第32話 神憑

「お堅いね、若様は。もう少し先代くらいの余裕を持たないと」

「うるさい。――例の品を見せてくれ」


「焦るのよくないよ。用意するから、お茶でも飲んで待ってて。お嬢さんには、特別な花茶はなちゃ用意するからね」


 花の刺繍が施された二人がけのソファに座ると、弘城には緑茶が、三葉の前にはガラスのカップが置かれる。中にはお茶で編まれた球体が入っており、ホンがお湯を注ぐとゆっくりと開き始めた。


「花が開いたら飲み頃。ウチの人気商品だから、気に入ったら若様に買ってもらって」


 商人根性逞しい台詞を述べてから、ホンはカーテンで仕切られた事務室と思われる奥の部屋へと下がる。


「ああ見えても、仕事は真面目にやる人なんだ。魔道具まどうぐの鑑定や調整は私の知る中で随一と言っていい」


 当然のように並んで座った弘城が、お茶に口を付ける。


(……近い)


 さりげなく離れようとしても限界がある。


「三葉さん、君に聞きたい事があったんだ」


 改まった様子で弘城が三葉に顔を向けた。


「何故あの家から逃げたのか、知りたくてね」

「だって、あのまま家にいたら人生終わってしまうから……それだけです」

「ずっと従順だったのに?」


 言われて、三葉は江奈が指摘した言葉を思い出す。


『諦めてる目が嫌だった』と。


 家族だと言われて引き取られてから、三葉は叔父達とまともな会話はなかった。衣食住は保証されても、扱いは女中と同じ。屋敷の誰からも無視され、空気のような扱いを受けても三葉は逃げようと考えたこともなかったのだ。

 外聞を気にする父は女学校へ通わせてくれたが、それは三葉の結婚の際に箔を付けるためだと理解している。


「妾の子だと言われて育ちました。迷惑をかけているのだから、大人しく言うことを聞くのが親孝行だと思っていたんです。それに、見知らぬ相手に嫁いでも、これ以上は悪くはならないだろうと根拠のない確信を持ってましたし」


 けれど明興のやらかしで、事態は変わった。

 羽立野家は蛇頭家との業務提携は破棄され、賠償金を支払うことになるだろう。そうなれば、三葉をまともな相手に嫁がせる訳がない。


 少しでも金を得るために、女郎屋へ売るか変態の好事家にあてがうに決まっている。


「明興兄さんがあれだけのことをしたのだから、羽立野家有責で事業は取り消しになるって私にも分かります。そうなれば私は酷い相手に売られる。だから逃げただけです」

「うん、それが疑問なんだ。君はきちんと考える事ができる。なのになり振り構わず急に行動しただろう?」


 冷遇されていたとはいえ、三葉は世間を知らない「お嬢さん」だ。行き先も決めず、お金もないのに家を飛び出すなんて無謀にも程がある。


「咄嗟に取った行動、にしてはタイミングが良すぎるんだ。それに君に着いている狐も気になった。おそらく君は、私と同じ神憑かみつきだよ」

「神憑? え、と……吹雪に守護されているのとは別の意味でしょうか?」


 聞いた事のない単語に小首を傾げる。


「神憑は文字通りの意味。一族で守り神として奉るだけなら、江奈さんのように恩恵と引き換えの取引が必要になる。でも神憑は無条件で特別な力を与えられるんだ」

「私にそんな力はありません」


 あったなら、母の病を治せただろうと三葉は思う。


「残念ながら、与えられる力は選べないし万能じゃない。それに自覚しなければ、使いこなすこともできないんだ

 おそらくだけど、と前置きして弘城が三葉に告げる。


「君の得た力は「危険察知能力きけんさっちのうりょく」つまり、身に危険が迫ったら逃げるという力だ」

「逃げる……って、それだけですか!」

「今はまだ本当の危機にしか反応しないようだけどね」


 心の中で何かが崩れたような気がした。

 呆然とする三葉に、弘城が淡々と説明する。


「君は羽立野家に多数ある神棚を、毎日全て清めていたんだろう?」

「そうだ。三葉の祈りがなければ、俺達はとうに消えていた」


 帯の間から吹雪が声を上げる。

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