、濃い闇が穴のように口を開けている。そこに何が潜んでいるか、あるいは罠が仕掛けられているのかは定かではない。しかし、この土地の持つ不気味さすら、夜族にはさほど脅威ではなかった。脅威となり得るのは、領主の望む獲物を取り逃がすことである。


 ルシファードはゆっくりと歩みを進める。彼の足元に転がるのは、先刻(さきほど)まで呻(うめ)き声を上げていた賞金稼ぎの死骸(しがい)。肉塊(にくかい)と化したその姿を見ても、ルシファードの表情は微動だにしない。ただし、ちらりと上空を仰ぐ瞳には、一瞬だけ苛立ちが走った。


 ――ゼアハがいない。女もいない。  捕らえたはずの獲物を再び見失い、さらに敏捷な眷属の一人までもが戻らない。予想外の乱戦だったとはいえ、これほどまでに状況が乱れるのは珍しい。かすかな胸騒(むなさわ)ぎとともに、ルシファードは口の端をわずかに歪めた。


 「女は生け捕り……それが領主様の仰せだ。何があろうと、従わねばならん」  ルシファードは低く呟(つぶや)く。その言葉は、ここにはいないゼアハへ向けた警告でもあり、行方不明のイリスへの執拗(しつよう)な執念のようでもあった。


 夜は深まる。廃村の静寂を裂くように、遠くで獣が吠(ほ)える声がかすかに聞こえる。穢(けが)された大地に立ちこめる血の臭いと、不気味な闇が、まるで夜族の支配を象徴しているかのように広がっていく。

 ルシファードは風になびく長髪を一撫(ひとな)ですると、すべてを探り当てるべく、悠然(ゆうぜん)と廃村の奥へと消えていった。彼の背後に残るのは、見る者を威圧(いあつ)する漆黒の気配。そして、女狩りを成し遂げねばならないという絶対の掟だけが、依然として重苦しい夜に影を落としていた。

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