第1章 暁 3


 延久二(一〇七〇)年、初夏。陸奥国閉伊郡某村。


「……急拵えではありますが、柵が建てられておりますな」

「ふむ。馬止めの逆茂木も要所に配置されておる。しかし厨川攻めと同じく、あれを囮と見せかけて迂回路に落とし穴を掘っておるかもしれぬがのう」

 村の外れの小山の麓に築かれた要塞を、遠くの灌木から馬を隠して観察していた甲冑姿の貞衡と副将が、声を潜めるように言葉を交わす。その背後の将兵達は皆、或いは弓に矢を掛け、また或いは薙刀を構え周囲の警戒に余念がない。

 田畑を見れば、村の百姓達が青々とした水田に分け入り、草むしりに勤しむありふれた田園風景であるが、一方の柵の方では人の気配すら伺われぬ。


 この集落はじめ閉伊七村といわれる一帯には、かつて前九年合戦において安倍方から寝返り、国府に与した蝦夷諸族が未だ勢力を残していたのだが、先の合戦における恩賞の欠片にも預かれないばかりか、安倍の残党狩りと称して頼義勢から厳しい圧迫を受けたこともあり、彼らの間で国府に対する不満と憎しみが大きく膨らんでいたのであった。そんなところへ本当の安倍の残党まで加わったものだから、今や閉伊郡以北は国府憎し、清原憎し、と清原政権にとって非常に不穏な空気を醸し出していたのである。

 その最中、近頃近隣の村に矢倉のようなものが建てられているようだとの報告が舞い込み、直近に布陣していた貞衡らが物見に赴いたのであったが――。


「いっそのこと村に入って様子を聞いてみるか? しかし、村の入り口まで逆茂木で固められているところをみると、集落自体に仕掛けが施されておるかもしれぬぞ」

 腕を組む貞衡に、

「左様左様。それに、村に入って何かあったら否が応でも正面突破せざるを得なくなるからね。そうなりゃ柵まで導かれるままの一本道だ。孫子様曰く、「故用兵之法ゆえにようへいのほう高陵勿向こうりょうにむかうことなかれ背丘勿逆はいきゅうにむかうることなかれ」ってね。万が一あの柵こそ囮で、敵陣が山の上にでも敷かれていて頭から矢の雨被っちゃあ面白くないでしょ?」

 と、少々学のあるところを披露しながら千任が同調する。

「とはいえ、ここで蜷局を巻いていても始まらぬ。誰かが直接討って出てみねばな! なれば、一番名乗りはこの俺ぞ! やいやい、郎党共続けィっ‼」

 応っ! と鬨の声を上げながら勇敢な武将の一人が馬に飛び乗ると家来達を従え灌木から村の入り口へと飛び込んでいった。

「おいおい、物見じゃぞ! 徒に村人共を驚かせてはならぬ!」

 呆れて注意する貞衡の声を背中に、草切れを飛ばしながら馬を駆け、何のこれしき、と材木を組まれた馬止めを飛び越えかかった武将の目の前に突然「えい、おうっ!」の掛け声と共に幾本もの竹槍が突き出された。

「ぅおっ⁉」

 辛くも躱したものの馬から転げ落ちる武将の元へ、逆茂木の後ろに潜んでいた兵士達が太刀を抜いて斬りかかってきたのである。

 途端に、柵の櫓よりカンカンカン! と警鐘が鳴らされ、野良仕事をしていた百姓達は悲鳴を上げながら一目散に逃げ散った。

 たちまちのうちに柵から矢の雨が放たれる。

「待て、村の者らが逃げおおせるまで矢は放つな!」

 柵の方から指示を飛ばす敵将と思しき怒鳴り声が離れた灌木の貞衡達まで聞こえてきた。

「矢張り伏兵を忍ばせておったか。しかし、柵が本丸と判れば力に言わせて中央突破あるのみじゃ。皆よ、二番名乗りを他に譲るなよ!」

 大きな鬨と共に貞衡率いる二百余騎が雪崩の如く進撃を開始した。

 これを見て敵が怯んだ隙に馬へ跨る一番名乗りの武将へ、迎撃に繰り出した敵騎馬の一人が一騎打ちを挑みかかった。

「出羽の芋侍奴、折角の民が育んだ実りを、水田をずけずけと蹄で踏み荒らすとは不届きな奴らじゃ!」

 激高し薙刀を振り回す敵将に二の太刀を許さず一番武将は胴を払って切り倒した。

「ならばこれが貴様の本懐じゃ。泥田の生肥に成り果てよ!」

 吐き捨てるように太刀の血を払う武将のしころを矢が掠める。敵が本格的に矢攻めに切り替えてきたと見える。

「ふん、どうせ盲撃ちよ。騎馬を的の矢など、当てずっぽうも同じじゃ。一気に柵を攻め落とすぞ!」

 応っ! と空気を震わせる獅子の如き咆哮を上げ、清原勢が一斉に村を駆け抜け、柵の正面へと殺到した――。



 この二年前に即位した後三条天皇は、後の歴史に名高い延久の善政といわれる桓武天皇以来の政治的改革を図り、その一つに蝦夷政策の完成という大事業も含まれていた。

 この頃、頼義らは安倍を巡る清原との確執や、宗任ら安倍俘囚の処遇について強引な手段を用いたことが災いして中央から警戒されることとなり、それぞれの任期を終えると再び官位に登任されることはなく完全な無官状態となってしまっていた。

 時を同じくして新たな陸奥守に赴任したのは同じ清和源氏を出自とする源頼俊である。尤も、頼義と同じ源氏姓とはいえ彼は大和源氏。河内源氏とは犬猿の仲として評判であったという。そんな背景もあり、また彼自身、十二年に及ぶ合戦の末に荒廃しつくした陸奥国の惨状、そして多くの血が流された厨川の合戦に大変心を痛めていたことから、頼俊着任以来、多賀城国府は頼義以来の高圧的な政策を一転させ、清原はじめ土着の俘囚勢力に非常に融和的な態度で臨んだのだった。

 武則はまさにこの二つの状況に乗じたのである。

 そして延久二年、国府・清原連合軍は、突如として陸奥閉伊並びに沿岸地域から、遠く下北北端に掛けて大規模な征討を開始した。世にいう「延久合戦」である。

 言うまでもなく、この侵攻は延久新政の重大事業である東北征服の完遂を主たる目的としたものであるが、清原の目論むところは、頼義ら源氏勢が来たる時に備え確保していた旧安倍氏の交易拠点である三陸沿岸部並びに下北から夷狄島南端に至るまでを掌握することであった。

 頼俊を説き伏せ、軍の大半を清原将兵で揃えた大軍勢は獅子の如き獰猛振りで次々と旧勢力を駆逐していく中、思わぬ大事件が発生する。



「――意外と呆気ないものでございましたな」

 半刻と経たぬうちに白旗を掲げた敵の柵内に乗り込んだ副将が、それでも油断なく辺りを警戒しながら先頭を行く貞衡に呟いた。

「銫屋、仁土呂志、宇曾利と蝦夷勢の数は多いが横の連携が取れておらぬのだろうよ。安倍が強かった時には及ぶまい。味方の損害はどうなっておるか?」

「は、負傷したものは何人かおりますが何れも軽微。討たれた者はおりませぬ」

「ふむ。敵の者共も粗方生け捕ったようじゃのう」

 もう殆ど抵抗する気も失せたのか、縄で括らずとも従順に指図に従う俘虜達を率いた女武将がこちらに向かってくる。

「二番名乗り、藤原千任! 敵将兵皆ひっ捕らえ、既に武将解除を終えております。……おい、おまえ達、そんな縮み上がらなくとも、おとなしくしていればお沙汰なしに自由にしてやるさ。そうでしょう貞衡様?」

「おいおい、俘虜の前で軽はずみなことを言うでないぞ。だが、まあ良かろう。本当にこれで全部か?」

「陣屋の奥で首領格と思しき二名が自決していましたが、どうやら安倍の残党のようですわね。手配の者らではないようですが」

「……成程。死に場所を求めて、か。その二人の首は取らずとも好い。手厚く埋葬してやれ」

「は!」


 そこへ、血相を変えた早馬が「伝令!」と叫びながら柵内に飛び込んできたのであった。

「御大将! こ、国府より緊急の命令にございまする――直ちに作戦を中止し、速やかに国府へ帰還せよ。とのことにございまする!」

「何だと⁉」

 顔色を変えて差し出された指令文書をひったくり、封を切るのももどかしく読み進めていく貞衡の表情が驚きから困惑へ、最後には蒼白になった。

 青天の霹靂とばかりハラハラしながらその様子を見守っていた副将はじめ配下の将兵は主の次の言葉を待った。

 やがて顔を上げた貞衡は何とも形容しがたい表情で皆を見渡すと、

「沿岸を攻めている別動隊の動向はどうなっておるか?」

 と副将に問いただした。

「は? ほぼ目的の拠点は制圧したものと判断できまするが」

「津軽下北方面から夷狄島へ向かった一群はどうか?」

「は、津軽蝦夷は既に我が清原の手中に落ちましてござる。後は夷狄島上陸に向け別動隊との合流を待つばかりにございまする」

「よし、我らの戦はこれで終いじゃ。国府に引き上げるぞ」

 唐突な貞衡の舵の切り替えに一同の間に困惑のどよめきが上がる。

「ちょっと待ってくださいよ! せっかく勢いに乗った勝ち戦を投げちゃってこのまま引き返すなんて、いったい何があったんですか⁉」

 食って掛かる勢いの千任に無言で令書を手渡す。それに目を這わせていた彼女は不意にギョッとした顔で固まった。

「仔細はいずれ国府にて説明があろう。今は一刻も早く国府に帰陣せねばならぬ。速やかに支度致せ」

「はっ! ときに俘虜の処遇は如何致しまするか?」

 副将の問いに、貞衡は一瞬考え込んで、

「千任に一任する。片付き次第すぐに合流せよ。よいな?」

「はい、喜んで! おいおまえら、よく聞きな!」

 ギラリと鋭く目を光らせて腰の太刀を抜き放つ女武将を前に、「ひぃっ!」と俘虜達が悲鳴を上げる。

「さっき妾が言ったのを覚えているだろう? おまえ達の親玉を丁寧に弔った後で、どこへでも好きなところへ行っちまいな! 時間がないんだからあんまり面倒を掛けるんじゃないよ!」



 実はこの時国府多賀城において、あろうことか国府印鎰が盗難に遭うという前代未聞の大不祥事が発生していたのであった。

 この国府印鎰とは、国府が発する公文書に捺印する印章であると同時に米穀物は勿論貢物や貴重な物品を管理する正倉の鍵としても機能する。いうなれば中央より国守に託された領地領民の一切を統べる権威の象徴ともいうべきもので、無論、それを失くしただの盗まれただのとなれば国守は只では済まない。たとえいかなる出自の高官でも失脚は免れまい。

 この事件により現在でいうところの北海道の一部にまで戦火が及んだともいわれる延久合戦は中止を余儀なくされ、国府・清原連合軍は解散となる。

 事の顛末については、この盗難事件の実行犯はなんと多賀城国府官僚藤原基通の仕業であった。彼は下野国まで逃亡を図ったが、当時国守として抜擢されていた源義家にあっさり捕縛される。先祖の代から険悪な関係にあった大和源氏の金的を掴んだ義家は、この時とばかりに頼俊の罷免を中央に訴え、結局頼俊は戦の褒賞も得られなかったばかりか中央より陸奥謹慎を言い渡されることとなった。ひょっとすると、憎い頼俊を陸奥守の座から引きずり下ろすために河内源氏が仕組んだ謀略とも考察できるが如何。

 一方の清原は、征夷の完遂を見事に成し遂げたとして、征討軍副将軍である貞衡は義父に継いで鎮守府将軍の役職を与えられ、国府の力が弱体化したことも追い風となり、この合戦より羽州清原による奥羽支配の礎がより一層盤石なものとなっていったのである。



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