第37話 カフェの少女

 三葉を二階へと案内した女店主は、押し入れを開けて何かを探す。


「その上品な着物じゃ目立たないから、これに着替えな」


 女店主から渡されたのは、派手な絵柄の銘仙と白いエプロンだった。


「あんたはお嬢様から直々に預かった女給だからね。今日からはこの部屋で寝泊まりするんだよ。仕事を教えるから、着替えたら下に来な」

「はい」


 大人しく頷くと、女店主は無表情で部屋を出て行く。


(……桃香の言っていたシエキというのが見張ってるなら逃げ出せない)


 助けを求めようにも手段はないのだから、今は大人しく従うほかない。

 三葉は袴と着物を脱ぐと、手早く渡された銘仙に着替える。


「三葉」

「吹雪! なぜ俺を呼ばなかった!」


 解いた帯の中から、陶器の狐がぴょんと飛び出てきた。


「ごめん。忘れてた……」

「まあいい。まさか今になって桃香が接触してくるとは俺も思わなかったからな……ああ。シエキとやらは、俺がかみ砕いた」

「じゃあ今のうちに逃げよう」


 女店主は何処かへ行ってしまったことだし、逃げ出すなら今しかない。けれど吹雪は悔しそうに声を落とす。


「すまない三葉。それは無理だ」

「どうして?」

「この店には恐ろしく強い力で悪意の結界が張られている。逃げれば気付かれるし、下手をすれば殺されかねない」


 神を奉る家の者なら呪法などへの対処法は教わるのだが、女中として扱われていた三葉はそういった訓練はしていない。

 気配を察することもできない三葉など、結界を張った者からすれば簡単に殺せるだろう。


「俺だけならこの姿で、店を出られる。結界を壊せる協力者を呼びに行くから、少しの間我慢してくれ」

「私は大丈夫。吹雪、気をつけてね」


 吹雪はもう一度ぴょこりと跳ねて、少し開いた窓の隙間から外へと出て行った。


「……何やってんだい! グズグズしてないで早く降りてきな!」


 階下から女店主の怒鳴り声が響く。


「はい。今行きます」


 三葉は袴と荷物を戸棚にしまうと、急いで階段を降り一階へと戻った。




「ハル! この子に仕事を教えてやりな。夜も客を取らせるから、その辺りも頼むよ。お前、桃香お嬢様の為にしっかり働くんだよ!」


 女店主が一人の少女を呼び、一方的に言うと奥の支配人室と書かれた部屋に入って扉を閉める。

 姿が消えると三葉の前に立つ女給姿の少女がにこっと笑う。

 その笑みは素直で悪意は感じない。


「あなたが新しい女給ね? 幾つ? 名前は?」

「十七です。三葉と申します」

「なんだ、あたしと同い年なんだ! あたしは、ハル。そんな緊張するなって」

「はい。ハルさん、本日からよろしくお願いします」


 頭を下げるとハルは何がおかしいのか、腹を抱えて笑い出す。


「ハルでいいよ。かしこまられると背中がむずむずするんだ。あんた帝都育ちだろ? 訳あり名家のお嬢じゃない?」

「どうして分かったんですか?」

「そりゃ綺麗な袴姿で教科書入れた鞄持ってこんな店に来る女なんて、事情は大体分かるよ」


 ひと目見ただけで分かってしまうなんて、ハルは凄いと素直に感心してしまう。考えが表情に出てしまったのか、ハルは安心させるように三葉の背を軽く叩く。


「この店の女給はあたしみたいに田舎から出てきた女より、三葉のような事情があって売られたお嬢さんの方が多いんだ」

「そうなのね……」

「あ、でも三葉はちょっと違うかな。他のお嬢様はあたしが話しかけても、つんとすまして無視するんだよ。でも三葉はこうして話してくれるし。いい人だね」

「ハルさんは一人でお掃除してたんですか?」


 がらんとした店内には、他の女給の姿がない。


「……お嬢さん達は夜の仕事が忙しいから、昼まで寝てていい決まりになってんだ。あたしはなかなかお声がかからないから、掃除や雑用やってお給料に色つけて貰ってるってワケ」


 肩をすくめるハルに、三葉は嫌な予感を覚えた。


(夜の仕事と言うけど、つまり妓楼のような事もしているのかな?)


 外観はカフェだが実態はそういったいかがわしい店なのかもしれない。

 三葉はハルからモップを受け取ると、床掃除を見よう見まねで手伝い始める。

 羽立野家は和室ばかりだったので洋風の床掃除は初めてだ。けれど、掃除自体は慣れているので、勝手を覚えてしまえば手際よくこなせる。


「三葉モップがけ上手だね! 前にお嬢さんの一人がお遊びでやったんだけど、床を水浸しにして酷いもんだったよ」

「ハルさんは、洋室の掃除は経験があるの?」

「いいや。畑仕事と同じで、モップも腰と腕の力が必要だからコツさえ掴めば同じなんだ」

「畑仕事?」

「私ね、三カ月前にこっちへ出てきたんだ」


 聞けばハルの実家は帝都から汽車で六時間もかかる山間の寒村だという。


「最初は妓楼に売り込みに行ったんだ」

「妓楼っ……どうしてそんなこと」

「お金が必要だったんだ。母ちゃんが病気してさ。父ちゃんの出稼ぎだけじゃ食っていけなくなって……そんで身売りすりゃ稼げるって聞いたから帝都に来たんだけれど」


 はあ、とハルは深いため息を吐く。


「やり手婆から「お前は器量がよくないし、学もないから客はつかない。ただ飯ぐらいのお茶ひき女郎を置く余裕はないよ」って、散々言われて追い払われちまってさ――」


 門前払いされるハルを哀れに思ったのか、店の男衆が「カフェならツテがある」とこの店を紹介してくれたのだという。

 妓楼には劣るが給金はそこそこ良く、住み込みで働けるとは聞いてハルはその日のうちにここの女給として働き始めた。


「とはいえ、この店も表向きはカフェだけど夜になるとお酒を出すんだ」


 夜になっても開いているカフェは珍しくない。しかし酒の席で意気投合すれば、女給を裏の宿屋へ連れ込める。


 つまり届け出のない妓楼なのだと、ハルは声を潜めた。

 基本的に妓楼は政府からの許可制だ。それは妓楼に務める女達が最低限の保護を受けていると意味する。

 しかし届がなければ、それは治外法権と同義で客が酷い事をしても女給は訴えることができない。


「恐くないの?」

「……恐いよ。でもこんなあたしを雇ってくれる店なんて、ほかにないもの。それにこの店、まかないが三食出てお給料もいいんだ。田舎の家族に仕送りしても、お小遣いに困らないんだよ」


 明るく笑うハルに、三葉はなんとも言えない気持ちになった。


「掃除が終わったら店を開けるよ。昼の仕事は簡単だから、実地で教えるね」

「よろしくお願いします、ハルさん」

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