お腹がすいたら帰ろうね

野鴨 なえこ

前編

 雲一つない寒空の下、一人の男が横断歩道の前で佇んでいた。遠くの山や田畑には、どっさりと雪が積もっている。歩道はかろうじて、人が通りそうなところだけは除雪されている。


「帰れねぇ……」


 青木あおき 洋平ようへいは呟いた。かれこれ十分近く、横断歩道で信号待ちをしている。自動車が通らないからこっそり渡ってしまおうか、なんて考えも、警察官という職業柄考え付いていないだろう。


 洋平は自らの住む市の中央から、市の端の方の山間部に近いところまで来ていた。知り合いから、雪掻きを手伝ってほしいと呼ばれたのだ。せっかくの休日ではあったが、洋平は二つ返事で引き受けた。


 知り合いの家の近くには、彼の友人である山瀬やませ 浩太朗こうたろうの祖父の家がある。ちょうど浩太朗が帰っていたこともあり、そこに一度車を止めさせてもらうことになった。そして雪掻きを手伝ったら、浩太朗と晩ごはんを食べる計画になっていた。



 知り合いの家から報酬の暖かい缶コーヒーを貰い、洋平は山瀬家へ帰る。山瀬家は寺をやっているため、慣れない土地でもわかりやすい。洋平は滑らないようにゆっくり歩きながら、人の少ない歩道を歩いていた。空は突き抜けるように、淡く、透き通った青色をしている。


 缶コーヒーで手を温めながら、洋平は何の変哲もない横断歩道に差し掛かった。ここを渡った向こうを、道なりに歩けば山瀬家に付く。


 歩行者用信号機の青が点滅した。それを確認して、洋平は何も考えずに立ち止まった。スマホを起動しメッセージアプリを開いて、連絡を確認する。ちらりと信号を見て、まだ赤信号であることを確認し、またスマホに目を落とす。メッセージの確認が終わったら、次はニュースアプリを開く。洋平の指がすいすいと動き、それに合わせてニュースが流れていく。


 洋平はまた信号を見る。


「……ん?」


 歩行者用信号機の灯りが消えていた。


 洋平の頭は瞬時に切り替わった。自動車側の信号が点灯しているのを確認。その後周りを見渡して、停電で騒いでいる様子がないことも確認した。歩行者用の信号機だけなのかもしれない、と結論付け、上司に連絡を入れようとする。


 それと同時に、もうひとつ山瀬家に近い方の横断歩道を目指した。歩きながら、メッセージアプリに連絡を入れようとする。しかし。


「圏外……?おかしいな」


 先ほどまでは入っていた電波がない。メッセージアプリは、もちろん開かなくなっている。試しに電話を掛けるも、やはり繋がらない。


 洋平は歩きながら考えた。信号機の故障、停電、気象の条件により電波が入らない。スマホの故障もあり得る。それか、科学的に証明のできない「何か」のせいか。


 山瀬家の寺が遠くに見え始めた。歩行者用信号機が赤から青に変わるところを見て、洋平は無意識のうちに走っていた。


 先程変わったばかりにも関わらず、洋平が近づくとまた青い灯りが点滅し始めた。彼は信号が変わるのを待つ。見逃さないように、信号をじっと確認して待つ。しかし、待てども待てども信号は変わらない。空は青く、風もない。気持ちの悪いほどの晴天と、それに相反するような厳しい寒さがそこにはある。そうして、先程のような状況になってしまった。

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