第31話 俺が星の川の向こうにいたら

「その服、よく似合っている。とても綺麗だよ、麗珠レイジュ


 嬉しそうなその笑顔に、少しだけ鼓動が跳ねる。

 お世辞だとわかっていても真正面から褒められればちょっと嬉しいのだから、美青年というものは凄い。


 美男美女は、麗珠の心を癒す。

 実に素晴らしい存在だ。


「ありがとう。それにしても今回は行事のためだから仕方ないとはいえ、毎回贈り物が多すぎない? 無駄遣いは駄目だって言っているのに」


「無駄じゃない。それよりも、今夜の麗珠は月の光を浴びて、一層美しく輝いているな」

 龍蛍リュウケイの後ろで浩俊コウシュンが驚いたような顔をしているのが気になるが、何かあったのだろうか。


「ああ。この服、金糸が凄いものね。きらきらして眩しいわ」

「違う。……本当に、手強いにも程があるな」


 龍蛍のため息と共に、背後の浩俊は口に手を当てて何かを堪えている様子だが、一体どうしたのだろう。



乞巧節きっこうせつの夜の月は、船のような形をしているだろう?」

 見上げれば紺碧の夜空には淡い金色の月が浮かんでいて、その形は確かに船のようにも見えた。


「牽牛はあの月の船に乗って星の川を越え、織女に会いに行くと言われている」

「へえ、そうなの」


 よく知っているなと感心するが、もしかしてこれも麗珠が知らないだけで普通の知識なのかもしれない。


「麗珠は、俺が星の川の向こうにいたら……会いに来るのを待ってくれるか?」


 星の川が存在しない以上、これはたとえ話なのだろう。

 だが何を聞かれたのかよくわからなくて、麗珠は首を傾げた。


「どこか遠くに行くの? 留守番しろということ?」

「何故、そうなるんだ」

 麗しい青年は呆れたように息を吐くと、すぐに微笑みながら麗珠の頭をそっと撫でた。


「麗珠を置いてどこにも行かないから、大丈夫」

「う、うん」

 よくわからないまま、麗珠は自分の席へと戻る。



 皇帝に手巾ハンカチを捧げる行事なので、当然のように次の姫が龍蛍のもとに行く。

 明鈴メイリンが差し出した手巾を受け取る龍蛍は、まさに美貌の皇帝。

 夜空を背景に美しい男女が手巾のやり取りをする様を、麗珠はぼうっと眺めていた。


 ちらりと見えた明鈴の刺繍は、当然ながら麗珠の何倍も緻密で美しい。

 本来は後宮中の妃が刺繍の腕前を競うらしいので、その場合には麗珠が最下位であることは疑いようもない。


 龍蛍と明鈴は刺繍を見ながら会話をしていて、その表情はにこやかだ。

 別に普通のことなのに、何故か少し胸の奥がもやもやとする。


 美男美女は麗珠の癒しのはずなのに、どうしたのだろう。

 謎の不快感に、知らず胸を手で押さえた。



 ――麗珠は、暁妃ぎょうひだ。


 龍蛍のおしりを光らせて、成長を促すことこそが、その役割。

 以前に何故麗珠と一緒にいるのかと尋ねた時に、龍蛍は言った。

『欲しいものがある』と。


 つまり、麗珠はそのために龍蛍を成長させる道具だ。

 畑にまく肥料のようなものと言ってもいい。


 ……それならば、成長が終わればどうなるのだろう。


 浩俊と双子だというのならば、恐らく二十代半ば。

 既に身長は追いついているし、並んでいても顔立ちはあまり変わらないくらいになっている。


 先程言っていた『あと少し』というのは、もうすぐ成長が終わるという意味なのかもしれない。

 そしてそれは、麗珠が不要になる時でもある。

 収穫を終えた畑に、無駄に肥料を撒き続ける意味はないのだ。


 龍蛍はおしりが光るのを嫌がっていたし、本来の姿に成長するのはいいこと。

 それなのに、何だか心の奥がもやもやして仕方がない。



「麗珠様? 少し顔色が」


 静芳セイホウに声をかけられて初めて、麗珠は自分が俯いていることに気が付く。

 よくわからないが、気分が良くないのは間違いない。


 まだ龍蛍は明鈴と話しているし、この後に二人控えている。

 更に何やら儀式があるとかないとか言っていたし、先は長かった。


「もう刺繍は献上したし、退出してもいいよね」


 本来ならば後宮の行事の途中で抜けるなど、静芳がいい顔をするはずがない。

 それなのに無言でうなずいて手を貸してくれるのだから、どうやら麗珠の顔色は相当悪いようだ。


 何か変なものでも食べただろうか。

 いや、今日の饅頭は南瓜が練り込まれていてとても美味しかった。

 おかわりをしてもいいくらいなのだが……やはり何が理由なのかわからない。


 困った時には、投げれば大抵のことは解決する。

 だが、乞巧節の最中に妃が何かをぶん投げたら、さすがに問題だろう。


 料理や食器では用意されたものに不満があるみたいだし、かといってくつを脱いで投げるのもこの場には相応しくない。

 大体、何を的にすればいいのかわからなかった。


 投げられないとなれば仕方がないし、こういう時には早めに寝た方がいい。

 睡眠もまた体力と気力を回復させる素晴らしい行動なのだ。


 納得した麗珠が階段に足を伸ばすと水音が耳に届き、同時に静芳が息を呑む音が聞こえる。

 どうしたのだろうと思う間もなく、足を滑らせた麗珠はそのまま階段を転げ落ちた。



「――麗珠様!」


 ……遠くから、静芳の悲鳴が聞こえる。

 何が何だかわからないし、あちこち痛くて仕方がない。


 夜空に金色の月が輝いているのが見え――そしてすぐに意識は闇に飲まれた。

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