第28話 朱家からの手紙

「今日の練習、終わり!」

 鬱憤を晴らすかのように布に針を突き刺すと、麗珠レイジュは思い切り伸びをする。


 当初は丸い形すらガタガタで酷い刺繍だったが、もともと裁縫自体はできて針を扱えるおかげか、ようやく思うように形を描けるようになってきた。


 おかげで静芳セイホウの出す課題も夜中までかからなくなり、少しずつすり減った気力も戻りつつある。


 用意された饅頭を頬張って幸せな気持ちでいると、静芳が少し困ったような表情でそれを差し出してきた。



シュ家の旦那様からです」


 饅頭をお茶で流して飲み込むと、早速手紙に目を通す。

 要は異母妹の花琳カリンが十五歳になって成人するので、麗珠と交代するという内容だった。


「そうか。もうそんな時期なのね」


 麗珠の後宮入りは、もともと花琳が成人するまでのつなぎの役割。

 いずれその日が来るのはわかっていた。


「とはいえ、一応私は暁妃ぎょうひという位を賜ったのだから、龍蛍リュウケイに一声かけないと駄目よね」

「一声も何も。陛下が許可しない限りは後宮から出ることはできませんよ」

 静芳は眉間に皺を寄せて不機嫌そうだが、どうしたのだろう。


「よろしいですか? ここは後宮で、主は皇帝陛下。朱家が何を言おうとも、陛下の決定がすべてです」

「まあ、それはそうよね」


 どうやら不機嫌というよりも怒っているらしいが、原因がよくわからない。

 心配になって様子を見ていると、それに気付いたらしい静芳がため息をついた。


「申し訳ありません。もともとは私も麗珠様に失礼を働いた身だというのに。それでも、『早く退出しろ』などと勝手な物言いが許せなくて」


 恐らく麗珠宛とは別に静芳にも諸々の指示の手紙が届いたのだろう。

 朱家当主である父は麗珠が後宮を出て狩人になると思っているから、ただの連絡事項として退出の用意を促している。


 義母と異母妹に関しては相当嫌な言い回しを使っているのだろうが、今更気にしても仕方がない。

 それよりも、あれだけ麗珠を邪魔者扱いしていた静芳が怒ってくれているというのが嬉しかった。


「とりあえず、龍蛍の許可を取らないと。――桃宮とうきゅうに行くよ」




 桃宮を訪ねるにあたって、静芳は当然のように麗珠の装いを整えた。


 衣は淡い紫色で、辛子色の糸で植物の蔓が描かれている。

 スカートは胸元が紺色で裾に向かって緑色に変化し、淡い水色になる。


 そこに薄桃色の牡丹が咲き誇っており、帯は紺色の上に白を重ねて垂らされた。

 全体的に涼し気な色合いでありながら華やかで美しい衣装だ。


 後宮を出ればもうこんな服を着ることもないと思うと、動きにくさも何だか許せるのだから不思議なものである。


 だが、久しぶりに訪れた桃宮に龍蛍の姿はなかった。

 女官達によれば桃宮内にいるはずなので、庭ではないかという話だった。

 いつもならばそのまま朱宮に帰るところだが、今日はそうもいかない。


 仕方がないので静芳は部屋の前で待機してもらい、龍蛍が帰ってきたら伝言するよう伝えると、麗珠は庭に出た。




 池を越える橋を渡って歩いていくと、何やら音が聞こえる。

 それを頼りに進むと、やがて木々が立ち並ぶ林が見えてきた。


「麗珠様?」

 急に声をかけられて驚いた麗珠が振り向くと、浩俊コウシュンが一礼して近付いてくる。


「お久しぶりですね。最近では刺繍に精を出しているとか」

「ああ、うん。まあね」


 これで花琳が乞巧節きっこうせつの前にやってきたら、麗珠の努力は水の泡だ。

 そう考えると何だか切ないので、手巾ハンカチ提出の後にしていただきたい。


「それで、何か御用があったのでしょう? 龍蛍ですか?」

「そう。話したいことがあるんだけど。どこにいるの?」


 微笑む浩俊の後ろをついていくと、聞こえていた音が段々と大きくなる。

 そうして木陰から見えたのは、弓を構える龍蛍の姿だった。


 矢をつがえて放ち、その矢が的に命中して周囲に音が響く。

 ただそれを延々と繰り返す様を、麗珠は暫くぼんやりと見ていた。



「もともと武術は習っていますし、飲み込みもいい。ただ、体の急成長で感覚が狂うらしく、稽古は欠かせないそうです」

「稽古って、何故?」


 龍蛍は皇帝だ。

 その身を守ることは最重要課題であり、当然多くの護衛が存在するだろう。

 もちろん、何もできないよりはいいだろうが、欠かさず稽古する必要性がわからない。


「『麗珠がひと目で惚れる男になるため』と言っていました。弱い男じゃ駄目だから、と頑張っているのですよ」

「また、冗談を」


 いくら何でもそんなことのために時間を費やすとは思えない。

 そもそも麗珠を惚れさせてどうするのだ。


「龍蛍はいつでも正直ですよ。まあ、あれでも一応皇帝ですので。事情があって言えないこともありますが、麗珠様が特別なのは間違いありません」

「特別、って」


「――麗珠!?」

 遠くから声が聞こえたかと思うと、龍蛍がこちらに向かって駆け寄ってくるのが見えた。

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